セレスティアエンジェル

第四話



昔から、星は好きだ。
真っ暗な夜の闇の中で月と共に浮かぶ、小さな光たち。昼間は太陽の光に隠れて見えなくなってしまうけど、確かにそこにある星々。
眠れない夜や、悩みのある夜…そんな日じゃなくても、時々ベランダに出ては空を眺める。
小さい頃は、あの空の向こうに別の世界があるって信じていた…今は、無限に宇宙が広がってるだけだと知っているけど、それでも思うだけなら自由だよね、と子供っぽい自分を心に残している。

ふと目を向けると、山の方でひときわ大きい流れ星が見えた気がした。
…久しぶりに、秘密の場所まで行ってみようと思った。夜に走る自転車も、また気分がいいものだ。




―ニーベルゲン・ブリッジ―
「状況は?」
艦長であるジークの声が飛ぶ。現在、彼らが搭乗しているこの艦…ニーベルゲンは、ある人間界の山中に位置する森に停泊していた。
しかし、この着陸は当初から予定されていたものではない。
そもそもこの世界は魔法と言う概念が無い、いわゆる科学技術による発達を見せている世界であり、例え任務があるようなときでも、魔法の要素が強い時空艦ごと移動するような事は天界側から極力避けるようにしているという世界。試験運行でしかない航海では、立ち寄る予定すら立てられなかったところのはずなのだ。
「はい、山中の森に不時着したようです。今は夜ですから…樹と闇に紛れて発見されることは無いと思いますが、近くに街があります。それほど高い樹は多くないので、ある程度近づかれれば…」
「近くに人間の街…そのうえここは魔法が無い世界。これまたよくない状況だねぇ…」
その口から出てくる言葉のわりに、いまいち緊張感と言うものを感じさせないジーク。これで有能な艦長と言われているのだから周りの者にとっては複雑なものである。
「愚痴ってる場合でもないだろう。人に発見されると面倒なことになる、迷彩を張っておいたほうがいいな」
そして、そこに冷静に言葉を挟む副長ディート。付き合いの長さからか、ジークの態度には慣れているらしく、これといった反応は見せていない。
「了解。ニーベルゲン迷彩結界発動、種別、透過」
その瞬間、外部から見た艦全体の姿が透き通り始め、空気に溶けていくかのように消滅した。
ただ、消滅するといってもそれはあくまで迷彩の結界魔法の効果。人間の目に見えなくするだけで、存在としてはそのままその場にある事になる。
「結界の発動、確認。各部異常無し」
「よ〜し、それじゃあ技術部につないでくれ。至急墜落の原因を調べてほしい」
時空艦の墜落…言葉としては、地面に落ちる、という意味合いが主として使われるものだが、今回の墜落と言うのはまた別の意味も含まれている。
それはあの訓練から数日が立った時、何度目かの空間移動のために時空間に艦を突入させた直後だった。突如空中航行用のエンジンと空間移動のシステムが異常をきたし、時空間から強制離脱。また別の人間界―つまりは、今迷い込んでいるこの世界にたどり着き、かろうじて森の中に不時着した。 …状況は、身を隠す側としてはあまりよくないと言える。
そして、すでに艦全体にその状況は伝わっており、夜中にもかかわらず乗組員全員が次の指示を待っていた。
「しかし、予定外にも程があるな。技術部はともかく、他のところはどうしたものかな」
少し経過して、技術部との交信を終えて一息つくようにため息を漏らすジーク。
そして、同時に口にした言葉どおり今はこれといってするべき事が無い。あるとすれば先日の状況の報告書をまとめるくらいだが、それも大方終わっておりそれほど人員も時間も必要はなさそうだった。
「判断はお前に任せる。もっとも、指示するべきことが何も無いのは確かなことだがな」
「そうだな…」
ディートの言葉が耳に入っていたのかは定かではないが、ジークは今の状況を考え始めた。



―居住区・談話室―
「臨時休暇?」
集まっていたうちの何名かがそんな声を上げる。
「ええ、艦長がこの間の件もあって騎士の人たちは疲れているだろうから、修理がひと段落つくまでは自由にしててもいいって」
いつものように、フレアを中心にして今後の行動の指示を受けていた六人。状況が状況なだけに全員それなりに身構えていたらしく、その内容を耳にして少し力が抜けてしまう。
しかし、本来戦闘要員である七人に大量のデスクワークが回ってくることもまず考えられないので、予想の範疇には入っていたのか脱力する程度はそれほどのものでもなかった。
「ね、それって街の方に行ってもいいの? 久しぶりに外で思いっきり羽伸ばしたいよ」
その中で、脱力どころか余計に力が入っていたスフィア。疲れているだろうからと艦長は言っていたようだが、少なくとも彼女にその心配はいらないようだ。
「それはいいみたい。 …規則は忘れないでよ?」
「わかってる、魔法とか使っちゃいけないんでしょ?」
すでに目を輝かせているあたり、その言葉にはいまいち説得力がない。
本当に分かってるのか? と周囲の全員が心の中でつぶやき、一部は聞こえないような小さいため息をついていた。
「…念のため言っておくけど、武器も持ち出しちゃダメだし、翼を出すなんてもってのほかだからね?」
「わかってるって。 仕事以外で艦の外に出るのなんて久しぶりだなぁー」
頭痛を抑えるかのように額に手を当てて、明らかに浮き足立っているスフィアのその姿を見つめるフレア。 …その脳裏には、『リエルだけで手一杯なんだからこれ以上頭痛の種を増やさないで…』と、かなり切実な想いが渦巻いていたと言うのは歴然とした事実。それを察した他の者は、いつか胃に穴が空くなと同情の瞳でその姿を眺めていた。
「…で、スフィア行っちゃうけどいいの?」
「……あーもうほっときなさい…もう言う事はないし、それ以前にあれじゃ何言っても耳に入らないわよ…」
完全にあきらめた様子で見送るフレアと、今にもスキップでもして行ってしまいそうなスフィア。半分呆れ顔のまま行ってしまう事を指摘をしたカノンは、ああそうかも、と小さくつぶやいて手を下ろした。
「でも、スフィアの気持ちも分かりますよ。ここ一ヶ月近くはずっと艦の中でしたし、出ることがあってもお仕事の時だけ。私も、街の中の人ごみとかが恋しいですし」
「そりゃまあそうだけど。 はしゃぎすぎて問題起こすなんて事も考えられるからね…ある程度は節度を持って欲しいというか、落ち着いて欲しいよ」
はあ、とまたため息を漏らす。口を挟んだルーンも、その言葉は納得できるのか何も言う事はできず、ただ苦笑いで返す以外にないようだった。
「ねえ、せっかくのお休みなんだから、みんなで遊びに行かない?」
そして、次に聞こえてくる声。おそらくフレアにとっては、今一番聞きたくないと思った相手の声だろう…そう、最も頭痛の種をばら撒いている根源である、リエルだった。
「…はぁ…まあ、そうね。 二人ほど目を離したくないのがいることだし…」
もう何を言っても状況は変わらないなと悟ったのか、ため息混じりにそう口にする。ただ、セリフの後半においてはリエルの顔を半ば凝視するような形で顔を向けていて、最初からそうするつもりだったのだろう。
ただ、例によって例のごとくリエル自身は自分のことを言っているとは思っていないか、もしくは言葉の意味がよくわかっておらず、屈託の無い笑顔をフレアに向けていた。
「…で、皆はどうするの? 無理について来いとは言わないけど」
その笑顔が気にはなったようだが、あえて何も言わずに他の者へと目を向ける。カノン、ルーン、ルーティと、三人とも特に問題ない、と言ってその提案に賛成する。
ただ、リースだけは何も言わず考えるように首をひねっていた。
「リースは…何か用事でも?」
「あ、うん。さっきシルフィーにつかまっちゃって…時間があったら手伝って欲しいって」
「シルフィーって…あぁ、あの時のいたずら妖精か」
先日の食堂の一件を思い出したか、フレアのその表情にわずかに笑いが入っていた。傍から見ればそれなりに面白いシーンではあったのかもしれない。
「そういえばずいぶんと仲良くなったみたいですね。服とか作ってあげてるって聞いてますけど」
「あ、うん。 人形くらいのサイズだから、なんだか小さい頃作ってた人形用の服とか思い出してね」
…それって、ほとんど着せ替え人形扱いじゃないの? と、カノンは言いかけたが…実際にリースが作った服を受け取ったシルフィーがうれしそうにしていたり、作っているリース自身もはりきっているところを彼女は何度か目にしているので、お互いそれなりに楽しそうだったしほおっておこうという思考が働き、この場はあえて何も言わないことを選択した。
「リースってなんだかんだ言ってなんでもこなせるよね。手先も器用だし、料理も上手だし… うらやましいな〜、いいお嫁さんになれそうで」
「…あんたはそんなこと言う前に色々と直すべきことがあるでしょうけどね」
「ん? 何か言った? フレア」
また、何の事だか分からない様子のリエル。
それを目にして、やれやれとばかりに軽く肩をすくめて、『別に』と一言口に出した。悟りの境地まであと一歩…かどうかは不明ながら、ずっとイライラを強いてきたこの性格にも多少なり慣れてきているということだろうか。



で、翌日。
結局スフィアを先頭にして6人は私服へと着替えて街の方へと出かけて行った。ずっと艦の仲に押し込められていた反動からか、全員昨日から艦を出る瞬間を心待ちにしていたらしく、出かけるその時はむやみに楽しそうな顔を見せていた。
先に取り付けられた約束を優先したリースは、それを少し残念そうに見送りながらため息をつき、すっと振り返りシルフィーの待つ動力室へと向かって行った。
…そして、現在。すでに外は日も暮れて、月と星が見える時間になっていたが修理は思いのほか難航してあまりはかどっているとは言いがたい状況だった

―動力室―
「リースさん、もういいですよ。ありがとうございます」
シルフィーと共に整備に取り掛かっていたリースに、クリスからそう言葉がかけられる。
「そうですか? 私はまだ大丈夫ですが」
「いえ、これはあくまで僕らの仕事ですし、丸一日付き合ってもらいましたからもう十分です」
「え〜? まだ直すところいっぱいあるのに…」
割り込むようにしてシルフィーがそんな事を言い出した。しかしそれを耳にしたクリスは一度ため息をつくと、少し怖い顔でシルフィーに目を向けて、一言。
「リースさんは今日は休みだったんだろう? それをシルフィーが無理につれてきたんだろう。 …厚意に甘えさせてもらった僕が言う事じゃないが、これ以上は僕達がやるべきだ」
「…」
黙り込むシルフィー。多少は今言われた事に関しては自覚はしていたのだろう。ちらりとリースの方へと目を向けてその表情をうかがっていた。
「そうですか。 …それじゃあ、今日は戻らせていただきますね」
リースはそれを横目で見てクスリと笑い、改めてクリスへと目を向けて頭を下げた
「ええ、助かりました。あんな事言った手前なんですが、また手伝ってもらえればありがたいですけど…まぁ、そうはいきませんよね」
「いえ、そう言ってもらえると光栄です。私なんかの手でよければいつでも貸しますよ」
「そうですか、ありがとうございます。でもやはり本来はこちらの仕事ですから… シルフィー、出口まで送ってやってくれ」
「はーい。 リース、わかってるだろーけどこの部屋結構入り組んでるから気をつけて」
「うん。 それではクリスさん、お疲れ様です」
改めてもう一度頭を下げ、シルフィーの先導で動力室の出口へと向かう。クリスはその後姿にかるく手をふると、何事も無かったかのように自分の仕事に戻っていった。
歩いてる途中に、整備班の天使と妖精達があわただしく駆け回っていて、その光景は今の状況の深刻さを物語っている。…もっと、私にできる事は無いんだろうか…リースはふとそんな事を思ったが、これといった案は思いつかない。自分にできる事、それはせいぜい今日のように簡単なところを手伝う程度だ。
「…にしても、リースって専攻間違ったんじゃないの?」
「え?」
いきなりの問いかけ。シルフィーが何の事を言っているのか分からずに、リースはその顔に疑問の目を向ける。
「だって、なんかウチの天使より手際よさげだったし、ちょっと教えただけですぐ理解しちゃうし、動きにも無駄が無いもん。技術部に来てもうまくやっていけたと思うよ、リースは」
特に何かを意図しているわけでもなく、何気ない顔でそんなことを言い放つシルフィー。
しかしリースは、その言葉に少し考え込んでいた。大きすぎる力を持った自分でも、そういった道も歩けていたのかもしれない…と。
…しかし…
「…ありがと。 でも、私が自分で決めた道だから、今さら変えるつもりなんて無いよ」
どこか自嘲気味な笑顔で、口から出す言葉はそれだった。
そしてその言葉を出した時、すでに動力室の出口にたどり着いていた。
「そっか残念。 …ところでこの後どうするの? もう寝る?」
「あ、うん。 ちょっと外を散歩してくる、私も外の空気吸いたいし…」
「そ。 それじゃ、私戻らないと。 …あ〜あ、なんでこんな面倒な事になるかなぁ…」
「文句言わない、自分の仕事でしょ?」
「は〜い。 それじゃ、おやすみ〜」
最後にそれだけ言うと、シルフィーは再び奥の方へと戻って行った。
残されたリースはやれやれとばかりに笑いつつため息をついた。手のかかる妹に対する姉の気持ちとはこんな感じなのかな? と自分でもよく分からない問いを自分にかけながら。


―森・ニーベルゲン周辺―
「あ、リース。今から出かけるの?」
艦を降りて、少し歩き出したところでいつもの6人の顔が見え、カノンの声が聞こえた。どうやら今帰ってきたところらしい。
「うん、って言っても森の中ちょっと散歩するだけ。 こんな時間に町に行っても仕方ないだろうしね」
「夜は夜で楽しむ方法はあると思うけどね」
「スフィア、この世界だと私達くらいの年齢で、こんな時間にうろついてたら補導―には少し早いかもしれないけど、面倒な事になるわよ」
ふぅ〜、と深くため息をついてスフィアのこめかみを小突くフレア。
…しかしいつものような精神的な疲れは見受けられない、今日の外出が気分転換になったのか、もしくは他の全員による問題になりそうな行動が少なかったか無かったかのどれかだろう。と、失礼かと思いながらもそう考えてしまい、心の中で笑うリース。
「ふぁ〜… フレア、眠いから先に部屋戻っとくね〜 みんなおやすみ〜」
その横で盛大にあくびをしつつ艦へと向かうリエル。遊びつかれて帰るなり寝るあたりは彼女らしいと言うべきか…
「おやすみなさい …と、では私も読みたい本があるので。お先に戻らせていただきます」
「…また明日」
次に、ルーンとルーティがぺこりと頭を下げて帰って行く。ルーンが言っている本とは恐らく出かけていた間に買ってきたものなのだろう、とルーンの持つバッグを眺めながら思った。
「やれやれ… それじゃあ、私達も帰るわ。リースの事だから大丈夫と思うけど、気をつけてね」
「あんまり遅くなるんじゃないよー?」
「なんかスフィアに似合わないセリフだね」
あはは、と笑いながらそんなセリフを口にするカノン。普段のイメージと言うものは結構怖いもので、覚えの無いレッテルが貼られてしまうことはよくある。 …ちなみに実際はスフィアはこーいうことに関する時間にはそれほどルーズじゃない。学校ではどうだったかといえば微妙なところだが。
そして、そのまま走り去るカノンを「なにを〜!」と叫びながら追いかけていくスフィア。あれもあの二人ならではのコミュニケーションのひとつであり、止める者はいない。
「はは… ま、何事も無く終わるとも思って無かったけどね」
フレアが口にしたのはなんとも言えない苦し紛れな笑顔を浮かべての一言。
直後に改めてリースに注意とおやすみを言い、軽く手を振って艦の方へと歩いて行った。


空では月が光り、そして無数の星々がまたたいている。そして、その下に広がる森…まばらな木々の隙間から見えるそんな空は、昼間とはまた違う幻想を秘めていた。
「綺麗な星空…もっとよく見えるところ無いかな」
どうせなら皆で見たかったな、と思ったが、先程わかれた6人はすでに自室に入って寝ているか趣味に興じているかだろう。まあ、こんな状況だからこそやりたい事をやるべきなのかもしれないけど、我が友人ながら無邪気なものだ、と少し苦笑する。
…空を見上げながら、再び歩き始める。一応周辺の状況の把握も兼ねての散歩のつもりだったが、この瞬間はそれも忘れて星を眺めていた。

しばらく歩いて、また足を止める。森から出てしまったわけではないが、木がまばらになり、視界が開けた空間に足を踏み入れていた。もうすきまとは言えないほど広い、頭上の空間に浮かぶ淡く明るく光る月は、丸く満ちている。
「…」
アレが、紅い月だったら自分はこの場から逃げ出していたかもしれない。忌むべき死の力を呼び覚ます月ならば。
…一応は、自身から溢れ出る力を押さえる術も覚えた。だからたとえ紅い月が出ていたとしても、もう自分の意思にそぐわないタイミングで覚醒してしまう事も無い。
ふぅ、とため息一つ。木の根を椅子代わりに座り込み、少し虚ろな瞳で夜空に浮かぶ月を眺めている。
……それから、どれだけの時間が経ったのだろうか。 ほんのわずかな時間だったのか、はたまた…
「あ」
突然、耳慣れない声が聞こえてきた。 …少なくとも、艦の中では聞いた事の無い声。
それに反応し、リースは我に返る。声が聞こえた右30度地点に目を向けると、木と木の間に立つ一人の少女がその視界に入ってきた。
(…人間?〉
人と天使に外見上の違いは全くと言っていいほど無い。ただし、天使には直感的に『違い』がわかる。
万物が持ち得る神の力の大きさ、人間と天使は他のものに比べてその力の容量が非常に大きい。 もっとも、天使と人間が持ち得る力の『差』自体がものすごく大きく、人間は力を力として行使できるほどの量は持ち合わせていない。 結果的に、神の力を『使う』ことが出来るレベルで保持しているのは天使だけとなる
…そして、天使は総じて無意識にその力の差を感じとることで、人と天使の区別をつけている―と、天界の参考書には記されている。
「こんばんわ」
「…っえ、あ…」
呼びかけてきた。 何の前触れも無く、ただ微笑んで。
「えっと… こんばんわ」
そして、いきなりの事で半ば混乱し、その言葉が口から出てきたのはほとんど無意識の行為だった。



どういう状況なのか? と聞かれれば、多分、彼女はぱっと答える事はできないだろう。
だが、説明できないほど複雑な状況におかれている、というわけではない。単に、散歩で向かった先で人間の少女と出会い、一緒に木の根を椅子代わりにして座り、夜空を見上げているというだけの状況。
ついでに言えば、少女が水筒で持ってきていたお茶なんかをもらってしまってもいるわけだが、リースはそれを口にしながらも半ば混乱していて、自分がおかれている現状をようやく理解できたところだった。
「あ、あの…」
「ん、何?」
慣れてくればフレンドリーな態度をとるが、本来はわりと人見知りするタイプでもあるリース。
まして、相手は自分とはまた違う存在である『人間』。精神構造などといった点では天使も人間に差というものはほぼゼロなのだが、『別の種』という意識がどうしても入り込んでくる。 それが、話しかけづらいという態度を助長させていた。
逃げようとも思ったが、雰囲気が行動に移すタイミングを完全に奪っていた。
「なんで、こんな時間に、こんなところに?」
それでも、ぎこちない笑顔を浮かべて、なんとか口を動かす。
「なんでって…星を見に、ってところかな。 昨日すごい大きい流れ星がこのあたりに落ちたみたいに見えたから、気になっちゃってね」
「お、大きい流れ星?」
あ、と思わず声に出しそうになったのを何とかこらえる。心当たりはある…と言うより、その大きい流れ星の正体といえばアレしかないだろう、という確信があった。
すなわち、自分達の乗る時空艦、ニーベルゲンの墜落。
ずいぶんと派手に墜落したものだ、とは思っていたが、街の方から目視できるようなレベルとは思ってはいなかった。
時空間からの離脱する瞬間の発光で艦自体の姿は眩み、落ちてきたものが艦だということがばれていないだけ、まだましな事かもしれないが…
「そ、そう。 でも落ちたように見えたって、本当に落ちてきてるわけじゃないんじゃないかな」
落ち着け、と何度も心の中で繰り返し、可能な限りの平静を装い話を続ける。それでも声は今にも崩れそうだし、少し冷や汗も浮かんでいた。
「うーん、やっぱりそう思う? 私も目の錯覚じゃないかなーとは思ってるんだけど… でも、やっぱり気になるじゃない、ね?」
「ね? って言われても…」
なまじ正体を知っているだけに、かえって何も言えなくなる。そして、それが絶対的に教えてはならないものならばなおさらだ。言ったところで信じてもらえるかどうかは微妙なところだが、実物を見せれば話は別だろう。
もっとも、それ以前にそれはご法度である。
とりあえず、ただ苦笑してごまかす以外の行動はおこせなかった。
「まぁ、本当に隕石なんて落ちてきてるなら、今頃もっと大騒ぎになってるはずだもんね」
「う、うん。そうだよ、気のせい気のせい」
…地面に激突する衝撃は、衝撃緩和の機能が生きていたためにほとんどゼロ。よってほとんど音も鳴っておらず、地面につたわる衝撃もほとんどないので、そういった手の観測は受けていないはずだった。
墜落したのも本当に真夜中だったので目視できた人間もほとんどいないのだろう…だからこそ、大騒ぎにはなっていない。
「えっと…いつもここに星見に来てるの?」
とりあえず話題を逸らそう、今この時、リースの頭の8割はそちらに向いていた。
「え? う〜ん毎日ってワケじゃないけどね。週一回、晴れてれば来てるかな」
「そうなんだ。 星、好きなんだね」
「うーん、星が好きっていうか、星空が好きなのよ」
「…星空が?」
そう尋ねるリースの言葉。
それを耳にした少女は、やわらかい微笑を浮かべると…空に向かって、開いた右手を突き出した。
まるで、何かをつかもうとするように。
「うん。 なんていうか…真っ暗な中でたくさんの星が光ってるのって、すごく不思議な世界なんじゃないかって思うの。それで、その向こうにはこの世界とは違う、それこそ、星の数だけいろんな世界が広がってる…なんて思ってるんだ」
じっと夜空を見て、楽しそうにそう語る少女の姿は、とても純粋で素直な子どものようだった。ただ、夢を忘れたくない…それだけの想いで、自分の中の世界を信じている。
リースは、その姿に少し見入っていた。
「子どもっぽいとは思ってるし、そんなわけないとも思ってるけどね。 でも、信じるだけならタダだし」
「…うん、そうだね、きっと」
…その言葉は間違ってない、と言ってあげたかった。断言してあげたかった。空の向こう、というわけじゃないけれど、確かにいろんな世界は存在する。それこそ、星の数なんか目じゃないくらいに。
そして、自分はそんな世界の一つから来た存在で、それが当たり前でもある。…なんとなく、軽い罪悪感を感じてしまう。
「あなたも、星が好きなの?」
「えっ……あ、うん。 私も、星空は好きだよ」
星空が好きだということに間違いは無い。宝石を散りばめたような空は、見ているだけでも気持ちいい。
ただ、自分にはそれだけでは考えきれないような想いが、夜空にはある。
それは、月。
今も、星と一緒に見えている月…あれが紅く光っている姿を想像するだけで、心が乱れる、息苦しくなる。
…この世界では、紅い月など早々見れるものではないのだが、その根付いた想いは和らぐ事は無かった。

また少し経って、二人はただ黙って空を眺めていた。
…なんだか、楽しい。リースの中には、そんな想い。
根拠があるわけでは無いけれど、目の前の人間と一緒にいる事を楽しんでいる自分に気が付いた。
恐らく、自分に無いであろう何かを持っている事に惹かれたのだろう。たとえ、それが何なのかは分からなくても。
「っと、もうこんな時間か。そろそろ帰らないと」
「え? …あ、ホントだ」
リースは懐中時計を取り出してその時刻を見た。 確かに、もうかなり遅い時間だ。
少女の方に目を向けると、出していた水筒をナップサックに詰め、背負っているところだった。
「あ、そうそう。そういえばまだ名前聞いてなかったよね。 私は観守 雪乃(みもり ゆきの)、あなたは?」
「えっ… あ、うん。 …リース… リース・ミスティアです」
突然尋ねられ、その声は少し裏返っていた。
「リース、ね。 もしかしなくても外人さん?」
「えっと、はい。そうです」
確かに嘘では無いだろう。相手―雪乃が考えている外人よりもさらに遠い意味での外人、だが。
「あ、そうだ。 明日、また会えないかな?」
「へ?」
「なんか、リースとは仲良くなれそうな気がしてね。 もちろん、嫌ならいいんだけど」
少し、考える。
別に、こちらが天使だと言う事がばれたわけでもないし、それに艦の事に気付きかけている人間は一応見張っておいたほうがいいのではないか…と、強引な正当化の理由を考え付く。
「…う〜ん…」
それでも、この人間―雪乃といっしょにいるのは楽しいと思う自分にも気付いている。 最終的に、無理な正当化はやめておこうと思った。
「嫌じゃないです。 明日なら、大丈夫だし」
「そ、ありがと。 それじゃあ、明日の朝10時くらいに…そうだなぁ、駅とかどう?」
この町の詳細データは、自分の部屋で見た記憶があった。
近場にある駅と言えば一つだけだ、地図を持って行けば問題なく辿りつけるだろう。
「うん、大丈夫です」
「おーけー。 それじゃ、よろしくね、リース」
満面の笑顔でリースの両手を握る雪乃。
一瞬驚いたリースだったが、すぐに笑って、その手を握り返した。







―天界・ミィル宅―
リースが、そんな思わぬ出会いを果たしていたその日。
少し時間をさかのぼった天界で、一つの動きがあった。
「先生、どこかにでかけるんですか?」
お茶を運んできた一人の生徒が、何かの支度をしているミィルを見て尋ねた。
「今すぐ、と言うわけではありませんが…ちょっと、貴方のお姉さんのところに、ね」
「お姉ちゃん!?」
テーブルにトレイごとお茶を置いたところで聞こえたその言葉に、過剰とも言えそうな反応を見せる少女。
その目には、心配やら期待やらの様々な感情が渦巻いているのは目に見えて明らかで、ミィルは思わずふっと、しかし見えないように微笑んでいた。
「大丈夫ですよ、様子を見に行くだけですから」
「あ、いえ。 …そこまで心配はしてません。今のおねえちゃんなら、何があっても大丈夫だと思ってますから」
信頼するのはいいんですけどね、と小声で返し、支度を中断する。
今すぐ出発するわけでもないので、慌てる必要は無いのだろう。
「あ、そうだ。 先生、出発は明日ですか?」
「はい、そうですが、何か?」
「渡して欲しいものがあるんです。 えっと、すぐに用意しますから、待っててください」
少女はそう言うと、ぱたぱたと走り去って行ってしまった。
あの子は、姉の事になるととたんに幼くなる。それは、過去あまり会う事が出来なかった反動だろう。
…もっとも、今でも会う機会は少ないのだが…
「私は郵便屋ではないんですけどね」
やれやれ、とばかりにそう呟いて、テーブルの上の湯飲みを手に取り、口をつけ…吹き出しかけた。
「……何をどうすればお茶をここまでまずくいれられるんですか…」
口に含んだ分は何とか飲み込み、黙ってゆのみをテーブルの上に置く。あの子は色々な面で姉以上の才能を持ってはいるが、どうも料理だけは壊滅的に弱い。お茶をいれるだけでこれなのだから、もうこれも才能の一種なのでは無いかとミィルは思っていた。
「ふぅ…それにしても、ずいぶんと派手にやらかしてくれましたね、あの男は」
遠く、空の向こうに目を向けてあまり気乗りしなさそうな顔でそう呟いた。




 

 


戻る

 

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送