セレスティアエンジェル

第六話



―恋をして恋を失った方が、一度も恋をしなかったよりマシである―

これはとある地上界にいたという、ある人間が言ったとされる格言の一つである。
結論から言ってしまえば、格言も受け取る者の心次第で無意味なものにも有意義なものにもなりうるもの。
特に、恋とは人によって重要視する度合いが大きく変わってくるもので、そればかり追う者もいれば、全く興味など持たない者もいる。
命短し恋せよ乙女、なれど、恋は盲目なり。
例え手狭な艦の中であろうとも、恋から呼びこまれる騒動というものの、一つや二つはついてまわるらしい。

「ディート副長、写真が落ちていたのですが……」
「これは……ジークのだな」
「艦長の? ……でもこの映ってる人って……」
「……思い浮かべてるところ悪いが、お前の知っているやつじゃない。 確かに似ているけどな」

……もちろん、その騒動の大元となる人物は、乙女に限られるわけでは無いのだが。






「―うん、ごめんね。 私自分のケイタイとか持ってないし、お仕事も多いから、あんまり電話もかけられないの」
……地上界への墜落事故から数日。
この日、リースは午前中の時間を見計らい、ミィルに用意してもらったという回線を使い、地上界で出会った人間の少女、雪乃と言葉を交わしていた。
とりあえずの目的は、電話番号を教えて貰った以上、一度くらいはかけておくという礼儀のためと、こちらからかけるのも、雪乃の側からかけてもらうのも難しい、と言っておくこと。
「……あ、ゴメン。もうすぐ仕事に行かなきゃいけないから……落ちついたら、また連絡するね。 それじゃ」
そこまで言うと、かちゃり、と受話器を本体へと戻す。
地上界へ行った艦と、天界とで連絡を取り合うように、地上への連絡回線は、許可をとれば個人でも使用できる。
もちろん、そんなものが用意されているのは、こういった事態は前にもあったからであり、今のリースのように、人間と知り合ったばっかりに、ある程度定期的にかけざるを得ない、という天使も片手か両手で数えるくらいはいる。
―基本的に、天使というのがばれないようにする、というのが前提条件なのだが。
「……でも罰は無いんだよね……」
ばれたからと言って、基本的に処罰らしい処罰は無い。
ただ、知られた相手が住んでいる世界によっては、余計な混乱を招くことも多いのでとられている決まりごとではある。
……ほぼ形だけ、というものではあるけれども、一応規則という形になっているのが効いているのか、過去に前例はいくつかあるものの、現在はほとんど『ばれる』域に達する事は無い。
「……いっそ知られた方が気が楽なのかな? なんて……」
こうなってしまった以上、考えるだけ仕方が無いだろう。
リースは一つ溜息をつくと、軍規定の制服に着替え、軽くみだしなみを整えると、部屋の外へと出て行った。




なんとか空間転移回路の修理が完了し、もっとも避けるべき機械文明の世界から抜けだすことの出来た時空艦・ニーベルゲン。
”森に落ちたらしい巨大な流れ星”など、多少は噂話としては残ってしまうかもしれないが、大きな騒ぎは起こさずに離脱できただけ御の字と言ったところだろう。
……とはいえ、結局墜落の原因ははっきりとはしないままだったのが、乗員達の不安をあおる形になってしまったという事実は否めない。
そして、そんな気苦労が祟ったのか単なる偶然なのかは不明ながら、艦全体で少々頭を悩ませるような事態が起こっていた。
「三人ダウンか。 疲れでも出たのかなぁ」
居住区の、談話室。
いつものように7人そろってここに集まるかと思われたリース達ナイトのメンバーだったが、今この場に顔を見せているのは、リース・スフィア・ルーティ……そしてリエルの四人だけだった。
「うーん、それもあるかもだけど、艦全体で流行っちゃってるみたいだし……地上で風邪でも拾ってきちゃったのかも」
「風邪ねぇ」
原因は、二人のその言葉通りに『流行風邪』の一言で片づけられる。
症状自体は大した物ではなく、熱が出て軽い頭痛などが平行して現れるだけのもの。
医療班の診断によると、薬を飲んで寝ていればすぐに治るというものなので、これといって大きな心配をするほどのものではないようだ。
「それにしても……珍しい組み合わせよね」
「あ、そういえばそうかもー」
特にこれといった話題も無く、そろってぼーっとしていたそんな中、スフィアがぽつりと漏らした一言に、リエルが反応する。
そして、言われてみれば……と、残る二人もその一言に納得する。
リースとスフィア、カノンの組と、ルーンとルーティの組。 そして、フレアとリエルの組……
基本的に全員が揃っている時以外はそんな特定の組み合わせでいる事が多いこの7人で、こういった半端な状態で集まるのは実際は珍しいものだった。
「ま、リースはまた整備班の手伝いにでも行くんだろーけどさ」
「あ、うん。 今人が足りて無いから手伝って欲しいって言われたから……もうちょっとしたら行くつもり」
「もー、ホントうらやましいわ。 クリスさんみたいなカッコイイ人に手取り足取り教えてもらって、手伝ってんでしょー?」
「手取り足取りって……」
「男女の愛の前には、女同士の友情なんて紙くず以下なのかしらー」
それだけ言った後に、”はぁ〜…”と見るからに深い溜息をつくスフィア。
リースに言わせてみればクリスは単なる友人であり、加えて言えば整備班にはシルフィーもいる。
そんな大切な友人達が困っているから、手を貸すのは当然の事と考えているだけである。
……それと、そこまで男性関係にこだわるスフィアの気持ちも、自分にはあまり理解できないものだった。
どこまで本気で言っているのかわからないのが正直なところだけれども。
「リエルだって、なんか学園時代からファンクラブとかあるしさー、その気になったら選べるくらい相手いそうだしねー」
「え? 何の話?」
質実剛健、才色兼備。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
”喋りさえしなければ”超一級の美人であるとまで言われた彼女である。
とはいえ、ファンクラブと言っても実際のメンバー達は彼女のことを”高値の花”として見ている者が殆どで……(うわべが)完璧すぎてかえって付き合いたいと言い出す者は少なく、浮いた話は一度も無かったのが現状だった。
――尤も、彼女本人はそんな事実の全てを知らないまま卒業してしまったのだが。
「もう男の人に脈が無いのなんて、私とルーティくらいなもんだわ……ねぇ?」
ここまでくると、そんなへこんだ態度もかえってわざとらしく感じてくるのだが、リースはそれをいちいち止めるような事はせず……リエルは、そもそも状況を良く分かっていない。
そんな状態から、いつもは全員が受け流すような状況のはずだったが……


「……私、付き合ってる人いるけど……」


『…………へ?』
一瞬空気が凍ったかのように場が静まり返り、一瞬遅れて三人の間の抜けた声が揃う。
ツキアッテルヒトガイル? 突き合ってる人がいる? ――違う、『付き合っている人がいる』
それはつまり……世間一般的に言う『彼氏』という存在がいるということになる。
「え、ええええええええ!!? ちょっとルーティ、そんな人いつの間に!!?」
真っ先に硬直が解けたスフィアが、ものすごい勢いでルーティの肩を掴み、揺さぶるようにして問いただし始めた。
さすがに付き合いも長い彼女達だったが、お互いに知らない事などまだまだいくらでもある。
それは全員が承知の上ではあったのだが、この事実のカミングアウトはあまりに衝撃的だったようだ。
「……告白されて、受けたから……」
「あ、あああ……」
ふらり、とオーバーリアクションでよろめくスフィア。
いい加減時間が経過してリースとリエルの硬直も解けていたようだが、もはや目の前の状況に口を挟むような事はしない。
……したところで、何か変わるという事は無いとわかっているから。
「あんただけは、仲間だって信じてたのにーー!!!」
さも少女漫画のワンシーンのように涙を宙に舞わせて……という表現を当てはめるには勢いがありすぎる速度で、談話室から逃げるように飛び出していくスフィア。
まぁ2〜3時間もすればいつものように立ち直っているだろうと、三人は特にそれを追いかけるような事はしなかった。
一見冷たい対応のようにも思われるかもしれないが、ああなったスフィアへの対応は、時間が経つのを待つのが一番だということが、付き合いの長い彼女達にはわかっているからこその行動である。
「…………ルーンの様子見て来る」
「……え、あ、うん」
そして、唐突にそう口にして立ち上がるルーティ。
その顔はいつもの無表情なのだが、気のせいかどこか不機嫌そうな光が瞳の中にちらついているように映る。
……もしかして、彼氏がいないと思われてたのが気に障ったのかな?
リースはそう思い至ったが、さすがに口に出して尋ねる事はできず、スタスタと出て行くルーティの後ろ姿を目で追うばかりだった。
「ふぁー、ルーティにボーイフレンドがいたなんて驚きだねー」
そしてその彼女の思考など知るよしも無く、そんな事をあっけらかんと口にするリエル。
「あの、リースさん。 少しいいですか?」
――丁度その時、彼女に向けて呼びかける声。
それに気がついたリースは、あ、と小さく口にしつつも表情を取り繕い、呼びかけたその相手に顔を向ける。
まず目に入ったのは、艦内で時々みかける女性クルーの一人。
たしか、この艦のデータやその書類の管理をしている部署の人のはずなのだが……
「あの、ちょっと人手が足りなくて、書類整理とかフレアさんに手伝って貰おうと思ったんですけど……」
「あ、ごめんなさい、フレアも風邪にやられちゃってて……」
「そうですか。 ……んー、まぁ、仕方無いですね」
「ねー、それじゃあ私やろうか?」
彼女の言葉に、申し訳無さそうな表情で答えるリース。
対して、彼女はフレアの状況もある程度は察していたのか、少し困った表情ながら、笑って取り繕うように返事をする。
「あの、それって私でも?」
「あ、はい。 専門的なところは私達が処理しますから、リースさんなら大丈夫だと思いますよ」
それに対して申し訳なくなった……というわけではないようだが、すこし気まずそうな表情を浮かべながら、そう尋ねてみるリース。
書類整理などは専門ではないが、時々フレアと共に手伝うこともあるので、おおまかな内容は把握しているつもりだった。
彼女もそれは了解しているらしく、快くその言葉を受け入れる。
「ねー、私はー?」
「ただ……人が足りない上にこないだの件の報告書その他諸々あるので、量が大変だと思いますが……」
「ん……まぁ、困った時はお互い様だし。 あ、でも整備班の手伝いも頼まれてるから、途中で抜けるかも」
「構いませんよ。 お手伝いしてくれる人にそこまで言えませんし」
「ねぇ、わたしもてつだうよー」
「それじゃ、ついて来てください」
「うん。 あ、リエルはフレアの様子見て来てくれないかな? やっぱり、あなたが行った方がフレアも喜ぶと思うし」
「う、うん」
そして、おもわずYESと答えてしまい、一人取り残されるナイトリーダー・リエル。
なにも二人に彼女の声が聞こえていなかったわけでもなく、その行動の理由は単に『不安』の二文字に圧縮される。
……とりあえず、不服そうな顔をしながらも自分達の部屋に向かって歩き始めるリエル。
今に始まった事では無いのだが、やはりいざと言う時に頼られないというのは多少気になるのかもしれない。









「あーあ、なんかどっと疲れたわ……」
一方その頃、どこへ向かうというわけでもなく、艦内の通路をさ迷い歩くスフィア。
友人に恋人がいるというのなら、それはそれで祝福してあげるものだとは思うのだが、一番意外な相手に先を越されたという意識と、友達なのにそのことを教えてくれなかったという想いが苛立ちを感じさせていた。
「……あとで謝っとくか……」
とはいえ、そんなのはこっちの勝手な思いこみである。
そして逃げる際に残してきた一言は、ふとした程度のことではあるものの、人によっては怒りを誘発させかねないもので、スフィアも、少しは気にしているようだった……
「とはいえすぐに戻るのもシャクだしなぁ……しばらく食堂にでも行ってようかな」
…のだが、思考と感情は別問題で、きまずさもあいまって出てきた答えはそんなものだった。
しかし食堂、という単語がとりあえず出てきたものの、特におなかが減っているわけでもない。
それでも、行く当てもなくフラフラするよりはマシだろうと結論付けて、仮の目的地であるそこへと足を向ける。
「……ん? あれ、ジーク艦長?」
――と、そうして少し歩いたところで、そろそろ見慣れてきた男性の姿が目に映る。
ジークフリード・セルゼイ。 愛称はジーク。
この時空艦・ニーベルゲンを統括する歳若い艦長で、かつて前線にいたころ、任務で地上界に紛れ込んだ天界の竜を相手に単身勝利したという偉業を成したと言われている。
その際の傷で前線を退くこととなり、現在はこうして一つの部隊を任され、指揮する立場にあるという。
「ん、ああ……スフィア君か。 どうかしたのか?」
なんとなく目に入ったからその名を口にしただけだったのだが、それもしっかりと耳にはいっていたのか、微笑んでスフィアへと振り返るジーク。
よく見るとそれなりに端整な顔立ちで、このくらいなら彼女が一人や二人いてもおかしくはないように思えるのだが、やや気楽な性格からくるのかどこか頼りなさげな空気も滲ませているため、実際にいたという話は誰の耳にも入らない。
ドラゴンスレイヤーの異名から英雄視する者もいるにはいるのだが……そういう者は、大体初見で落胆する。
「いえ、別になんでもないですよ。 こんなところでどうしたのかなーって……」
「いや、ちょっと艦内の様子を見てただけだよ。 風邪が流行っているようだから、各部署の状況も把握しておきたいからね」
「ふーん、艦長も大変なんですねー。 偉いからってぼーっとしてられないのか……」
「……って、俺そんな風に見られてたのか……?」
……部下から怠惰に見られる上司ほど頼れない者はそういない。
笑顔は崩していないが、その瞬間のジークの表情には確実に焦りのようなものが差し込んでいた。
「そーいうわけじゃないんですけど、普段何してるのかよく知らないなーって思ったんで」
「おや、興味あるのかい?」
「んー……無い事は無いですけど、それほどでは」
「そうか……ああ、でもいい機会だ、時間が空いてるのならついて来ないか? 一人で見周りというのもなかなか寂しくてね」
ははは、と笑いながらそう口にするジーク。
しかしその表情からは大きな自信は感じ取れず、『ぜひ同行させてください!』などという積極的な言葉までは期待してないようだった。
恐らく今口にした一言は、単なる冗談混じりの提案、といったところだろう。
「……そうだなぁ……うん、構いませんよ」
「……ホントに?」
「ええまぁ、今は特にやることもないので……って、どうかしたんですか?」
”ん?”とでも口から出てきそうな形で首をかしげて、スフィアはそう答える。
……それはそうだろう、ジークの表情が、今までにないほど呆気にとられたようなものにかわっていたのだから。
「あぁいや、すまない。 こうして女性を誘うというのはあまりなかったな、と思ってね。 ははは……」
「ふーん、じゃあもしかして見周りなんて私を誘う口実ですか?」
「まぁ、そうとってくれても構わないよ。 じゃあ行こうか」








「……なんか、どえらいシーンを見てしまったような気が……」
少ない人員でどうにかいつも通りのノルマをこなそうとする部署が多くある中、ブリッジは最低限の頭数は揃っており、比較的いつも通りの空気に包まれていた。
とはいっても、実際にやることといえば計器やその他の機能の確認と、天界からの通信などへの注意くらいで、現状はむしろ暇と言ってしまってもいいかもしれない。
「まあ、いずれはそういう形で関わることになってただろうな。 それがたまたま今日だったというだけだ」
副長であるディートと、ブリッジにいる乗員達の目に映るのは、艦内の各所に設置されたカメラの一つに映る一組の男女……ジークフリードと、スフィア。
彼らがモニターに移ったのは、モニターの動作点検からきた偶然だったのだが、一同の注意を集めるには十分な要素だった。
「……それにしても、見ればみるほどそっくりですね……さっきの写真の人と」
「そうだな、さすがに俺も最初に見た時は驚いた」
乗員の一人の言葉に答えながら、先ほど拾われてきた写真を取り出し、モニターの中の彼女と見比べるディート。
……その写真に写っているのは、かつて時の翼に通っていた頃の自分とジーク、そして……
「あれー、この写真に写ってるのって、ジークさん達とスフィア……じゃないよね?」
――丁度その時、ディートの背後からその写真を覗き込む人影が現れ、そんな事を口にする。
彼女は、ピンク色の髪をしたナイトの一人で、スフィアの事をよく知る人物……
「リエル、来ていたのか」
「だってー、リースが手伝うっていうから私も手伝うって言ってるのにみんないいって言うし、フレアもぐっすり寝ちゃってるから起こすと悪いし、退屈なんだもん」
15歳というわりには大人っぽい容姿で、15歳と言うわりには子どもっぽく頬を膨らませて不機嫌そうな顔を見せるリエル。
いつもは保護者的な位置にいるフレアや他の仲間達の傍で過ごしている分、こうして一人でいるのを見かけるのは珍しい。
……尤も、孤独に耐えられるような性格ではないようだが。
「そうか、まぁみんな気を使わせまいとしているのだろう。 今は言葉に甘えておけ」
「…はーい」
さすがは副長、うまく言いくるめたな……などと周囲の全員が思っていたかどうかは定かでは無いが、リエルは手近な壁に体重を預けるようにして、ふぅ、と息を抜いていた。
「しかし、この写真の女がスフィアでないとよく分かったな?」
そして、一拍間を開けたかと思うと、そんな彼女にそう呼びかけるディート。
リエルは、一度ん?と首をかしげると、ああ、と何かを思い出したかのように口にして、軽く微笑みながらその答えを口にする。
「だってスフィアってお風呂か寝るときしか髪の毛ほどかないし、その写真の子はスフィアよりちょっと垂れ目でしょ? それに、学校の制服着た艦長や副長が隣に映ってるから、スフィアのはずないもん」
「……!」
あまりに的確で素早い解答に、周囲の一同はおどろいたような表情を見せる。
普段小さな子どものように無邪気に振舞っている分、注意力も散漫のように感じられるリエルなのだが……
「ほう……まぁ、確かにそうだな。 だが中々判断は早いようだ」
はっきり言って、写真の女性とスフィアとは他人の空似と言うには外見が似過ぎている。
写真そのものをよく見れば別人であると判断できるものの、瞬間的に行うにはそれなりの洞察力が必要となるだろう。
ディートは、素直にその洞察力に感心していた。
「えへへ。 ……でも、その人って誰なんですか? そんなにソックリな人見た事無いよ」
「……ふむ、黙って置くべきなのかもしれんが……まぁいいだろう。 ジークの初恋の相手だ」
……その瞬間、ざわ…っとブリッジ全体がどよめいた。
初恋? ……あの艦長が?
そんな声が、所々から聞こえてくるのを感じられる。
「へー」
しかし、リエルは相変わらずマイペースに素直な態度を取っているようだった。
尤も、周囲の反応もある意味素直な反応とは言えるかもしれないのだが。
「ま、アイツとは結局なにもないままだったが……その面影のあるスフィアを、ジークが意識するのは仕方ない、か」
「あの、ディート副長。 それってもしかして、艦長がスフィアさんと付き合おうなんて考えてると……」
「まあ、十中八九そうだろうな」
愛があれば歳の差なんて、などと言う者がいて、実際に考えられないほどの年齢差の相手と結婚する者も確かにいるのだが、20歳という差はまだなんとか許容範囲である。
……地上の人間の感覚で言えばありえないという言葉も出るかもしれないのだが、この場でそれは関係ないだろう。
天使は老化の速度が人間よりも遅いためか、極端すぎない限りは人間よりも恋愛における年齢差への意識が薄いのだ。
「……うーん……スフィアさん相手じゃ上手くいくようには思えないです……失礼ながら」
「そうか? 結構面食いなところある気がするから、艦長ならわりといけるんじゃ……お前はどう思う?」
「わ、私!? そ、そうですね……スフィアさんって、あれで結構ガードが固い印象もあるんですけど……」
……普段娯楽が少ない影響だろうか、何気なしに始まった話題のはずが、極端に食いついてくる者が数名。
ディートは別に止めるほどのものではないと判断したのか、単に面白がっているのか、その”話し合い”に口を挟むようなことはせず、黙して聞き耳を立てているだけだった。
「よっし、なら勝負でもしてみるか? 今日一日で艦長がうまくいくかどうか」
「今日一日って……分かりました、文句はなしですからね!! 絶対一日じゃ無理ですよ」
そして、何故か始まる賭けの時間。
先日の地上会への墜落の件でも休みを貰えたのはナイト達くらいのもので、ろくに遊ぶことを許されていなかった現状……ほぼ全員が娯楽に飢えていたのか、現状このブリッジにいるほぼ全員がその賭けに乗ることとなった。
「ディートさん、とめなくていいの?」
それをぼーっと眺めながら、そんな事を口にするリエル。
緊張感は一切感じられないが、一応規律的なところも気にしているのかもしれない。
「まぁ、見たところ度は過ぎていないようだからいいだろう。 ……で、リエルはどう思うんだ?」
「んー……よくわかんない」
「そうか……そういえば、さっきリースが手伝いに行ったと言っていたな?」
「え? うん、書類整理とか整備とか……」
「ふむ…………」
その回答を受けて、少し考え込む体勢に入るディート。
正直に言わせると、彼も真面目に見えて普段何を考えているのか分かりづらい存在で、時折周囲が予想もつかない事を口にする事がある。
しかし、その言葉は最終的に正解に繋がっている事が多く、戦場では彼の意外な指示というのも中々に重宝されていたという。
「おい、俺も賭けていいか」
「え!? ふ、副長もですか?」
「ああ……そうだな、”リースに”賭けさせて貰おうかな」
「……は?」
……今一度確認しよう。
現在問題に上げられているのは、スフィアとジークの関係がどうなるか、であってリースが割り込むような余裕があるとは考えづらい。
いくら彼の言葉とはいえ、今回ばかりはその真意をはかりかね、周囲にいるメンバーは困惑するばかりだった。








――などというブリッジの騒ぎなどはつゆ知らず、艦内各所を気の向くままに歩き回る二人。
しかしたった一隻の船とはいえ、多くの人数の居住地も兼ねているこの戦艦はそれなりに広く、意識的に回った事が無いらしいスフィアには、まだ見慣れない景色も多くあるようだった。
「それにしても見周りってのも大変ですねー。 毎日こんなあっちこっち歩きまわってるんですか?」
クリスが統括する整備班の報告を受けた後に、丁度お昼を回る時間帯であるということで食堂に向かった二人。
スフィアは、一緒に歩く間に普段あまり見る事の無いジークの仕事ぶりに少し興味が出てきていたらしく、時折口を挟むようにしていた。
「いや、普通はオフィスで各部署からの報告書で確認するものなんだが……やっぱり艦を取り仕切る艦長としては、自分の目で見てこそだと思うからね」
「そーいうもんですかね」
「ははは。 と言いたいところだが、こんな風に回る日なんて稀だな。 天界からの連絡は基本的に俺が受けなきゃならないし、ブリッジやオフィスから離れられる時間はそんなに多くない」
「ふーん。 なんか、そういうのはディートさんに任せてあっちこっち歩きまわってるイメージあったけどな」
「……いやまぁ、確かに時々そういうこともあるが……」
少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、軽くからかうように話すスフィアと、図星でもつかれたのかかなり苦し紛れな笑みを浮かべるジーク。
その様は上下関係と言うにはフランクで、むしろ友人同士で話しているような雰囲気を放っている。
尤も、それはこの艦のメンバーとの間ではそれほど珍しくない事で、ジークはそれだけ親しみやすい艦長であるということだろう。
……組織というか軍隊としてどうか、と思われそうなイメージはあるかもしれないのだが。
「と、ところで何を食べるんだ? よければ一緒に注文してくるけど……」
「ん? そーねぇ……とりあえず、今回はごまかされてあげますよ。 お腹もすいたし、とりあえずカレーで」
あからさまに作ったものであるとわかる笑顔で話を逸らすジークと、先程と同じような悪戯っぽい微笑みで返事をするスフィア。
ジークはただごまかすようにどこか渇いたような声で笑いながら、カウンターの方へと歩いていった。
「……これって、軽くデートなのかな?」
その間、軽く手をあごに当てるようにして考え込むスフィア。
今のこの状況をそんな風に連想するのは、やはり今朝の会話がどうしても頭から離れないためで……
ああして他人のことを話している間はどこか無責任にぺらぺらと喋っているものの、自分の事となると結構真剣に考えてしまう。
主に、将来のこととか。
はっきり言うと、”彼氏にしたい相手”と”結婚したい相手”ではイメージが少し違い、できれば両方に一致する相手を見つけたいものだけど……
「そんなの都合よくいないわよねぇ」
恋をしてみればそんな境界なんて関係なくなるのかもしれないけれど、今までそんな強い感情を感じた事なんて一度も無い。
どちらかと言えば、友達と一緒になって遊んでいる方がまだ楽しいくらいだ。
「考え事かい?」
「ん? ああいえ、別になんでも」
声をかけられて気が付くと、向かいの席にカレーとBランチを手にしたジークが戻ってきていた。
色恋沙汰について真正面への接近に気がつかないほど深く考えこんでしまっていたことに、どれだけ焦ってるんだろうと軽く自己嫌悪に陥ってしまう。
……とりあえず、今は目の前に置かれたカレーに手をつけることにした。
「……そういえばジーク艦長、だれか付き合ってる人いたりします?」
そうしてしばらく黙ってカレーをつついていたが、半分ほど食べたところで、ふとそんな話を切り出してみる。
その理由もなんてことはない単なる好奇心で、今朝の話の延長的なものでしかない。
「……え?」
「あ、深い意味はないですけど。 なんか艦長のそういう話って想像つかないもので」
あくまでスフィア個人の印象で語るならば、彼はそこそこはもてていたんじゃないかと考えていた。
容姿は悪くない……というか恐らく平均以上ではあるし、ドラゴンスレイヤーなどと呼ばれるくらいだから戦闘能力≒運動能力で悪くないはずで、これはまだ付き合いも浅いのでわからないが、恐らく頭も悪くは無い。
多少気の抜けた雰囲気があるのはマイナスだが、あまり完璧すぎるよりそっちのほうが親しみやすい気がするので逆にプラス要素とも考えられるだろう。
「……そうだな、まぁ今はいないが……」
「今はってことは、昔はいたってことですか? ……っと、これは出すぎた質問かな」
「ははは……別に構わないよ。 そういう話題をかけられるのも久しぶりだしな」
そう少し苦笑しつつ答え、手にしていた箸を置き、ふっとどこか遠くを見るような目でスフィアの顔を見つめるジーク。
スフィアはその挙動に少し驚いたように表情を変えたが、その行動自体の意味までは察する事はできず、それ以上の反応は見せなかった。
「……もう15年は経つかな。 まだ学園にいた頃だが、特に仲のいい女子がいてね、短い間だが、その子と付き合っていた……ような感じだったかな」
「へー」
「綺麗な蒼い髪をしたやつで、大人しいくせに気丈で強気な感じだったな」
「……なんか想像しにくいですね、強気で大人しいって」
「そうだな。 まぁ、なんというか……外見だけなら、君によく似ていたかも」
「私に? 髪が青いからってだけじゃないですか?」
やれやれ、とでもいわんばかりにスフィアは軽く肩をすくめた。
特に何かを思ったわけでは無いが、他人の初恋の相手に似てると言われるのは微妙な気分である。
「ははは、それを言われると反論もできないけど……うーん……試しに、髪降ろしてみてくれないか?」
「ふーん、その人はポニテじゃなかったんだ。 まあ、そのくらいならいいですよ」
まあ、人が違えば髪型の好みも違ってくるのは当然だけど……などと思いつつ、根本で髪を縛っていた青い髪留めに手をかける。
―そういえば昔はいつもおさげだったなぁ―
自分が今のポニーテールにしたのは、リースと会ってしばらくしてからの事で……
それまでは、同じヘアバンドをもう一つ使って、無造作に二本に纏めただけの単なるおさげだった。
単なるポニーテールである今は、髪留めも一つしか使う必要も無く……もう一方の髪留めは、当時リースにプレゼントしていて、今でも彼女はそれを使ってくれている。
なんとなくそんな事を思い出しつつ、するりと髪留めをほどき、その青い髪を自然に任せて解き放った。
「――そんなに似てますか?」
簡単に話を聞いただけなので、”その人”が実際にはどんな笑顔を見せていたのかは分からない。
しかし、それでもスフィアは”おとなしい子”という印象を与えそうな笑顔がどんなものかを考え、それを自ら表現して見せた。
……それでも、普段と違うフリであるために、その仕草にも多少無理はあったようだが……
「……ああ、でも……」
「でも?」
「よく見るとやっぱり違うな。 雰囲気というか……」
「そりゃまそうですよ。 私はお世辞にも大人しいなんて言われる性質じゃありませんし」
作った表情を崩し、いつもの自分の、自然な笑顔で笑うスフィア。
髪型を変えていても、その姿から感じられる快活な空気は微塵も失われていない。
「はは…確かにそうだな。 妙な事頼んですまない」
「別にいいですよ。 そーゆーのって誰にでもあると思いますしね」
一方は少し気まずそうに、もう一方はどことなく楽しそうにしながら、いつもとは一風違った昼食の風景は過ぎて行くのだった。









「――わりといい雰囲気っぽいですね」
最初にモニターで二人の姿を確認してから数時間。
モニターの一つを追尾状態にして後を追い、一連の動向を覗き見ていたらしいブリッジの一同は、仕事を進めつつもほぼ全員がその様子に注目していた。
……その途中でブリッジを訪れた他の部署の者達も、何人かはそのまま居残って見入っているのは言うまでもないことかどうか。
「どうだ、こいつは上手くいくんじゃないのか?」
「そーですか? スフィアさんは友達か何かを相手にしてる感じだと思うんですけど……男女意識あるかなぁ」
食堂の一件の後、スフィアは何を思ったのか髪を纏めようともせずにそのまま艦内をジークと共に回っていた。
単に纏めなおすのが面倒だったのでは? という意見を誰かが言っていたが、実際のところは定かでは無い。
「ま、もうそろそろお開きでしょう。 いくら艦長でも、これ以上ブリッジを開けるとも思えないし……」
「そうだな。 ……っと、静かに。 なんか話してる」







「――すまないな、随分とつきあわせて」
「いえ、私も暇だったんで構いませんよ。 っていうか、殆どうろついてただけじゃないですか」
昼食を食べ終えた後に、また2時間ほど艦内を歩きまわっていた二人。
その間にも何度か各部署の報告を受けているシーンはあることはあったものの、実際はスフィアの言葉通りにほとんどただの散歩のような形で、何か世間話的なものを話しながら歩きまわっているだけだったが……
ジークの話す彼自身の学生時代の思い出話は、どこかで予想していたようなイタズラ坊主の武勇伝的なもので、スフィアもそれを聞いて楽しんでいた。
「ははは…。 さて、さすがにそろそろ戻らないと皆がうるさそうだしな、俺はブリッジに戻る事にするが……」
「そうですか? それじゃ私も部屋に……」
「……食堂での話、なんであんなことを俺に聞いたのか、聞いていいか?」
軽く挨拶をして、居住区へと足を向けようとするスフィアを引きとめ、ジークは少し真剣味を帯びた声でそう尋ねる。
その言葉の裏には、なにか小さな期待のようなものが見え隠れしているように感じられるが……
「ああ、今朝みんなとそーいう話をしてたんで、なんとなく気になっただけですよ。 ジーク艦長の恋話って、想像つかなかったんで」
そんな意思に気がついたのかついていないのか、特に表情も変えずにあっけらかんと答えるスフィア。
その言葉には一切の裏はなく、ただ正直に思った通りのことを口にしただけ、という印象を否応無しに与えられる。
「そ、そうか……」
「まぁ、ちょっと失礼だったかなとは思ってますけど……」
「いやいや、それは気にしてないから大丈夫だ」
ははは……と本日何度目になるかわからないが、笑ってごまかすジーク。
スフィアも必要以上に踏み入ってしまったかもしれない……と、少しは気が引けたのか、同じような表情で苦笑いを浮かべていた。
「……実のところ、その問いで少し期待していたりしたんだけどね」
――が、間もなくして、少し照れが混じったような微笑みを見せながら、ジークは再び語り始める。
その想いは、本当に彼女に向けられているのかはわからない。
けれど、今目の前の少女に特別な感情を覚えているのは確かなのだ
「……期待? 何をですか?」
「……勝手な妄想にしかならないかもしれないが……君が、俺に――」


「スフィア、見つけたーーー!!」


「――っ!?!?!?」
「あ、リース。 ……って、ど、どしたの? なんか顔色悪いよ」
突然の第三者の乱入に、思わず言葉を止めてしまうジーク。
割り込んできたその声の主は、彼女にしては珍しくどこか血走ったような目をしてスフィアの肩を掴んでいた。
「もうあっちこっちから手伝ってくれって呼ばれて、手が足りないのよ……だからできるだけ動ける人連れてきてって言われて……」
「いやちょっとリース、落ち着いてってば」
「あ、うん、ごめん……とりあえず、色々と手伝って欲しい事があって、仕事の合間に捜してたの」
「…あー……」
よく見れば、リースの足下には箱に詰められた書類の山らしきものが置かれていた。
恐らく運搬中に自分達がいるこの場所をたまたま通りかかったのだろう。
「……しょーがないわねぇ。 あ、ジーク艦長、なんか大変そうなのでそろそろ失礼させていただきますね」
「え? あ! か、艦長さん!? すいません、スフィアと何か話していたのでしょうか……?」
どうやら、あまりに必死だったせいかリースの目にはスフィア以外の人物はまともに移っていなかったようで、スフィアが彼に向かって言葉を投げかけたところで、初めて気がついた、とでも言うかのような態度で彼の方へと目を向けていた。
そしてジークは、全く予測していなかったこの状況に対し思考が追いつかず、ただ一言、”あ、ああ……大丈夫だ”と答えるだけで精一杯だった。
……というよりかは、改めて言い直そうとするのも気恥ずかしく、話を続けるに続けられなかった、と言った方が正解かもしれない。
「そ、それでは艦長さん、失礼いたします!」
「お昼奢ってもらってありがとうございましたー」
そして、最後に二人そろってそう敬礼すると、リースは足元の書類の山を持ち直し、スフィアを引き連れて通路の向こうへと去って行ってしまった。
”あれもこれも引き受けるからそうなるのよ……”と、スフィアの声が遠くから耳に入るのを感じながら、ジークは溜息を一つついてブリッジへの道を歩き出した。









「―――さて、俺の一人勝ちのようだが……掛け金は一人いくらだったかな?」
そして、丁度同じ時間のブリッジでは、ニヤニヤと笑うディートの声をバックに、全員が一部始終を写していたモニターへと視線を固定しままま、氷ついたかのように停止しており……
ただ一人、リエルだけはいつものようにのほほんとした空気を纏ったままそんな様子を楽しそうに眺めていた。
「これに懲りたなら、無駄な賭けはもうするんじゃないぞ」
そしてその後、しっかりと賭け金を徴収したディートがそう口にしていたのは、また別のお話。





 

 


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