―某月某日―
 

 









「ついたぞ」
クワゥテモックのエンジンを切って、俺とゆのはは祠の前へ歩み寄る。
それは、かつてはゆのはが神様として宿っていたもの。
そして、その半身であるひめもまた、ゆのはになりかわりこの場に眠っていた。
「やっぱり、私達がこの町で最初にすることは、ここに来ることですね」
……結局、ひめの事は俺とゆのはを除いて全員がその存在を忘れてしまっていた。
ゆのはは元々ひめと同じ存在だから記憶は残り、俺はそんなゆのはと深く繋がりを持っていたからこそ、記憶が残った。
あの最後の日のパーティーで、俺までひめの事を忘れかけたのは、ひめ自身が『忘れられる前に、自分から消してしまおう』としたせいだという。
……かつてゆのはがしようとしたことと同じことを、ひめもしようとしていたんだ。
「ここにもう誰もいないのはわかってるけど、なんかまだ、ちっこい神様がいる気がするな」
「……そう思ってくれるからこそ、ひめはこの祠だけは元に戻したかったんですよ」
「なに?」
どこか神妙な顔で祠を見つめながら、言葉を口にしはじめるゆのは。
「私の中に還る時が近いと気が付いたひめは……せめて、『ひめ』という存在があったということを示すモノを残したいと考えていました
……人の記憶に残ることはできなくても、神様としての自分がいた印である祠は、残したいと」
「……そうか……」
なんとなく、その気持ちは分かる気がする。
少なくとも、俺が祠を目にすることで、こうして思い出しているのだから。
「拓也さーん、ゆのはちゃーん、来ていたんですかー?」
なんとなく二人で感傷にふけっていると、後ろの道路のあたりから聞こえてくる、どこかぼややーんとした声。
聞き慣れたその声に答えるべく、俺たちが振りかえると、そこには思ったとおりの女の子が買い物かごをさげて立っていた。
かごの端からは、何本かネギが顔を出している。
「……ぷっ」
俺とゆのはは、あまりにどこかで見たような光景に、目をあわせて笑いあっていた。
「どうしたんですか?」
なぜ笑われているのかわかっていないのか、キョトンとした顔を見せる女の子。
俺たちはひとしきり笑い終えると、声を揃えて彼女にこう返事をした。

「こんにちわ、わかばちゃん(さん)」





「よ、二人とも久しぶり」
その後、誘われるままに伊東家へ案内される俺たち。
最初から行くあてなんて華の湯だけしかなかったけど、向かう前に買い物帰りだったらしいわかばちゃんに会えたのはなんとなく嬉しかった。
やっぱり、あの祠は俺たちにとっては全ての出会いのはじまりだったから。
「草津さん、ゆのはちゃん、お久しぶりなのです」
「椿さん、穂波ちゃん。久しぶり」
「姉御、穂波、元気にしていましたか?」
俺たちが居間に入って暫くすると、二人が微笑みながら現れた。
どうやらわかばちゃんが俺たちが来たことを知らせに行ってくれていたらしい。
「はい。私は勿論なのですが、お母さんもお父さんも仲良くしていますし、妹も元気ですよ」
「そうか、そりゃなによりだ」
……榛名さんは、あれから数ヵ月後に穂波ちゃんの妹になる……つまりは祐司さんとの子どもを産んでいた。
穂波ちゃん自身がお父さんである陽一郎さんのことに整理がつけられたかどうかは分からないけど、祐司さんのことを『お父さん』なんて呼べるなら、多分大丈夫だろう。
「みなさーん、お茶が入りましたよー」
丁度その時、おぼんにお茶を乗せたわかばちゃんが、いつもの笑顔を浮かべて居間に入ってきた。
「お、悪いねわかば」
「わかばちゃん、そのくらい俺がやるのに」
「いえいえー、拓也さんはお客さんなんですからー、任せてください」
まあ、わかばちゃんは相変わらずのようで。
「あ、わかば、新しい絵本描き始めたんですよね? 見せてもらえませんか?」
お茶を受け取りながら、ゆのはがそんなことを言い出す。
そういえば、みんなとの手紙のやりとり乗せた中にそんなことを書いていた気がする。
あのくりごはんの話も、最近ようやく完成させたとかいっていたけど……
「うん、いいよー。途中だけど、あとで持ってきてあげるよー」
にこにこ笑って答えるわかばちゃん。
その笑顔は相変わらずまぶしいほどのものだったけど、やっぱりなんとなく安心できる。
「あ、絵本といえばわかば、結局あの話どうするんだ?」
と、その時椿さんが口を挟む。
なにか俺たちの知らない話のようだけど……
「あっ……うん、うれしいけどやっぱり、ちゃんと勉強してからにしようと思うから……」
「なに? なんの話ですか?」
なぜか目を輝かせて話に乗るゆのは。
まあ、俺も気になるのは確かだけど。
「ああ、実はあの『ゆのはな』だけど、私が小説として書く前に、原作ってことで担当に見せる事になってね。 その時に気に入られたみたいで、よければ他の絵本も見せてくれって話になって……」
「……それって、もしかしてわかばも絵本作家デビューってことですか?」
「うん、そうみたいなんだよー。 ……でも、やっぱりずっと趣味だけでやってきたことだから、そういうことになるなら、ちゃんと絵本の学校に行って勉強してからの方がいいかなーって」
「でも大したもんだよ。 俺も応援してるからがんばって」
まぁ、わかばちゃんの絵本はちょっとシュールな部分も見える事がある気がするけど、あの作風からくる空気はなかなかに気持ちがいい。
ちゃんと勉強して描いたりしたら、きっと絵本作家として上手くやっていけるだろう。
……ん、まてよ?   専門の学校に行ってちゃんと勉強したいってことは……
「わかばちゃん、もしかして、外に出る決心ついたとか?」
あの時、どこかでこの町の外に出る事を拒絶していたわかばちゃんが、こういう一言を言ったということ……
そして、あのくりごはんの絵本を完成させたということ。
もしかしたら……
「うーん、まだ少し迷ってるけど……あの時のおばあちゃんの冒険のお話をずっと考えてたら、私も、がんばってみようって思ったから」
「……そうか、わかばちゃんの冒険も、もうすぐ始まるんだな」
「はい! あ、もし東京に出た時にご近所さんになったら、拓也さんの家にも遊びに行きますね」
「おお、せまっくるしいとこでよければ歓迎するぞ」
「拓也にもう少し甲斐性があれば、もう少しくらい広いところに住めそうなんですけどね」
「ははは、言われてるぞ、拓也」
やれやれとばかりにわざとらしく肩をすくめながらそんな事を言うゆのはと、笑って便乗してくる椿さん。
そんなの仕方ないだろう! 確かに甲斐性は無いかもしれんが俺だってがんばってるんだからな!!
「そう落ち込まないで下さい、草津さんにお金が無いのはいつものことなのです」
穂波ちゃん、それは全然フォローになってないよ。
「それよりも、原稿を持ってきたのではないのですか?」
などと俺がつっこむ暇も与えずに話題を椿さんにそらされる。
世の中って無情だよなぁ、うん。
「ああ、そうだったな。 ちょっとまってくれ」
そう言って、持って来ていたらしい自分の鞄からなにやら紙の束を取り出す椿さん。
小説家である椿さんがとりだす紙の束と言えば、そりゃもちろん小説の原稿とかいうものだろう。
「私も、おかげさんで仕事の方も順調だよ。原稿持ってきてやったけど、読むかい?」
「いいんですか?」
「一番最初に拓也とゆのはちゃんに見て貰いたくてね。 榛名さんにも見せてないんだ」
そういえば、椿さんの小説はいつも榛名さんが最初の読者だって聞いた事があった気がする。
それを曲げてまで俺達に先に見て貰いたいって言ってくれるのは有り難いが……
その理由は、タイトルを目にして納得した。
「『ゆのはな』さ。 わかばの絵本と、あんた達二人の話から書き上げた小説」
「…………」
俺が最初にこの町に来た時のこと。
ゆのはとの出会いから始まり、今に至るまでの、ゆのはな町で起こったこと全ての記憶。
いったいどこの誰が記憶していたのかは分からない。
けれど、それはわかばちゃんの絵本という形でこの町に残されていた。
……もしかしたら、この地に残っていた神様が、無意識にでもそうさせたのかもしれない。
「……ゆのは、先に読め」
「いいんですか? 拓也もこの小説は楽しみにしていたでしょう」
「ああ、だが、レディーファーストってやつだな」
だからこそ、わかばちゃんと、椿さんの手を通してこの世に残されたこの物語は、誰よりも最初に読むのはゆのはでなくてはならない。
なんとなく、そんな気がしたのだ。
……ゆのはも、そんな俺の気持ちはなんとなく察してくれたのか、それ以上は何も言わずに原稿用紙に手をかけた。





ある冬から始まった、小さな神様の物語。
大きな災いと、小さな幸せをその心に抱いた、一人の女の子の話。
神様として残された”過去”は、人としての生を得た”今”を支え続けていた。
それでも、苦痛に満ちた過去は、いつしか思い出へと変わる。
苦痛も喜びも、なにもかもを一つにして、”今”を形作る。
それは過去への別れでは無い。
”過去”はいつまでも”今”と共に在り続け、未来へと歩む力になる。

……すべては小さな神様が見せた夢物語。
けれど、何にも変えがたい本当の話。
悲しみに満ちた雪は消え、空には澄んだ青空が広がっている。
それは、まるで一人の少女の心が映りこんでいるようで……
俺は、青空を眺めるのが今まで以上に好きになっていた





「……ゆのは?」
ふと気が付くと、原稿用紙に目を落としていたゆのはの目から、涙が零れ落ちるのが見えた。
「もしかして、感動……しているのですか?」
「わー、椿ちゃんの小説って、そんなにすごいんだー」
「はは……まぁ、そうまで感情移入してくれると作家冥利に尽きるけど……ちょっと、恥ずかしい気もするかな」
わかばちゃんの素直な賛辞を受けて、少し照れくさそうに笑う椿さん。
もちろん、椿さんの文章には人に涙を流させるくらいの力があるのは判っている。
けれど、俺にはゆのはの涙が意味しているものが、単に感動したとかそういうのじゃないように見えていた。
……そうだ、この涙は……
「……”椿さん、ありがとうございます”……」
なんとはなしに、ゆのはの口がそう動いていた。
「え? ……まぁ、二人には最初から見せるつもりだったし……お礼を言われることじゃないよ」
「……『ひめ』の言葉です」
「ひめ? ひめって、それの登場人物のかい?」
「…………ええ、そういうことにしておいてください」
服のそでで涙を拭いて微笑み、また原稿用紙に目を落として読み始めるゆのは。
今一瞬見せた表情は、だれでもない、”ひめ”のどこかぎこちなく映るあの微笑み。
……そうだ、ひめは消えてしまったわけじゃない。
ゆのはの中で、ゆのはと共に今を生きているんだ。
「……よかったな……」
俺は、ゆのはの姿を目に映し、ただ一言、小さな声でそう呼びかけた。
誰の耳にも入らないような小さな声。
けれど、あの小さな神様の耳には届いていることだろう。
……そう、信じて


 


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