セレスティアエンジェル

第五話



友達というものは、作ろうとしてできるときもあるけれど、どちらかと言えばいつの間にか出来ているもの。
そして互いにそれを自覚した頃には、もうそうなって随分の時間が経っているものだと思う。
……だったら、昨日森の中にいた女の子と自分は、もう友達と呼べる関係なんだろうか?
少なくとも、近くにいて居心地がいいのは確かだから……どちらにしても、いい友達になれそうな気がしていた。



―ニーベルゲン―
早朝というには日は高く、急な用事に対応するには遅いかも知れない午前9時。
……今、ニーベルゲンでは、軍のトップであり、総司令官であるミィルの来艦に対する、慌しい対応に追われていた。
しかしこれは、史上稀に見る、地上界への不時着事故に際しての臨時視察……と、それが起こり、報告を済ませた時点で予測はついていたはずの事だったのだが、何の手違いかニーベルゲン側への来艦の知らせが当日の早朝となり、ほとんどの乗組員にとっては寝耳に水をいれられたような事態で、慌てふためいている状態だった。
「……どうしよう……」
そして、乗員のほぼ全員が急な歓迎式の準備に終われている中、その例に漏れず、急な状況に困り果てている天使が一人。
……ただ、彼女に限っては、その困惑の出所は、突然の上司であり恩師の来訪と、その準備に狩り出された、という点のみではなかった。
「リースどしたの? せんせーがきて嬉しくないの?」
「す、スフィア……そ、それは、久しぶりだし、確かに嬉しいけど……」
―時間が無い。
本来の予定であれば、今から艦を出て、町の方へ散歩がてら歩き出そうかという時間帯のはずだった。
それが、突然の報告による突然の恩師の来艦……そして突然行われるという歓迎式。
仮にも乗組員の一人で、しかも7人しかいない戦闘要員であるリースは、さすがに自分だけそれを抜けるわけにもいかず、かといって昨日交わした約束もやぶるつもりもなく、制限時間ギリギリの狭間で苦しめられていた。
…そんな彼女の心情を知るよしもなく。急ごしらえの歓迎式の壇上に、小柄な少女の姿をした総司令官は登って行った。

歓迎式は、ほぼ儀礼的とも言える今後の方針の令と、今回の事故に対する忠告。
そして、ミィルが一日の間、視察という形で艦内に留まるという連絡だけが行われた。
それでも式というものを行えば、それなりに時間は過ぎてしまうもので、閉式となったその時には、すでに45分を回っていた。
解散を指示された乗組員達は、あるものは仕事へと、またあるものは休憩へとホールを離れていく。
当然の事ながら、騎士である彼女達7人も、式が終わった事で、人の流れに身を任せてホールから外へと出たのだが……
「……あれ、いない?」
その中にすでにリースの姿は無く、スフィア達はきょろきょろと周囲を見回していた。
「さっき、ものすごい勢いで部屋の方に走って行ったみたいだけど…」
唯一閉式後に彼女の姿を目にしていたらしいカノンが、そう一言。
式の終了後、真っ先にミィルの元へと行くだろうとふんでいた一同は、その行動の真意が分からず首をかしげるばかりだった。





―町内駅前―
「―はぁ、9時55分……駅前、間に合ったぁ…」
片手に持った地図と周囲の景色を見比べて、昨日の夜に約束し、待ち合わせの場所に間違いないことを確認する。
予想以上に臨時の朝礼が長く、解散と同時に自室まで走り出し、即行で適当な服に着替え、脱いだ制服をベッドの上に投げ捨てたまま船を飛び出して、なんとかこの時間にたどり着いた。
本来、『その世界の人間以上の身体能力』を見せる事は規則で禁止されているのだが、それも無視してほぼ全力疾走でここまできたため、一般的な人間より体力があるはずの彼女といえどかなり息がきれていた。
見る人が見れば、間違いなくスカウトに捕まっていたかもしれない。
―もっとも、リース側が足を止めない限り追いつく事は不可能ではあるが。
「…ふぅ。 雪乃さん、まだ来てないみたいだな」
なんとか呼吸を落ちつけて、周囲を一度見回す。 昨日見た顔は、その目には入らなかった…が、
「おっはよー!!」
「わあぁ!!?」
どんっ!! といきなり背中に衝撃が走り、一呼吸置いて油断していたリースは、心臓が飛び出るかと思ってしまうほど驚いた。一度落ちついたはずの脈が再び激しく打ち、整えたはずの呼吸も思いっきり乱れてしまう。
「ゆ、ゆ…ゆ、雪乃さん…いつのまに」
「たった今。 ちょっとおどかしてやろうかと思ったけど、期待以上の反応だったね」
恐らく彼女は、相手がそんな状態であることもわかった上で、それでも自分は楽しそうな表情を浮かべたまま、そんなことを口にしている。
……その様子を目にして、リースの脳裏には、なんとなく身近にいる誰かのうちの一人の姿が浮かんでいた。
―この人は、あの子と同じタイプの性格だ……と。
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
しかし性格が近い人なんていくらでもいるものだし、あの子に似てる性格なら、それはそれで仲良く出来る。
ただそれだけの根拠で自分を納得させ、とりあえず、あたりさわりのないような笑顔で返事をした。
別に、浮かんだ思考を口に出して言う必要もない。
「そっか。 それじゃあ、どうしようか? リースは、このへんあまりこない?」
「うん。 えっと……旅行で来ただけだから」
「…ふーん?」
旅行、という単語が出てきたその次の瞬間、どこかいぶかしげな顔を見せる雪乃。
リースは、瞬時にその表情の変化を読み取り、何かまずい事言ったか、と半ば無意識に軽く手を口に当てていた。
「こんな観光地らしいところなんて何もない町に旅行、か」
「はい……って、そうじゃなくて、その……」
何もないという部分を肯定するのは、例え相手の方が言い出した事でもさすがに失礼か、と少し慌て出すリース。
しかし、雪乃はそんな反応をするあたりも予測をつけていたのか、深くは追求せずに、ただ笑って答えていた。
「……はぁ、人が悪いです、雪乃さん」
「あはは、ごめんねー。 おわびにお茶でもご馳走しようか」
先ほどの全力疾走に加え、さらに疲れたような表情を浮かべるリースに対し、特に悪びれた様子もなく、にこにこという擬音でもついてきそうな笑顔のまま、そんな事を口にする。
……リースはその笑顔を見ていると、なんとなく、自分が人間とは違う存在であると言うことに、気付かれているような気がしてならなかった。
「いえ、そこまでして頂かなくても、お金くらい持ってますから」
……怪しまれそうな要素は、夜中に森の中にいたり、『流れ星』を見られていたりと、あるといえばあるかもしれない。
それでも、それは気のせいだろう、と言う風に自分に言い聞かせ、自らの平静を保つように、笑顔を取り繕う。
多分、この人はそれほど深く追求しては来ない。 そんな希望的な予想に、リースは身を委ねていた。
「そう? よかった、実は私お小遣いピンチだったりして」
「…あんまり、そういう時にそう言う冗談は止めたほうがいいと思いますけど」
言ったが最後、本気で奢らせる人というのは、探せばいくらでもいるものである。
……リースは、そういう性格をしている者の事を、一人か二人は知っていた。
「あはは、そうかもね」
肯定はするものの、まるで他人事のように笑う雪乃。
あの友人とは違った雰囲気も、会話の中でも確かに感じる事は感じるのだが……やはり、こういった態度を目の当たりにして入ると、彼女の姿が思い浮かんでしまう。
「……ところでさ、せっかく一緒に遊ぼうっていうのに、敬語は無いんじゃないかな」
「え? ……そう、ですか?」
「まぁ、リースがそっちの方が楽って言うなら止めないけど……いつも、友達とはどう話してるの?」
「どうって……」
……スフィアや、カノンを初めとした皆とは、基本的に自分は敬語はほとんど使わずに話している。
それでもルーンのように、付き合いは長くなっても敬語で話し続けるタイプもいるが、それは今雪乃が言ったように、『自分にとってはそうした方が楽』ということだろう。
「……うん、わかった。 よろしく、雪乃」
「イエース、上出来上出来」
リースは、スフィアに話しかけるつもりで、そう口に出してみると、雪乃の雰囲気が彼女に近いこともあり、思いの外すんなりと声に出すことができた。
その様子を見て上機嫌そうな笑顔を浮かべ、ぐっと親指を立てる雪乃。
―この人とは、仲良く出来るかもしれない―
…言葉遣いを変えた影響だろうか。 ふと、リースの脳裏をそんな一言が改めてよぎっていた。
「…ところで、これからどうするの?」
しかしそれでも、今のリースの頭の中は、出来るだけ早く艦へ戻りたい、という気持ちが多くを占めていた。
それは、恐らくミィルは自分の様子を見に居住区の方へと来ている頃だろうという、半ば願望にも近い予感からくる焦り。
ただ、目の前の彼女がせっかく会いに来てくれたのを無下にするのも忍びなく、ミィルは日が暮れるくらいまではいるという事もあり、時間を見計らい、てきとうな理由をつけて戻るようにしよう…リースは今、そう心に決めた。
「そうねぇ……おいしい喫茶店あるんだけど、そこにいかない? いろいろお話したいし」
「お話って……まぁ、はい。 そうしましょうか」
話、と言われても、自分のことを聞かれた場合どこまで話せるのかも微妙なところだが、ここで断るのもまた変な話だろう。
そう思い、リースは笑顔で返事をしたつもりだったが、その表情は、どこかぎこちないものも感じさせるものでもあった。






―館内居住区―
その一方で、ニーベルゲンでは歓迎式を終えたことで、ほぼ全員がほっと一息をいれてホールから退去していたが、それでも整備班の者達は休む暇も無いとでも言うように、動力室等の整備に走って行った。
現在、整備班はほぼ休み無しのフル動員中。 恐らく全てが直る頃にはまともに立っていられる者はいないだろう。
そして、歓迎式の中心に立ち、ゲストルームに向かっていたはずのミィルは今、居住区の一つの部屋の前で、かつての生徒達の歓迎を改めて受けていた。
「先生、お疲れ様でした」
ただ、その応対は先ほどの式のような儀礼的なものではなく、先生と生徒、もう少し言えば友人同士に近いややフランクなものではあるのだが、彼女達にしてみれば、そういった形の再会をしてこそ、本当の意味での『再会』となるのかもしれない。
「どうも。 先日の件は、無事で何よりです」

「ああ、あの遺跡ですか? さすがに大変でしたけど…まあ、なんとか」
「結局、あれ何があったんでしょう?」
「現在ヴァルキリー第六部隊が調査中ですが、あの件に関しては依然原因は不明です。 ただ……」
「ただ?」
「……いえ、ところで、リースがいないようですが……」
そう言いながらくるりと周囲を見回すも、目に入ってくるのはスフィア、カノン、ルーン、ルーティ、リエル、フレアの6人と、その後ろを行き交う乗組員のみ。
学生の頃から、大抵はこの6人とそろって行動しているはずの、7人目の生徒の姿はどこにも見当たらなかった。
「リースなら、式が終わるなり着替えてどっか行っちゃいましたよ?」
「珍しいですよね、先生が来てるのに挨拶もしないで出てくなんて……」
「雨か嵐かはたまた槍か? とりあえず何か降ってくるかもね」
約一名、妙に楽しそうな声でそんな事を言っているが、周囲の者は特に気にかける事も無く、完全に受け流されていたが、しかし……その一言の内容に対しては、全員が少し納得していた。
リースのミィルに対する信頼、親愛は非常に強く、近くにいると知っているならば、一度くらいは顔を見せるだろう事は間違いないと言いきれたはずだった。
それはミィル自身も理解しているのか―そう言うその表情は、こころなしかわずかに落ち込んでいるようにも見える
それはあくまで、彼女達の事をよく知る者に言わせれば、の話ではあるが。
「ミィル様、お部屋の準備が整いました。 一部目を通していただきたい書類もございますので、よろしくお願いいたします」
そうこうしていると、今回のミィルの護衛としてついて来ていたオーディン隊隊長、エレムが彼女達の前に現れる。
ぱっと見物腰が柔らかそうでありながら、どこか一本筋の通ったような雰囲気をも感じさせる女性で、その姿を目にしている6人も、思わず姿勢を正していた。
「わかりました。 ではエレム、私は書類に目を通しておきますので、あなたはブリッジで待機し情報を待ち、何かあれば私に報告してください」
「了解しました。 失礼いたします」
エレムはぴしりと敬礼の姿勢を取り、礼を解くと、何も言わず、すっとブリッジの方へと向かって行った。
ミィルとエレムのやりとりを黙ってみていた6人は、雰囲気に飲まれたのかぽかんとした顔でその後姿を眺めている。
「……それでは、あなた方はリースが戻ってきたら私の所に来るように言っておいてください。 個人的に、用事がありますので」
「…あ、はい。 わかりました」
ミィルは最後にその返事を確認すると、そのままゲストルームへと歩を進めて行った。
……残された6人は、最後の最後に張られていった緊張が一気に解けたせいか、詰まっていた息を大きく吐き出してしまう。
「……あの人がエレム・クルーディエス隊長か……」
「たしか12歳で《時の翼》を卒業し、セレスティアナイツに入隊で……」
「12って、カノンも将来ああなるのかな」
スフィアのその一言に、言われてみれば、と全員の視線がカノンに集中する。
彼女も、現在12歳。 つまり、卒業と入隊の経歴だけならエレムと同様という事で、可能性としてはありえない話でもないだろう。









―町・喫茶店―
開店して間も無い時間ということが影響しているのか、日曜日というわりには比較的席に空きがあり、リースと雪乃の二人は待つことなくウェイトレスに案内された席に座っていた。
既に注文を済ませ、二人で軽く談笑している。
「へぇ、もう働いてるんだ。 いくつなの?」
「歳は14だけど……私の住んでるところ、飛び級とか認められてるから」
「すごいね、私、自分が働くなんてまだ考えられないよ」
もっとも、リースは自分が出せる言葉の取捨選択を常に考えながらという、どこか気の休まらない談笑ではあるのだが、多少の失言も適当なフォローでごまかしつつ、なんとか会話をこなしていた。
「…私も本当は何がしたかったのかっていうと、よく分かってない感じだから」
「ふーん…でも、頭はいいんでしょ? 跳び級してるくらいだし」
「……うん、まぁ…勉強しかしてなかった時期があったから、その時のおかげかな」
スフィア達と出会う以前の自分は、人から逃げるために、ただ図書館の人家のない場所で、ずっと勉強ばかりしていた。
あまりいい思い出ではないし、それが功を奏したかと思うと皮肉な話かもしれないが―
「へぇ。 でも、あんまり根詰めすぎるときつくなかった?」
この気楽な物言いは、幾分かではあるが、リースの気持ちをやわらげていた。
「ちょっとね。 何もできないから勉強くらいって思ってたけど……やっぱり、友達が欲しかったみたい」
「あー、わかるわかる。 友達いないからって、勉強ばっかりしてる子って一人くらいいるよね」
……少々、心の琴線に触れるような言動もあるようではあるが。
と、そこで視界の端にエプロンドレスが目に入り、二人はそっちへと目を向ける。
そこには、トレイを持ったウェイトレスが笑顔で立っていた。
「モンブランとレアチーズケーキ、ミルクティー二つ。 ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
運ばれてきた二つのケーキと、二杯のミルクティーが、テーブルのそれぞれの前へと置かれた。
「はーい」
「では、ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスは微笑みを浮かべながら一礼すると、そのままスタスタと歩いて行ってしまう。
その途中で別の女性客に呼び止められ、同じような微笑みで接客している様子は、随分と様になっていた。
おそらくここで働き始めてから長いのかもしれない。
「かわいい制服だよねー。 あれ着たくてバイトに来る人も多いんだってさ」
カチャカチャとマドラーで紅茶を混ぜながら、なぜか自慢気に説明する雪乃。
シンプルな構造ながらもフリルが随所にあしらわれた制服は、確かに目を引くような出来栄えかもしれない。
「でも、着る人を選びそうだね……」
リースの印象はかわいいというのと同時に、セリフ通りのものを感じていた。
『可愛さ』という要素をある程度持ち合わせていれば問題ないかもしれないが、純粋に『美人』という人には恐らくアンバランスで似合わない。
とはいえ、少なくとも今自分達の所に来た彼女は、間違い無く着こなしている。
「なに、私じゃ似合わないってこと?」
「いえ、ただそう思っただけなので」
雪乃は美人でもあるが、どちらかというと可愛い部類に入るような気がするから似合うだろう、とリースは思っていた。
もしバイトになるなら、予告せずに見にくるのも一興かもしれない。
「それより、お茶冷めるよ?」
「…なんか引っかかるなあ、その返事。 なにか企んでない?」
「……雪乃って、疑り深いって言われない?」
「あはは、冗談冗談。 まぁ、直感は鋭い方だって言われるけどね」
「直感って……」
「おかげで毎月毎月テストのヤマとか聞かれてさー。 ちゃんと勉強してたらそんな心配ないってのにね」
溜息混じりに発せられるその言葉の中には、疲れや呆れ、加えて愚痴のような感情に満ちているかのようだった。
なんとなくその気持ちを察し、リースは苦笑混じりの表情を浮かべるしかなかった。
「……ヤマって、当たるものなの?」
「うん。 8割くらいは」
その確立に対しては、すごいと賞賛するべきか、微妙と言って一笑に伏すかのかなり際どい確立のように思えた。
確かに、直感で8割近いというのは高確率ではあるのだが、5回に1回は失敗するという微妙な線であることには変わり無い。
「…………」
そこまで考えて、ふとある一つの事に気付く。
「どしたの?」
下手をすれば、自分達の存在も、その直感とやらで気付かれるのではないだろうか。
リースの脳裏をよぎったその考えは、普通の思考なら『考えすぎ』でしかないと思うことだろう。
それでも、ほんの僅かだが、漠然とした不安のようなものも広がってくる。
もう少しこうやってゆっくりしていたいと思う一方で、最初に抱いていた早く帰りたいという気持ちもあり、さらにその上に重なるように、『これ以上下手な事は言えない』という焦りのようなものも現れていた。
「……えっと、実は、今朝急に用が出来ちゃったから……お昼には戻らないといけなくて」
とりあえず、動揺に対するごまかしと、帰るという意思を示すために、当たり障りの無いセリフを探しあてる。
「あ、そうだったの? うーん…それじゃ、なんだか悪い事しちゃったね」
「ううん、こっちもほんとに突然だったから……雪乃は別に、悪くないよ」
「そう、ありがと」
むしろ、わがままを言っているのは自分の方だ。
そう思うリースは、微笑んで断っているつもりが、わずかに気後れしているような色が、その笑顔の中ににじみ出ていた。
「……うーん、でもこのまますぐ分かれちゃうのもつまらないし……あ、午前中なら大丈夫?」
「え… あ、うん。 12時くらいまでなら……」
「それじゃ、お買い物つきあってもらえないかな?」
その時間の答えを聞くと、雪乃は改めてにこりと笑い、そう一言。
リースは、ケーキのひとかけらを口に入れつつ、当たりさわりのない笑顔でひとつ頷いていた。







―街・表通り―
「ふー。 やっぱりお休みは外に出ないとやってらんないよねー」
「私的には、ゆっくりと本を読んでいたい日の方が多いのですが…」
もうすぐ12時を過ぎようかという時間帯。車道にはそれなりに車も走り、それを挟む歩道を歩く人の数も、”活気付いた街”という分には充分な程度まで増えていた。
その人波にまぎれて歩くのは、スフィアとルーンの二人。
それぞれの手の中には、ぶ厚さは違えど同じ本屋の紙袋があり、スフィアはごそごそとその中身を確認するように封を開けていた。
「…そういえば、ルーンって真面目な本ばっかり読んでるイメージあったんだけど、そうでもないんだね」
ルーンは封を開けていないが、何を買ったかは見ていたらしいスフィア。
今日発売されたばかりらしい、ややコメディタッチな表紙の文庫小説を買う、友達の意外な面を見て、どことなく楽しそうにしていた。
「たまにはこういうのを読むのも悪くないですし、このシリーズは天界でも取り寄せて貰ってましたから」
「へぇ。 じゃあ今度貸してくれない? そういうのなら私も好きだし」
「いいですよ。 このシリーズは館まで持ってきてるので、戻ったらお渡しします」
「ありがと。 まぁでも今日はこっち読まないとね」
一度はがした封を貼りなおして、紙袋ごと見せつけるようにひらひらとふる。
中身はいかにもよくありそうな少女漫画で、それはそれで似合う、とルーンが思っていたのは隠れた事実である。
「……でも、フレアとリエルは艦に残るって言ってたけど、せっかくの機会なのに外でないなんてねー…」
「まぁ…先生の伝言もありますし、入れ違いになってはいけませんから」
「それは分かるけどさ、別に言わなくてもリースなら、帰ったらその足でせんせーとこに行きそうなものだけど……っと」
突然セリフを止め、ぴたりと足も停止させるスフィア。
「どうしたんですか?」
一歩遅れてルーンも足を止め、スフィアの顔を覗きこむようにして声をかける。
すると、『あそこ』と言わんばかりに右手でどこかを指差し、その目も同じ方向に完全に固定されていた。
「……あ、リース…」
その向こうに見えるのは、フラワーショップの前に立つ、よく知った親友の姿。
「うん。 ……一緒にいるのって、にん……人だよね?」
しかし、その横には二人も見た事がない、人間の少女が一人立っていた。
二人とも、どこか楽しそうに花を眺めている。
「……規則では正体を隠せというだけで、別に『関わってはいけない』というわけではありませんし……問題は無いと思いますよ?」
「それはどうでもいいよ。 それより、あの子が初対面の子とあれだけ仲よさそうにしてるのって珍しくない?」
「…言われてみれば、そうですね」
「あ、でも最近はあの妖精とかクリスさんとかとも仲いいみたいだし、そうでもないのかな…?」
うーん、と唸りながら腕を組み、考え込むスフィア。
自分達仲間以外の人は苦手で、若干避けるような態度があった学園時代の彼女と、今目に映っている彼女。
それなりに長い付き合いであるスフィアには、その違いは存外大きいもののようだった。
「まあ、いいじゃありませんか。 人と接するのが苦手なのが、リースの弱点みたいなものでしたし」
「うーん……確かにそうね。 そのへんはどうにかしたいと思ってたし、よかったのかも」
腕をほどき、微笑むような表情を、視界の向こうにいる親友に向ける。
……向こうは自分たちが見ている事に気がついていないが、二人は彼女のどことなく楽しそうな姿を見ているだけで充分だった。
「…では、私達は帰りましょうか。 見つかるとややこしくなる気がしますし」
「そう? もーちょっと様子見ていたい気もするんだけどなー」
「友達の友達が友達になり得るかどうかはわかりませんし、覗いていればいずれ見つかりますよ」







「―……ん?」
ふと、花から目をそらして、背後へと目を向ける雪乃。
「どうしたの?」
「…いや、なんか視線を感じたんだけど、気のせいかな」
「視線って…」
そう言いつつ、リースも雪乃のそれを追うようにして同じ方向へ顔を向ける……
と、その向こうにはどこかで見た事のあるポニーテールの青い髪と、濃い茶色のみつあみの二人組の後姿が目に入った。
そんな髪型で、自分をじっと見るような相手を思い当たるとすれば、あの二人しかいない。
「……気のせいじゃないかな。 カンだって外れる事もあるんでしょ?」
「そうね。 どーも中途半端に当たるものだから、苦労するわ」
―充分鋭いと思うけど―
そう思ったが、声には出さずに、雪乃の苦笑いにあわせて笑うだけに留める。
別に自分の知り合いがいた、と言ってもいいのだが、向こうが遠慮してくれたのを無碍にする事もない。
第一、今自分は『旅行先』にいる、あまり知りあいという言葉は使わないほうがいいかもしれない。
「…それより、どうしてカーネーションを? プレゼントは、そっちのほうじゃ……」
視線を前にある花に戻し、改めて話題を花の方へと引き戻す。
「どうしてって……今日は母の日でしょ?」
「母の日って…………あっ」
少し考えて、学生時代に人間界の事で、母親に感謝する日ではカーネーションを送るという文化を持つ世界が多いと聞いた記憶が思い当たった。
「え、えっと……その、ちょっと家族と疎遠だから……そういうの、考えたこと無くて……」
「疎遠って、別居でもしてるの?」
「う、うん……ちょっと訳があって……」

妹とは学校で会う機会があったが、親とは入学して寮に入って以来、一度もあっていない。
天界にも母親に感謝する日、という定義はあるのだが、それすらも自分の中では意識の中に入っていなかった。
「…別に、他人の家の事をとやかくは言わないけど……親と仲悪いの?」
「ううん。 むしろ、手紙出してくれるくらい、心配してくれてる……でも、なんだか気まずくて……」
家に戻るか、ミィルの家に留まるか、それとも軍内部の宿舎を利用するか……それは、今回の航海に出る前に、ミィルから聞かれた事。
親からの手紙は時々来ていたし、その内容から嫌われているというわけでもない。
それでも、『今更帰ってどうなる』という意識は強く残っていた。
「返事は出してるの?」
黙って首を横に振る。
すると、その直後に一本の赤色のカーネーションが、目の前に突きだされた。
「だったらさ、これと一緒に返事を出せば? きっと喜んでくれるよ」
「……これを?」
「うん。 赤色の花言葉は『愛』 恋愛とかの意味でも使われるけど、母の日に送られる理由もコレだと思うよ」
「…………」
「いっぺん返事出してみなって。 きっと喜んでくれるから」
……多分、自分が苦悩しているのを分かっていないわけではない。
それを分かった上で、目の前の人間は、ただ純粋に自分の事を思って言ってくれているのだろう。
そっちの方が、きっといい方向に向かうだろう、という『直感』を元に。



「……あの、カーネーション、二本いただけますか?」















―ニーベルゲン・ゲストルーム―
突如来訪した上官のため、臨時に用意された部屋。
元々最低限くつろぐことのできる家具は設置されていたものの、普段誰も使う事が無いために、余計な物は何も置かれていなかった。
今この場所にいるのは、ミィルただ一人。
時間は2時を超えたくらいだろうか、用意されたソファに腰かけ、緩やかなクラシック調の曲をBGMに、ただ静かに本を読んでいた。
「……どうぞ、鍵なら開いています」
ノックと共に、聞きなれた声が聞こえ、ミィルは読んでいた本を横に置き、その声の主を招きいれた。
がちゃりとドアが開き、そして一人入ってくると、閉じられる。
「ミ先生、お久しぶりです」
「……まだ10日程度だと記憶していますが、久しぶりというほどでしょうか」
「いえ、今までずっと、毎日顔をあわせていたので……」
親しいほど、離れていた時間は長く感じる……それは道理というものだろう。
「そうですね。 では、お久しぶりです、リース」
「……いい直されても、それはそれで変な気分です」
目の前の恩師の対応に、苦笑しながらそう答えるリース。
その時のミィルの顔は、彼女をよく知る者が見れば、どことなく楽しそうな表情に感じられたかもしれない。
「…あの、フレアからご用があると聞いたのですが、その前に一つよろしいでしょうか」
「……なにかあったんですか」
―ああ、この顔はなにか面倒ごとを引きつれてきた顔だ。
ミィルは、リースのそのセリフを聞き、顔を目にした時点で、そんな思考が脳内に立ち上がっていた。
「えっと、そのー……実は、人間の方と友達…という感じになってしまったのですが」
「…友達?」
大変、と言うよりは意外という感覚の方が先走って現れるミィル。
リースが『初対面の誰か』と友達になるという事は、それだけなかなか考えにくいことであるらしい。
「それで、別れ際に電話番号渡されたんですよ……断りきれずに受け取ってしまったんですが……」
「…………」
しかし、直後に耳にしたその一言で、そういった思いも一気に吹き飛び、困ったように眉間に軽く手を当てるミィル。
住む世界が違うのに、そこまで関係を持たされて大丈夫なのか…と。
「……とりあえずかけてください」
「あ、はい」
言葉に従い、対面のソファに座るリース。
ミィルはそれを確認すると、溜息をひとつついて、改めてリースの顔へとしっかりと目線をあわし、口を開く。
「そういった事は、一応対応は可能です。 世界を隔てての通信は、この艦と天界の通信を見ても可能ですからね」
「はあ……」
「渡された以上、一度連絡するのは筋と言うものでしょう。 ……ただ、その後はその友達にも、連絡はひかえるように言っておきなさい」
「…はい」
「…まぁ、天使ということが分かっていなければ問題はありません。 私から回線についての話は通しておきますから、連絡を待つように」
「……わかりました」
「全く……卒業して少しは手を離れたかと思いきやこれですか」
「………ゴメンナサイ」
なんらかの関係を持つ程度なら規則で縛られてもいないし、これと言った罰則も無いとはいえ、今後面倒な事になりかねないことを下ことにはかわりない。
すでに、リースはソファの上でかなり小さくなっていた。
「……まあ、とりあえずそれはよこに置いておきましょう。 それより、こちらの用件を伝えます」
「あ、はい…」
足元に置いてあった小さめのバッグから、一通の青空色の封筒を取り出し、テーブルの上の、リースの目の前に差し出した。
「これは?」
「手紙ですよ。 貴方の妹から」
「! レイ!?」
『妹』という単語を耳にした瞬間、慌てて手にとった封筒の封を破るリース。
中から取り出された便箋も、淡い青色で、隅にクローバー模様があしらわれたかわいいものだった。
「心配していましたよ? 航海に出る前にも、顔を出してくれなかった、と」
そう言ってみるものの、すでに手紙の中身に没頭しているらしく、ミィルのことばはまったく耳に入っていないようだった。

……そして、4〜5分ほど経っただろうか、手紙を膝の上に置き、息をするのも忘れていたかのように、とそのまま大きく深呼吸をする。
「そっか、あの子も元気にやってるんだ」
「ええ。 貴方が出ていってから、よく私の家にやってきますよ」
「……お父さんと、お母さんの事は何か言っていましたか?」
「…今、何と?」
「…レイは、お父さんと、お母さんの事……何か言っていましたか?」
聞き慣れない単語―いや、『リースの声』で聞く分には、聞き慣れない単語だった。
彼女と知り合ってから、親の事を自分から尋ねてくるというのは、今まで一度も無かった事。
「…いえ。 その手紙に書いていないと言うのなら、気を使っているのではありませんか?」
「そっか。 ……そうですよね」
「……ただ、何も言わないという事は、大丈夫という事でしょう。 あの子は、貴方の親に何かあれば、真っ先に貴方に知らせると思いますよ」
「……そうですね」
別に、親が嫌いなわけじゃないし、自分への愛情も、いつも送られて来る手紙から充分に感じられる。
何かあると知れば、自分も真っ先に駆けつけるだろうと言える自信はある。
……ただ、『何かないと』会うことも出来ない自分が、歯がゆかった。
「……先生、手紙のついでに、お願いしたい事があります」
だからこそ、この一歩は、今やらなければならない。
「なんですか?」
「……これを、レイに渡して欲しいんです」
そう言って出すのは、一通の封筒。
母親に、とはまだ言えないけれど、それでも妹に渡せれば、その内容を見て母親に見せて貰えるだろう。
そう願っての、一言だった。
「…すでに用意しているとは、分かっていたのですか?」
「いえ……ただ、出さずにはいられなかったから……先生が来ている今なら、渡していただけると思ったので」
微笑んで、それだけの返事をする。
「…全く、私は郵便屋ではないのですが……」
そう言いつつも、ミィルは軽く頭を抑えながらも、その封筒を受け取り、先程レイからの手紙を取り出したバッグの中に、それをしまい込んだ。
「すみません、お手数かけさせて……」
「いえ、いいんですけどね。 ……それより、その花は送らなくてもいいのですか?」
「え? ……あ、これは……」
手紙と一緒に持っていた、白い包装紙に包まれた二本の赤いカーネーション。
それを指摘されたリースは、慌ててそれを背中に隠しかけるが……その直前、思いなおしたかのように、テーブルの上にそれを差し出した。
「……えっと……今日は、この世界では母の日だそうなので……先生に、贈ろうと……」
「……私に? 二本ともですか?」
今度は、黙ったまま首を縦に振る。
「……貴方にとって私は、先生ですか? 母親ですか?」
「…先生は、私にとって先生で、母親で、友達で……お姉さんでもあって……とにかく、大切な人ですから。 その気持ちが、伝わればいいな、と」
少し照れくさそうに顔を赤らめて、笑顔のままでそう答えるリース。
しかし、その笑顔の中には、ほんのわずかな陰りが見え隠れしているようにも見えた。
その様子を、ミィルはしばらくの間じっと見つめていたが、何かを察したように小さく頷くと、テーブルの上のそれを手にとり、口を開いた。
「わかりました。 手紙の件も含めて、受け取っておきます。 ただ……」
「はい?」
「私は貴方のような子供も妹も持った覚えは無いのですが」
「…いえ、ものの例えなんですが……」
「分かっていますよ。 ……家族などという扱いを受けたのは、久しくなかったものですから」
ふっとわずかに笑みを浮かべて、そう答える。
リースは、先生にとって自分は、元生徒で部下でしかないのだろうか、とも考えたりもしていたが、そのわずかな表情の変化を察し、何も言わずに微笑みを浮かべていた。

ピピピ…  ピピピ…

と、その時、この部屋への通信が、二人の間に割って入るかのようにかかってきた。
通信機器に目をやると、その発信先は『ブリッジ』と表示されている。
「なにか動きがあったんでしょうか?」
「そうですね。 おそらく、修理の目処が立ったといったところでしょう」
そう言いながら、ブリッジとの通信回線を開くミィル。
リースはその会話の妨げにならないように黙り、通信を行うミィルの姿をジッと見つめていた。
「……そうですか。 すぐに向かいます」
ある程度時間が経ち、最後にそう言って、通信を切る。
そして何も言わずに立ち上がり、外へのドアへ向かって歩き始めた。
「あ、先生。 戻るんですか?」
「ええ。 貴方も出なさい、私がいなければ、ここにいる意味は無いでしょう」
「はい」
ミィルはドアを開け、後からリースが出るのを確認してから、それを閉じ、鍵を閉めた。
そして、その目を一度リースの方へ向け、そのままブリッジの方へと歩き始めるが……
「先生」
その直後、背後から聞こえてきた声に、足を止める。
「レイに、お手紙ありがとうって、伝えておいてください」
「……」
「それと、私の手紙も……よろしくお願いします」
ミィルが自分の方へと向き直るのも待たず、その立ち止まった後姿に向かって、深く頭を下げる。
軍属の敬礼ではなく、純粋なお願いの意思を含めた一礼。
ミィルは振り返る事もなく、そして何も言わずに、一度頭を縦にふると、そのまま通路を歩いて行った。





 

 


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