セレスティアエンジェル

第二話


全ての地上界を統治し、管理する役割を持つ天使達が乗る時空を駆ける艦…通称時空艦。
元々、天使達はそのような物などなくても異世界へ渡る道は作り出せる。それでもこの時空艦という存在があるのは、過去の神界、天界、地上界の全てを巻き込んだ神々の戦争『ラグナロク』からの名残と言われている。
ラグナロクが終結して気が遠くなるような時が流れた今、軍の数十人単位の集団移動の手段として使われるのがほとんどだが、それでも時には戦艦としての機能が必要な時もある。
そして、最近になって新たに建造された時空艦『ニーベルゲン』
それは今、空間移動機能のテストも兼ねた処女航海により、ある地上界の人里離れた陸上のどこかで姿を隠し停泊していた。


―艦内居住区―
操舵官、技術士官、戦闘要員等々、現在この艦には50人前後の天使達が搭乗し、そのほぼ全員がこの居住区の部屋に住みこんでいる。
とはいえ起床時間やその後の行動もそれぞれが結構違うもので、その区画の廊下などの一箇所でごちゃごちゃとなることもまた少ない。
処女航海が始まりすでに数日、乗員達は新たに建造されたこの艦の生活にも慣れてきていた。

その中でも比較的早い朝の時間帯。着慣れてきたいつもの軍服を身につけて…部屋からでるわけでもなく、定期入れに挿し込まれた一枚の写真を、物憂げな瞳で眺めるリースの姿があった。
「リースいる? …ちょっと手伝ってほしいんだけど」
「…あ、カノン? ちょっと待って」
ドアの外から聞きなれた友達の声。もう一度手に持つ写真に目を向け、それをポケットに入れ立ちあがり軽く服を直してドアを開ける。
と、その向こう側から現れたのは声から想像した通り、いつも顔を合わせるカノンの姿…なのだが、なにやらまだ早朝だというのにかなりの疲れが表情ににじみ出ていた。
「……何があったの」
「リエルが……」
「リエルが?」
「…リエルが…」
リエル・ラスクード15歳。ヴァルキリー第七小隊戦闘部隊―通称騎士(ナイト)―の最年長…ではないが、7人の中では一応はリーダーの位置付けになっている。
戦闘に関しては、基礎的なところからその称号に見劣りしない実力を発揮してくれる彼女なのだが…たったひとつ、だがそれだけで十分過ぎるほどの大きな欠点を持っていた。
「…ちょっと、何があったのよ。 …カノン?」
言葉の間に微妙な間を開けるカノンに対し、リースの中で少しづつ危機感にも似た感情が膨れ上がってきていた。
「リエルが……ぜんっぜん起きてこないの!」
「…はい?」
妙なほど気の抜けた声を出してしまうリース。それでもカノンは真剣に言葉を続ける。
「いつもならいいかげん起きてるはずの時間なのに、わざわざ朝の訓練の時間とか合わせてあげてるのに、なんど起こしても全然目を覚まさないの! だからリースも起こすの手伝って!」
「……あぁ…」
先程までの緊迫した空気はどこへやら。カノンは怒りからか呆れからか、原因は不明ながら珍しくヒートアップしているが、リースは下手に心配をしてしまったためか軽いめまいを起こしていた。
…リエルの欠点、それは15歳という歳をしていながら―戦闘中は別としても―見てる側が疲れてくるほどの天然ボケと子供っぽさにある。事実に学生時代、そのことで六人に苦労をかけていたことも珍しくは無かった。
背はそれなりに高い、プロポーションも歳のわりにいい、顔もそれなり。黙って立っていれば、恐らく7人の中では最も大人っぽいはずではあるが…その子供そのものな雰囲気のせいか、どうもそうは見えないという者も多数いる。
今回も…いや、入隊時からも他の者より起床時間は遅く、訓練の時間もそれに合わせるようにして遅めにしてあるのだが、この日はいつにもまして起きるのが遅くなっているようだ。
「……わかった」
頭痛を抑えるように額に手を当て、なんとか声を絞り出す。
「ありがとう。 …なんであんなのがリーダーやってるんだろ…」
「…さあ…」
仮にも、この小隊の騎士の隊長を務めているリエル。この艦に乗ってから実戦自体は一度もなかったのだが、早くもその人選が誤っていたのではないかとこの2人は思い始めていた。
そもそも誰が彼女を推薦したのか、もしかしたらリエルの自薦だったような、はたまた単に戦闘力が高かっただけだからなのか…と、その時の情景もなぜかだれもよく覚えていない。
頭に感じる鈍痛を無理矢理抑えこみ、2人はリエルの寝室へと足を向けた。 そして…

―二十分経過―
「……ぜ、全然起きない…」
リエルを起こすための行動にリースが加わり、少しは効果が上がるかと思っていたカノンの思惑は見事に空振りしたらしく…1人の時との合計で四十分以上は費やしている事になるそうだが、作戦行動中わずかな反応は見られても彼女の目は開くことはなかった。
朝から大仕事を、しかもやるだけ無駄な事をしているような気分になりかけている2人は小休止とばかりにベッドの隅と手近な椅子に座りこんでいる。
「…いっそのこと、ほっとく?」
「……一応リーダーなんだから、訓練にくらいいないと示しがつかないよ…」
「そうだけど…」
「………一瞬そう思ったけどね…」
「カノン、リース。 こんなとこでなにしてんの?」
「なにってリエルを起こそうと……って、え?」
半ば無気力に言葉を交わす。その中に、今までこの場にはいなかったはずの人物の声が混じっていた。
2人は、はっとその声の主へと顔を向ける。
「フレア?」
「…まだ起きてなかった? ……全く、あれほど早く寝ろって言ったのに…」
はぁ…と、かなり大げさにも聞こえるため息を漏らし、つかつかとリエルに近づくフレア。2人は半ば無意識に立ちあがり、後ろから眺めるような位置に動いていた。
「………2人とも、先に行っといて。あとでリエルと行くから」
「え? …でも、2人がかりで起きないのに…」
「ううん、多分私だけの方が早い」
「…そ、そう? じゃあ、お先に…」
どこか疲れたような表情をしながらも、妙に自信に満ちたその言葉。リースとカノンは一瞬顔を見合わせそろって首を傾げるが、その言葉に従いこの部屋から退出した。
それでも、少しの間背後の状況が気になるのか突っ立っていたが……その時
「みにゃあああぁあ!!?」
「!!?」
ものすごい勢いで首を背後に回す2人。もはや悲鳴なのかどうかもよくわからないリエルの声が先ほどまでいた部屋から聞こえてきたのだ。一応、というか当然リエルの声なのだが、さっきまで2人が何をやっても起きなかった彼女。フレアが何をしたのかすぐにでも見に行きたい気分だったが、なぜか足が動こうとはしなかった。
「あ、2人ともまだいたの?」
ひょい、という効果音が聞こえそうな感じでフレアが部屋から顔を出す。
「すぐ着替えさせるから、先に行っといて」
「……行こうか?」
「…うん」
先に我に返ったリースがカノンに呼びかけ、それで元に戻ったカノンはまだ少し呆然としたような表情でそれに答えた。


腹がへっては戦は出来ぬ。人間の先人が残した言葉だそうだが、名言と言うのは種族を超えて残るものである。
朝の訓練は朝食後、とこの7人の中では定例化していた。まあ一同にとっては名言がどうというのはあまり関係はないが、とりあえずお腹はある程度満たされていた方が、動く分にはいいようだ。
「あ、リース、カノン。おはよ〜、遅かったね」
「おはようございます。先に始めてますよ」
「…おはよう」
艦内設備にしては結構な広さの食堂。そろそろ朝食目当てで人が集まってくる時間帯なのかそこそこ席が埋まり始めていた。
その中の一角、受け取り口付近のテーブルにその三人は陣取っていた。
「うんおはよ、スフィア、ルーン、ルーティ」
「リースは何にする? ついでに取ってくるよ」
「ありがと。じゃあご飯とお味噌汁と納豆と…あとだしまき」
「ん、了解」
「そーいえばリースって和食派だっけ」
カノンが歩いていったその後に、スフィアが口を挟んできた。
「ん〜まあ、せんせーと一緒に住んでたからかな。あの家も和風だし」
「確かに、好みが誰かの影響っていうのはよくありますね」
「そういうルーンも今朝和食よね」
「まあ特に、と言うほどではありませんが好きですね」
と、口にするルーンの前には先ほどリースが注文したものと同じような組み合わせのものがさながら定食のように並べられていた。
ちなみに今その手には、納豆の乗ったご飯と割り箸が握られている。
「…でもさ、納豆ってよく食べれるよね」
「そう? 結構いけると思うけど、ね?」
「ええ、確かに始めは独特の匂いやこの粘りとかにちょっと抵抗あるかもしれませんが、食べてみると結構おいしいですよ」
「…ていうかさ、結局は腐った豆でしょ…?」
そう言いながらかなり渋い顔をし、茶碗の上で糸を引く無数の物体に目を向けるスフィア。それに対してルーンは眼鏡のずれを一度直し、特に何でもないような表情で言葉を返す。
「でも、腐っていると言ってもちゃんとした製法があるんですよ。ただ腐らせただけではないはずですし」
「何? なんの話?」
そうこうしているうちに、カノンが両手に一枚づつのトレイを持ち戻って来ていた。
「あ、ちょっとね。納豆のことで…」
「納豆? …ああ、確かに食べる人選びそうだしね。もめるのもわかるよ」
片方をリースに手渡し、自分のトレイはその隣の席に置き、その前に座る。内容は、トーストにマーガリン、目玉焼きに塩、と典型的な朝食メニューで、横には紅茶が置かれている。
「でも、スフィアも朝からカツ丼って…」
「…何よ、別にいいじゃない」
「いや、カツ丼だけなら別にいいんだけど…朝から特盛はないんじゃないかな〜って」
「そういえばそうですね、油ものはカロリー高いですよ?」
「まあ、一応毎日ちゃんと動いてるから救われてるわけで…そうでなければどうなってるか」
カノン、ルーン、リース…と反論する暇もなく集中放火を受けるスフィア。
確かに彼女の体型はスレンダーで比較的整った形ではあるが、食生活によってはいくらでも崩れる可能性は秘めていた。例のごとく自覚は多少なりあったらしく、言われて受ける精神的ダメージは五割増と言ったところだろうか。
軍の戦闘要員といった毎日訓練等で動く身でなければ今後どうなるか…彼女にはそれが垣間見えた一瞬だった
「…る、ル〜ティ〜…」
「……身体の管理も仕事」
そして最後の逃げ場に選ばれたのは、ただ一人黙って食べていたルーティ。
今まで黙々と箸を動かしていただけなので話を聞いていたのかどうかは少々疑わしかったが、どうやら内容は理解しているらしく、それこそばっさりとスフィアの期待を一言のつぶやきで切り捨てていた。
「みんなおまたせ〜……って、スフィア…何かあったの?」
「…おふぁよぅお〜…」
完全に撃沈され机に突っ伏しているスフィアと、特に気にかけた様子もなく朝食を口に運ぶ4人。フレア及び眠そうなリエルも現れて、やっと7人そろったかという瞬間の光景はそういう微妙なものだった。
「…リエル、いいかげん目を覚ましなさい!!」
「うにゃあぁ!? …痛いよフレア〜」
「まったく、ただでさえ食べるのも遅いくせにその上寝坊してまだ寝ぼけてるって…」
ついさっきの悲鳴はなんだったのだろうか、一応軍服に着替えては来ているが、肝心の目は完全にさめていない様子で、フレアは疲れたような表情で、そして額に怒マークを浮かべてリエルの両こめかみをぐりぐりとこぶしでねじっている。
「…なんか寝坊した子供を叱る母親みたいな…」
「あはは… まあ、とりあえず全員そろったね」

ルーン・リフィート、ルーティ・シルディア。共に13歳で《時の翼》入学時からの腐れ縁、そして2人ともおとなしいがそのタイプは全くの別。ルーンは趣味が読書で常に敬語、おまけに眼鏡にみつあみと絵に描いたような知性派のような感じだが、ルーティは雰囲気がどこか暗く、無口で常に不思議な空気を纏うミステリアスなタイプだった。

七人全員がそろい、その場の雰囲気も騒がしくも楽しそうに…一部を苛立たせることもあるが…彼女達にとっていつも通りの空間が展開されていた。その会話は、カノンから切り出した今後の事。《時の翼》の思い出話。そしてフレアの愚痴にリエルが反論し、それをばっさりと切り裂くフレアと黙ってそれに同意するその他五人…と次々と内容は様変わりしていく。
時間が少し遅れていることも忘れているのか、彼女等のおしゃべりは止まりそうに無かった…しかし…
「きゃっ!?」
突然リースから悲鳴にも似た声が上がった。瞬間、全員の口が機能停止し、全員の目はただ一点を映し出す。
「あ、すみません! …大丈夫ですか?」
さわやかな好青年、といった印象を与える外見の男性乗組員。
その声が耳に入り、今度は彼の方へと視線を動かす。手に持つトレイの上のコップが倒れていて、何個かのこぼれ出る事の無かった氷がその中に残り、そこには氷水か何かが入っていたことはよくわかった。
「冷たぁ……って、あ、大丈夫です」
濡れた服と背中を気にしながらも、笑顔で返すリースだったが、その笑みは少し引きつったように変になっていた。
「あ〜あ、不注意厳禁! クリスもどじだね〜」
「…シルフィー、あなたがコップの上になんか乗っているからでしょう。あなたもちゃんとあやまりなさい」
「さて、なんのことかしらね〜 証拠でもあるの?」
その時、青年―クリスの肩の辺りから片手で握れそうな大きさの人形のような…一人の妖精が姿をあらわした。
シルフィーと呼ばれたその妖精は、わざとらしいまでの余裕たっぷりな笑みを浮かべて、クリスの目の前をふよふよと漂うように飛び始める。
「乗るな、とさっきから何度も注意したと記憶していますが?」
「記憶なんて曖昧な物、証拠にはなんないわよ」
「…では、その濡れた裾と足はなんですか?」
ふっ…と一瞬あきれ混じりの不敵な笑みを浮かべてシルフィーを睨みつける青年。
この青年が言っている事が正しければ…コップが倒れる際に逃げ遅れたのだろうか、確かに服の裾から足の先までが濡れていて、つま先からまだ少し水が滴り落ちている。
「…あ……これは〜その〜…」
一転、思いっきり困惑した表情に変わり、数秒おろおろと首を動かし、その目は最後にはクリスの方へと落ち着く。
…睨みを利かせたクリスの目は、シルフィーの姿を完全に捉え離そうとはしていない。
じわり…と彼女の首筋に、嫌な汗がにじみ出た。
「……むぅ〜………っ!!」
結局、声にならない叫びを上げ、あっというまに食堂の外まで文字通り飛んで逃げていってしまう…クリスは深くため息をつくだけだった。
そして、それを目の当たりにしていた一同はそろって思った。ああこの人も苦労してるんだなぁ、と。
「まったく、いつもいつも手がかかる… 申し訳ありません、あの子の分も謝っておきます」
「はぁ…えっと、そんなに気にしてないので…」
いつもなら取るに足らないようなやりとりにあっけにとられ、半分上の空になっていたリース。話しかけられてなんとか意識は戻ってきた。
「ところで今のあの子…妖精ですよね?」
「ええ、整備班の妖精、シルフィーです。 …あ、僕は技術士官のクリス・フィルザード。魔法関連システムの整備を担当していて、あの子の上司にあたります」
「へぇ」
「…リース、なんか和んでるとこ悪いけど早く着替えた方がいいんじゃない?」
片手にティーカップを持ち、目だけをリースに向けたカノンが会話の中に割りこむ。肝心の本人の意識の中からはその事は抜け落ちてしまっていたのか、リースは今この瞬間までその事にまるで気付いていなかったように驚き、その一瞬はかなりの慌てようだった。
「本当にすみませんでした」
「あ、もういいですよ」
少し顔を赤くして立ち去ろうとするリース、それを引きとめもう一度詫びるクリス。
「…そだ、皆、私着替えたら直接行くからここで待ってなくていいから」
言葉を返し、最後に仲間に後の事を知らせる。そうして、リースは早足にこの場の七人の前から立ち去っていった。


―シミュレートルーム―
セレスティアナイツ所属の各艦に取りつけられた、事実上戦闘訓練のためだけにあるような部屋。
特殊な魔方陣、魔昌石などの使用で森、山、荒野等々の擬似的な空間を創り出し、戦闘訓練用に魔物等も出現出来るように作られている。その全ては手で触れる事ができるが所詮は立体映像、陣の外…つまり部屋の外まではその力は及ばない。
それでも、動き回るのに十分な広さを持つ部屋ではあるのだが。
「ん? 何か言った? スフィア」
今はその機能は作動せず、七人は壁にもたれるように座りこんでいたり、持ってきた水を飲んでいたりと一休みしている。
「ほら、食堂でさっきの。すごいと思わない?」
「…あぁ、妖精か。なんか技術とか専攻してたら結構身近らしいけど、私達には珍しいよね」
「もう、そんなんじゃなくてクリスさんよ! リース」
「え?」
「すごくかっこいいし、真面目そうだし、出会えたのも運命みたいなの感じちゃうな〜」
『スフィア会話に入ってたっけ?』 色々な意味で熱くなっているスフィアのその姿を見たその時、リースが真っ先に頭に浮かんだ一言はそれだった。確かに彼は美形だ。リースがその事を否定する事はないが、男女の関係は今の彼女にはそれほど興味の無い事。
おそらく今の彼女はリースに話しかけているわけではないのだろう。今この場を離れたとしても気付かずに話しつづけていそうな勢いで、自分の世界に入りこんでいるのは確かだった。
「……かのーん、そろそろ続き始めようか。レベルはAくらいで」
やれやれとばかりにため息を漏らし、制御装置のそばにいるカノンに呼びかける。
敵のステータスレベルは逆アルファベット順で下からEからA、その上にS、SSがある。どのレベルでも結局はシミュレートなので体感上のダメージはちくりとする程度だが…彼女がいつどんなタイミングで正気に戻ったのかは、誰も気も向けていなかったために本人のみが知る事となった。


朝の訓練を終え、その後の昼食も終えると彼女達のやる事も少なくなってくる。
たまに事務的なものや雑用の仕事も回ってくる事があるが、本来彼女達は騎士と呼ばれる戦闘を専門にする兵隊。大抵のそういった仕事は他のところで処理されるため、午後は暇をもてあましている事が多かった。それでも、午後も一人で訓練を続ける者もいれば、趣味に興じて時間を潰す者もいる。
それでもリーダーであるリエルには比較的仕事が回ってくる…はずなのだが戦闘以外は全く頼りないため、どちらかと言えばフォロー役のフレアにそれは流され、ほとんどを彼女一人で処理しているのが現状。
彼女達の午後はいつもそんな感じで過ぎていき、その日常が壊れる事は無かった。

―居住区:大浴場―
戦艦と言うには色々と関係の無いものに大きくスペースを取っているこの艦、それでも必要な物もしっかりと入っているためか誰もそこは深く気にする事は無い。むしろ長期航行などで乗りこむ乗員にとっては色々と便利なためか支持されている事実もあった。
「…ふぅ…」
…中央に広い円形の浴槽があり、広さに合わせるように天井は高く、周囲の壁に沿って洗い場が設置されているこの大浴場も、大きいスペースを取る要因である。しかし男女別々に用意されてはおらず、時間制で区切られているのでこの場所は艦内ではここのみ。
そこで、一人湯船につかるフレア。
先程までリースとカノンも共に入っていたが、2人が退出した今、この空間には彼女以外の誰もいない。
「……なんか、最近ずっと疲れっぱなし…」
フレア・レインズ、17歳。ヴァルキリー隊第7小隊戦闘部隊の最年長、大雑把さと生真面目さが2:8で交じり合ったような性格で実質七人の纏め役。そしてほぼ毎日のように天然ボケなリーダーであるリエルのフォロー役に回っている結構な苦労人。
そして彼女はリエルの幼馴染であり、歳に2つの差がありながらも昔からよく一緒にいたという経歴もある。それゆえに、リエルにはかなりなつかれているようなのだが…最近は常にくっついて歩いているようなもので、学生の時より苦労も何割増かになっているようだ。
「……ん?」
ふと何かの気配を察し、意識に続き身体を反応させる。今の今まで自分一人しかいなかったはずのこの場所に誰が来たのか…まあ風呂場なので誰かが来る事は十分予測できる事なのだが。
「フレア、入ってたんだ」
「…げ」
腐れ縁な幼馴染、気苦労の元凶、はた迷惑な天然娘…バスタオル一枚身体に巻いたリエルの姿がそこにあった。
とことこと歩いてきて湯船に入り、フレアのすぐ横に陣取る。
「……頼むからお風呂くらい一人で入らせて…」
直後、フレアのその口から発せられる半ば泣いているような声…そしてその表情もそれに合わせるように曇っている。
自分の安らげる場所はどこにも無いのか、と絶望にも似た感情が彼女の中でうずまいていた。
「え〜、でも一緒にはいっても楽しいよ」
「…あんたといると気が休まらないのよいろんな意味で!!」
普段からフォローに回されてばかりという状況のせいなのか、リエルが近くにいるとどうも落ち着けない…それが気が休まらない原因ではあるが、もっと別なところで気にしてしまう事があった。
それは、自分の中に強く根付く『低い背丈』『童顔』『目立たない胸』というコンプレックスの中、こんな場所でも近くにいる自分とは様々な意味で真逆のリエルと言う存在。
…それが余計にストレスと気苦労を膨らませているという事実が、それを与えている当人には全く自覚が無いのだから性質が悪い。

「…ホント、なにしてるのやら」
脱衣所にて、リエルとは入れ違いに外へ出たリースが、ちょうど服を着終えた瞬間に耳に飛び込んできたフレアの叫ぶような声。あきれながらも笑っているような顔で、声が聞こえるドアの方に目を向けていた。
「あの2人の事?」
横から聞こえるのは、カノンの声。
「フレアも大変だよね、いつもいつも」
あはは…と今朝の一件も思い出してか苦笑いを浮かべる2人。
もしかしたら、フレアはあれを毎日のようにやっているのかもしれない…そういう考えも浮かび、少しフレアに同情の念を覚えた。
「でも、いつもどこか楽しそうにしてますよね」
「…絆は強い」
「ま、そうでなきゃとっくに見捨ててると思うけど」
また別の声…『え?』と口にして振り返った先には、今しがた入ってきたらしいルーンとルーティ、そしてその後ろに立つスフィア。
リースとカノン、2人はもう一度2人がいるだろう壁の向こう側へと目を向け…少し、考える。
手のかかる幼馴染…なんだかんだと言いながらも、そのそばにいるフレア。時に怒る事があっても、その関係は崩れる事は無いのだろう…今までも、そしてこれからも。
「…そうね、心配するだけ損か」
どこか安堵したような気持ちに駆られ、意識するわけでもなく笑顔がこぼれる。自分も、皆にとってそんな仲ならいいなと心に思いながら…

この後また少し言葉を交わし、今から入ると言っていた三人とは別れた。
そして今は、無機質な通路を歩いている。一緒に外に出たカノンは『読みかけの本がある』と言って自分の部屋へと戻っていった。今リースはただ一人、とくにこれといった目的地を持つわけでも、作るわけでもなく、艦という限られた空間の中を、気の向くままに歩を進めていた。

―居住区・談話室―
他の者達はちょうど忙しい時間帯。先程までいた大浴場もそうだったが、この部屋も例外に漏れずこの時間帯は人影は少なく、リースがたどり着いた今この瞬間は、一人として乗組員の天使の姿は目に入ることはなかった。
「……今、何か…?」
しかし突然、視界に見なれない何かがちらつき、それは一瞬で視界の右へと消えていった。
条件反射に近い形で、目でその存在を追いかける。それが見慣れていないものなのは確か、しかし、なんとなく見覚えがあった気もする…その手でつかめそうな、小さな存在。
「………妖精さん?」
観葉植物の影に、それは隠れていた。エメラルド色のポニーテイル、同系色の瞳…そしてその小さな背には、小さな羽根が2対。
「な、何…私に何か用? 今更あやまれって言っても、あやまらないわよ」
植物の影から顔だけ出して、そんなことをぼそぼそとつぶやく妖精。
「え?」
「……ん?」
その言葉は、小さいながらも確かにリースの耳には入っていたが、口から出てきたのは少し間の抜けた返事。
何に対して言っているのか、その一瞬では思い当たらなかった。
「…あぁ、今朝の妖精さん」
そして、急に納得したようにぽん、と手を打つ。
「……もしかして忘れてたの…?」
「いや、すぐ飛んでっちゃうものから顔とかはっきり覚えてなくて…」
自分がかなり気にしていた事を、もう一方の当事者が全く覚えていない、と……力が一気に抜けたらしく、妖精―シルフィーはがくりと肩を落とした。心なしか、浮遊する高度も落ちているように見える。
「それで、ここで何してるの?」
「いや…ええと…… あ〜!!?」
尋ねられたその一瞬は、戸惑ったように口がうまくまわらないようだったが、数秒の間を置いて急に大きく叫ぶような声を上げ…今朝と同じように、開きかけたドアからあわてて飛び去って行ってしまった。
「え……って、逃げた……?」
気をそらせる古典的手段と言えばそうかもしれないだろうが、一回目は案外と通じてしまうものらしい。視線こそそらさなかったものの、その声に思いっきり気を取られていた。
「…あれはあれで…気にしてるのかな?」
半ばぼうぜんとしながらも勝手にそう解釈して、自分もこの場から退出する。誰もいない談話室というのも味気が無いもの、一人でいたいなら自分の部屋に向かえばいいことだ。
…そうして、また通路を歩きだすのだが次に向かう先は特に思いつかず、居住区画をただうろうろと歩きつづけていた。時々、自分と同じく暇そうな誰かを見かける事もあるが特に理由も無いので話しかける事もなかった。
「ちょっと、すみません」
「ん?」
「…あ、今朝の」
そんな中で暇そう、と言うよりはあせっているような表情の…今朝、シルフィーと共に出会ったクリスという青年が現れた。
「あぁ、今朝の…」
「ええ、今朝の… すみません、シルフィーを見かけませんでしたか?」
「シルフィーって…あの妖精さんですか?」
「はい、今朝のあの子です」
先程の隠れ、そして逃げるという行動。それは、クリスから逃げていたというのが最も可能性が高い。
そう思ったリースはそれを表情には出さず、頭の中でやれやれとため息をつくと改めて口を開く。
「ん〜…さっき談話室で見かけましたけど、すぐ飛んでっちゃいました」
「どこに行ったかわかりますか?」
「……多分、あっちだと思いますけど…」
「そうですか…いや、すみません引きとめて」
「大丈夫ですよ、ちょうど暇だったので」
ほんの少しだけだが、クリスの表情から感じられる焦りが少し和らいでいた。ちょっとした情報でもその存在は大きいらしい。
そして、この後に特に会話が挟まれる事も無く、すぐにクリスは急いだように歩きだそうとしたのだが…
『クリス整備班長、至急会議室へ来てください』
「…あ、もう時間か…まいったな…」
足を踏みだした瞬間に聞こえてきた艦内放送。彼には誰かを探しに行くような時間の余裕はないようだった。
「…あの、私が探しておきましょうか? 今日はもう仕事ありませんから」
「…すみません、ありがとうございます。 …見かけたらでいいのでお願いします」
「はい、了解しました」
やはり協力者の存在は大きいのだろうか。クリスはその返事を聞き、表情から感じるあせりが少し和らいでいた…と言っても、逆に自分は動けない状態なので、それほど不安が払拭されたという事はなさそうだった。
そしてクリスは会議室の方へと走り出し、リースの視界から消えた。それを苦笑気味に見送り、リースは少し考えるように天を…天井を仰ぎ、シルフィーを探すべく歩を進め始めた。

―居住区・リースの部屋―
限られた空間の中、歩きつづけて…戻るところは自分の部屋。
広いわけでも狭いわけでもないこの空間…ここに住みはじめて一週間、慣れない部屋に最初は落ち着かなかったが、今は自宅に…いや、かつて住んでいた恩師の家のように馴染みのある空間になりつつあった。
「とは言ったものの…探すあてもないしなぁ」
ベッドに腰掛けてそうつぶやく。シルフィーを最後に見かけたのは、談話室から飛び出していくところ…飛んでいった方向から察するに、いる可能性が高いのは、各乗員の個室―相部屋の方が多いが―が集まったこのブロック。
しかし、情報はただそれだけであって他には何も無い。しかも、ただの推測なので今は別のところにいる可能性も高い。
「…まあ、ちょっと休もうか。 よく考えたら朝から動きっぱなし……ん?」
ふと目を向けてみた先…机の上のペン立ての陰で、何かが動いているのが見えた。本人は隠れているつもりのようだが、少し角度を変えれば丸見えであまり意味がある行動とは思えなかった。
「…偶然もここまで来るとねぇ…」
鍵は開けたままだったというのは、部屋に入る時に気がついた。あと、ドアは半開きになっていたようなそうでないような…
朝から今までの、この部屋で行った行動を思い返してみる……よくは思い出せないが、今戻ってきた時は完全に閉まってなかった気もする。つまり、部屋の主以外でも出入りし放題な状態になっていたということで…
「シルフィー、こんなところで何してるの?」
ペン立てを持ち上げて、呼びかけてみる。
「うっ……な、何であんたが…」
「ここ、私の部屋」
「え゛…」
偶然もここまで来ると怖いものだなと、先程口に出した言葉を今度は頭の中で復唱する。
―まあ、開けっ放しにしてた私も私か―
同時にそんなことが頭をよぎるが特に言い出す必要も無いことで口にはださなかった。
「それより、どうしたの? クリスさんが探してたよ」
「……あんたには、関係無いでしょ」
そして、やれやれと心の中でため息をつき、軽く笑顔を作って話しかけるが…まだ気を許してはいないのか、答えはするものの声にはまだ刺もあり、目を合わせようとはしなかった。
「ん〜…そうだけど、なんか落ち込んでるみたいで心配で」
「…心配って……」
とつぶやくような声を出し、なぜか呆れているような目でリースの顔を見る。そして気付いているのかいないのか、リースはそれに対して特に反応は見せない。
「…怒ってないの?」
「ん?」
「……今朝、食堂で…」
「今朝? ……あ〜、あれ。別に気にしてないよ」
まだ呆けが残っているようだが、少し真剣な顔でリースを見つめるシルフィーと、その心中も知らずあっけらかんと答えるその当人。
そして一瞬、無言の間が開き…がくりと脱力、シルフィーだけ。
「…もしかして、気にしてたの? 大丈夫よ、あの程度のイタズラで怒ったりしないから」
「…はぁ、なんか私ばかみたいじゃないの…」
「まあまあ、いいじゃないの。これはこれでいい思い出になるよ」
とくに気にした様子もなく笑ってこたえるリース。それに対してなのかどうかはわからないが、シルフィーはバツの悪そうな顔で黙り込んだ。
「それにあれがなかったら、こうやって話すことも無かっただろうしね」
「…そうかもしれないけど」
もし、あの時何事もおこらなければ、お互い顔も知らずにただすれ違っていただけだろう。出会いのきっかけとしては、いいものだったのかもしれない。
「…で?」
「ん?」
数秒ほどの間が開いたが、シルフィーの方から切り出してきた。特に感情も見せない、無表情な顔で。
「クリスが私呼んでたんでしょ、連れてかないの?」
「…あなたは戻りたくないの?」
ぴくっ、と一瞬だけその無表情が崩れた。わかりやすすぎるその瞬間の変化に、少し笑いそうになってぐっとこらえた。自分がつっこむところじゃないし、それは無粋だと判断した。
「戻りたくないっていうか…仕事だし、戻らないとだめだけど…」
「でも、なんか気まずそうね。なにか大変な事でもあったの?」
「べ、別に大した事は…ちょっとドジっただけで、その…ちょっと手滑っただけなんだよ!?」
意味も無く、なんだかかわいいかも、とその慌てっぷりを見ながらリースは思っていた。
別にそんなつもりで尋ねたわけじゃないのだけど、一人で勝手にあたふたと混乱して弁解にならないような弁解をしているその姿は、変に笑えるものがあった。
「おちついて、ちょっとした失敗くらい誰でもある事だよ」
しかし、これでは話が進まないと判断したのか穏やかになだめるリース。シルフィーははっと我に帰り、慌てていたところを見られたのが恥ずかしかったのか、少し顔を赤らめて小さくなっていた。
「とりあえず、戻ったら? クリスさんも別に起こってるわけじゃなさそうだったし、他の妖精さん達にも迷惑かかるよ」
対する答えは、沈黙。なかなかの意地っ張りのようで『無理にとは言わないけど』と一言付け加え、リースは小さくため息をついた。
そして、数秒ほどあけた後無言で立ちあがり、外へのドアに手をかけた。
「どこいくの?」
「食堂。なんかお腹すいちゃって、行く?」
「………まぁ、いっしょに行ってあげてもいいけど」
若干間を空けて、また少しだけ顔を赤らめて答えるその態度に、素直じゃないね、とまた心の中で笑った。
恐らく、リースが知っている中でも上位に入る程の天邪鬼。話していると、もう少し素直になればいいのに、と何度も思わされる…手のかかる妹に対するような感情がリースの中にできていた。

ドアを空けて、廊下へ。あいかわらず忙しい時間帯なのか、それほど人通りはなさそうだった。この調子だと食堂の方も人気はなさそうだ。
「あ、見つけた〜」
今度はしっかりと鍵も閉めた事を確認し、いざ歩き出そうとしたその時…リースにとっては聞きなれない、微妙にスローな口調の声が背後から聞こえてきた。
「げ、ウィル」
二人そろって、ほぼ同時にその声の主へと振りかえる。逃げているという状況とタイミングなだけに露骨に嫌そうな反応をするシルフィー。
肩まで伸びた濃い赤色の髪に、同色の瞳。服装はシルフィーと同じで整備班の妖精が身につけるもの…恐らく、シルフィーと同じ所で働いている妖精だろう。
「げ、てひどいなぁ。皆忙しいのに逃げてもうて…捜してたんやで?」
「余計なお世話よ、ちょっと外でて…」
「余計なお世話て、もう二時間近くうろついてたんわかってるん? 全体点検で忙しい時に、迷惑かかるんは皆やねんで? 大体あんなちょっとした失敗くらいで逃げてどうするんよ、クリスさんかてそんな本気で怒ってたわけちゃうんよ? それに失敗したまんま逃げたせいで他の子の手間も増えてもうたし…」
「……え〜っと…シルフィー、この子は…?」
たしか地上界のどこかの方言だったような…と、別の妖精が現れた事よりその言葉使いと、スローな口調ながらやたらとぺらぺら喋り続ける、といういまの状況に悩みつつ、そう尋ねる。
「…あぁ、ウィルって言って、私の同僚…」
「あ、もしかしてシルフィー見つけてくれたん? えらい世話かけてしもてごめんな」
「あ、いや。どうせ暇だったし、妖精さんなんて見るの初めてだったから楽しかったし、いいよ」
「さよか、そう言うてくれたらこっちも気が楽やわ。 せやけどシルフィー、あんたが世話かけたことは変わらんねんから、反省しーや」
不機嫌そうな表情であからさまに視線をそらすシルフィー。ウィルは少し笑いながら、ふぅとひとつため息をつくとシルフィーの羽をつかんで引っ張り出した。
「ぁ痛!? ちょっと!?」
「せやから今みんな忙しい言うとるやろ? ふくれとるひまあるんやったら、早く仕事場もどらな」
「わ、わかってるわよわざわざ羽引っ張らなくても!!」
「あ、そや今紹介してもろたけど改めて。あたしの名前はウィル、整備班で働いてます」
「え? あ、うん。私はリース、騎士の一員です」
シルフィーの叫びを完全に無視して、リースのほうへ向き直り挨拶をする。一瞬あっけにとられるリースだったが、復帰自体にそれほど時間はかからなかった。
「あ、はよもどらなあかんかった。ほんならリースさん、また」
「うん。 たまに遊びに行っていいかな?」
「ええよ、今日はあかんけど普段はわりと暇やねん。あたしら妖精は数だけはおるさかい」
「そ、ありがと」
「せやけど、シルフィーに会うつもりでくるんやったら覚悟しときや? 正直疲れんねん、相手すんの」
「あ〜、何よその言い草! 人をチビガキ扱いするな〜!!」
と、ひたすら力強く叫ぶように否定するが、じたばたと暴れながら、半ばいっぱいいっぱいな雰囲気をかもしだすその姿は、リースの目には駄々をこねる子供にしか見えていなかった。
なんとなくおかしくなり、くすくすと小さく笑ってしまう。直後、当然のようにシルフィーが顔を赤くして『笑うな!!』と叫んできた。
そして、なんだかんだと騒ぎつつもウィルに引っ張られていくシルフィー。リースは苦笑しながらその姿を見送り、見えなくなったところでため息をつく…そのため息は、あきれと同時に残念さも含まれていることに、本人は気づいていた。しかし、まぁおなじ艦にいるからまたいつでもあえるだろう。と、すぐに考えを切り替えてもう一度笑顔を見せる…あの天邪鬼と仲良くしてみたい…その瞬間、そう願っていた。
「あ、いたいた。リース」
「フレア……なに? それ」
そんな時に現れるのは、フレア。その手には数枚の書類が挟みこまれたファイルが持たれていた。フレアはファイルを開き一枚一枚めくりだし、ある一枚に到達したところでその手の動きを止めた。
「お仕事……と、騎士全員への通達」
「私たちに? あ、もしかして…」
珍しい、と思った。騎士のリーダーであるリエルには―結局はフレアだが―たまに書類などの仕事が来るが、他のメンバーに対しての指令はあまりない。やはり、戦闘が主な目的であるためか、こういった試験航行においては出番は少ないということだろう。
「うん、予定通り二日後に実地訓練を行うわ。詳しいことは全員の前で話すから一時間後…十七時に談話室」
「談話室って…そんなとこでいいの?」
「別に機密事項じゃないし、適度に広いし集まりやすいでしょ」
「了解、遅れないように気をつける」
「OK、それじゃ私他のみんなにも連絡しなきゃいけないからあとでね。 あ、みんな見つけたら言っておいてくれたらありがたいかな」
「わかった。それじゃ」
小さく手を振り、歩いていくフレアの後姿を見送る。
騎士――すなわち戦闘部隊の実地訓練。まだその実態は知らされていないものの、実戦というものが関わってくるのだろうと予測している。今までのような怪我の心配が少ない訓練やシュミレーションではない、本当の戦闘……騎士としてこの艦にいる以上、いずれはなにかと戦わなければならない。それは覚悟していたことだが、今になって少しだけ…さまざまなものが入り混じった、複雑な感情が立ち込めてきた。
漠然とした不安…それを、乗り越えられるか…リースの心は、すこし揺らいでいた。
「…ううん、大丈夫…私が、自分で選んだ道だから…」
ポケットから取り出した定期入れ…片面には長年会っていない家族の写真。そして、その裏には…母のように慕う恩師の写真。
その二枚を眺め、心を改めた。もう昔の自分を、振り返らないと。




「…ロキ…」
天界、聖都セレスティア…から少し離れた丘の上。そこに建つ広大な屋敷で…中庭に面した縁側に座り、一人つぶやくミィルの姿があった。
「……また、動き出すのですか…?」
虚空をながめ、もう一言。…その言葉に答える者はいない、だがその瞳は、確信に満ちたものだった。これから、何かが起こるということを。そして、ロキという存在が動き出すことを…


 

 


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