「……ひとつき、楽しかった。
おいしいもの一杯食べられて、新しい言葉も一杯知って……
皆ともまた合えて、おぜぜもちゃんと集まって……」

「…………」

「……ゆのは、ありがとう。 最後に、帰って来てくれて……思い出も、たくさんくれて」

「ううん、私達が帰ってきたのは、偶然だった。 拓也がまた祠を壊したのだって……」

「偶然とか、そんなの関係ない。 ただ、ゆのはと拓也が来てくれた……それだけで、私は満たされた」

「…………」

「でも、それも明日でおしまい。 私は、あるべき場所に還るが定めだから」

「……ひめ……」

「……そして私の役目も、これでおしまい……もう二度と、私が人の世に出る事は無い」




―お賽銭 0253800―


 

 

 


 


1月14日






――最後の日だからと言って別段変わった事も無く、華の湯で今日もじっちゃとばっちゃの背中をもみもみ。
まぁ、今日で俺が町を出るって話を聞いて、町中から集まって来てるんじゃないかと思うくらいに人が来てくれたのは、大変だが有り難い限りだ。
中には嬉し泣きまでしてくれた人も何人もいて、思わず俺も泣かされたりして。
気が付けば、就業時間を過ぎていた。


「拓也さん。 ほんとうに一ヶ月、ありがとうございました」
みつ枝さんは、そう言って最後の給料袋を渡してくれた。

―所持金 0020000―

「にまんえん!? 拓也、一万円札が二枚もありますよ!?」
「え、あの、こんなに多く!? だ、駄目ですよこんなにはっ!!」
「いーやー、その半分は椿ちゃんと榛名さんからだよー。 東京に帰るなら、なにかといりようだろうとねー」
「そうですよ拓也、ここは貰っておくべきですよ!」
「そ、それはそうですが……」
「それに、二人も拓也さんには色々とお世話になったと言っておったしねー、素直に置け取っておきなー」
まぁ、確かに椿さんや穂波ちゃんは、小説の事とか榛名さんが風邪で倒れたりした時とかでそう言ってくれそうな覚えはあるけれど、俺はそんな見返りとか求めていたわけでもない。
ゆのはがとなりでぎゃーぎゃー叫んでるみたいだけど、そればっかりは騙せない俺の気持ちだ。
……けど、ここは二人の感謝を受け取る意味でも、みつ枝さんの言う通りに素直に受け取っておくべきなのだろうか……?
「おーい、そろそろ用意するから、ちょっとどいてくれよ」
「夜は短いのです」
とかなんとか考えていると、椿さんと穂波ちゃんがならんで居間まで入って来た。
……かと思えば、由真に渋蔵さんに、ついでに尚樹さんと続々と障子をくぐって入って来るではないか。
「え、なにを用意? 短い?」
「もちろん、草津さんとゆのはちゃんを見送る会なのです」
「なんだかんだ言って一ヶ月世話になったからね。 送別会くらいやらせてくれよな」
「そうよー、わかばがどーしてもって言ってるんだから、大人しく参加しなさい!」
……まぁ、そんな調子で俺とゆのはの送迎会は、有無を言わせず始まったのだった。
感謝感激。





「そんでワシが竹槍をぶぅんと放ると、にっくきB29はなぁ」
宴もたけなわといったところで、いいかんじに酒が回ってるらしい渋蔵さんが、竹槍でB29を撃墜したという武勇伝を仰々しく語っていた。
穂波ちゃんは特に何も言わずにクスクスと笑って聞いていたけれど、昔の穂波ちゃんなら死体の様子はどうだったとか危機とした目で聞いていただろうなぁ。
「こんのクソジジィ! 祝いの席でまでそんなホラ話するな!!」
そして強烈に入る椿さんのツッコミ。
まぁ常識的にも物理的にも竹槍で戦闘機撃ち落とすなんてのは不可能だしなぁ。
「ふふふ。 じゃあボクの出番だね。 世界初の空母艦載機による戦艦撃沈の事例である、タラント軍港奇襲について一席弁じよう、ぐあっ!?」
「居間はサンダル履いてないんでね、ビンでよかったな」
とりあえず、今日も椿さんの渋蔵さん&尚樹さんストッパーは健在のようだった。
……うーむ、実はこの中で一番の苦労人って椿さんなのか?
「姉御、ビンの方が確実に攻撃力が高いと思います」
そして的確にいれられるゆのはのツッコミ。
まぁ当たり所悪けりゃ確かに流血沙汰になりかねんな。
「みなさんいいかんじにテンションが高いのです」
そして、あんまり表情を変えずにそんなことをポツリと呟く穂波ちゃん。
まぁ宴といったら、主旨はどうあれドコでもこんなもんだろう。
祝い事の時にテンション下がるようなヤツなんてそうはいないよなぁ。
「おい小僧! おめぇもボーっとしてねぇでなんとかしやがれ!!」
「へ、俺ですか? 俺に一体何をしろと」
「酔漢がなんかしろ、と叫ぶ時、大抵求めているのは、芸なのです」
「お、おうそうか!!」
俺は、はた、と膝を打ち、このために用意して置いたギターケースを開けた。
「『テスカトリポカ』!! かわいい相棒!! 出番だぜ!!」
「おい渋蔵!! 主賓に芸をさせるな主賓に!」
「そうですよ、私と拓也は芸を見て笑わせて貰う側なのですよ!! というか拓也は歌うの禁止です!!」
「ええっ。 どうして!! 表現の自由が今危機に!?」
俺とテスカトリポカ、ついでにマーベラスの出番は、椿さんとゆのはのダブルパンチによって見事に奪われてしまった。
ちくしょう、こんなときくらい思いっきり歌わせて暮れてもいいぢゃないか。
「ま、どのみちこんな万年文無しの居候の歌なんて、期待できたものでも無いでしょうけど?」
そしてさらなる追撃を加えるかのように、由真からの支援射撃が!
……くそう、この俺の歌はどこまでいっても完全否定と言うコトか……
だが!、今の俺には反撃要素が一つだけあった!!
「はっはっは。 由真、俺は今文無しでは無いぞ!! 見よ! この燦然と輝く二枚の一万円札を!!」
「おおっ。拓也が金持ってる!!」
「わーびっくりだよー」
……あれ……?
なんで俺は金を持ってるんだ?
「……あっ……しまった……!?」
……なんかゆのはが妙な反応を?
しまったって、いったいなにをどう失敗したと……
「…………」
一人足りない。
「拓也さん、どうかしましたか?」
「……いつもゆのはと一緒にいて、ゆのはをひとまわりちっさくしたみたいな、無口でかわいいちっこいのが……」
いない。 いない。
「…………あっ、もしかして……ひ、ひ……えっと……」
「そうだ! ひめだ!!」
俺達は顔を見合わせた。
……一人、ゆのはだけは複雑そうな表情で俺達の方を見ていたけれど。
「ひめちゃんいねぇじゃねぇか!」
「あ、ひめちゃんいないですー!!」
「……草津さん、これは一体……なんで、全員が……私まで忘れて……?」
「え、何? ひめって誰の事?」
「あ、ええと……」
「ゆのはちゃんの……まぁ、なんだ妹だっ!!」
「……チビ子に妹? いい加減歳なんだから、モーロクしたんじゃないの?」
由真は、全く覚えていないらしい。
…………まさか、『あの時』のゆのはと同じ……!!?
「おいゆのは! お前何か知って……」
と言いかけて振り返ると、さっきまでそこにいたはずのゆのはの姿も消えていた。
……駄目だ……ひめの気持ちも分かるが、こんな別れ方は駄目だ!!
いくら記憶に残らないからって、挨拶も無しに消える礼儀知らずな神様がどこにいる!!
「渋蔵さん!! 俺、ひめとゆのは捜して来ます!!」
「私も行くよ!!」
「お、おう!! ワシもその辺捜して見る!!」
「わたしも!!」
俺の叫びに呼応するかのように、渋蔵さんと椿さん、そしてわかばちゃんも立ち上がった。
……そして、穂波ちゃんは少し複雑そうな顔をしながら俺の方を向いて、こう言った。
「……最後の時が近付いているのです。 絶対に、見つけないと……」
「当たり前だ!! いくぞ!!」



「な、何よ……わかばまで一緒になって、一体何があったって言うのよ」



俺とわかばちゃんと椿さんと穂波ちゃん、そして渋蔵さんは、死に物狂いな勢いでゆのはな町へ飛び出した!!
「ワシと椿は商店街と通りの方を捜す!! 小僧と穂波は公民館と神社を、わかばは家で待機だ!!」
「わかりました! 穂波ちゃん、行こう!!」
と言って俺達はそれぞれの持ち場へ走ろうとしたが、穂波ちゃんだけは考え事をするような表情で動こうとしない。
俺を除けばこの中で一番この状況を理解しているっていうのに、なんでそんな悠長に構えているのか……いや待てよ?
穂波ちゃんは、ある意味俺よりもひめのことについては詳しくわかっているはず。
……もしかしたら、何か心当たりが……?
「穂波ちゃん、何か……知っているのか?」
「……いえ、知っていると言うよりも、ただの推測なのですが……」
「なんでもいい! 言ってくれ!!」
「……きっと祠の前か、トンネルの中だと思うのです。 神社が『虚ろなもの』だとすれば、ゆのは姫縁の場所は……その二つだけなのです」
「ゆのは姫? おい穂波、それってどういう……」
「……ひめちゃんとゆのはちゃんは、あの祠に宿る『ゆのは姫』……神様なのです」
「なんだって!?」
「……お姉ちゃんの『ゆのはな』の絵本……あれは、三年前の草津さんと、ゆのはちゃんを描いたものだったのです。
そして、封じられていた厄神としてのゆのは姫が、守神の役を継ぎ……守神としてのゆのは姫は、一人の人間、『ゆのは』として、草津さんと共に、ずっと旅をしていたのです」
「…………なんか、にわかには信じられないけど……」
椿さん達は、複雑な表情で穂波ちゃんの話を聞いていた。
……渋蔵さんは、何かを思い出し掛けている様子だけど……きっと、それは60年前の事だろう。
「……すいません、色々説明したいところですが……俺、穂波ちゃんと先に祠へ向かいます!!」
それよりも、今は時間が無い。
俺は穂波ちゃんを後ろに乗せてクワゥテモックにまたがり、即座にエンジンを噴かす。
エンジンの調子は万全……頼むぜ、あの時みたく、俺を二人の下へ導いてくれ……!!








――――――俺はマシンから降りると、メットを毟るように脱いだ。
「ゆのは!! ひめ!!」
「よかった、こっちで合っていたのです」
祠の残骸が鈴の音のような音を立てて、ゆっくりと再生していくのが見えた。
祠の前に三つの人影……そして、たくさんの猫たちが並んでいる。
「……拓也、穂波……」
「……」
ゆのはとひめ、みつ枝さん。
そしてヘンリー三世と、おそらくゆのはな中の猫たち。
ひめはどこか複雑な表情で俺と穂波ちゃんの名前を呼び、ゆのはは何も言わずにその横で俺達の姿を見つめていた。
「ゆのは姫。こんなに思ってくれる人達に、さよならさえ言わずに、消えてしまうつもりだったんですか」
すこし寂しげなみつ枝さんの声、こういう感情がみつ枝さんから感じられるのは珍しいかもしれない。
……ひめは、黙ったままそんなみつ枝さんの声を聞いているようだった。
「ひめちゃん、私もお母さんといっしょにいっぱいごちそうしてあげたのに、何も言わずに還るなんて悲しいのです」
次に声をかけるのは、一歩遅れてバイクから降りてきた穂波ちゃん。
軽く皮肉ぶったような言い回しだが、その表情はどこか穏やかに微笑んでいるかのようだった。
「そうだぞ。 それに、行っちまう前に忘れもんだ。 ほいよ」
俺は、今日の日給が入った袋をひめに差し出した。
「……拓也」
「今日の分の日給20000円。 餞別だ」
「それ、全額ですか? ……草津さん、やっぱり考え無しなのです」
「まぁ、こういう約束だしな」
「草津さんらしいのです」
クスクスと笑う穂波ちゃん。
そして、複雑な表情を俺に向けるひめ。
……そしゆのはは、相変わらず黙ったままこっちを見ているだけだった。
「……250000で構わないと、最初に言ったはずです。 それ以上は、もう無意味です」
喜ぶわけでもなく、怒るわけでもなく、ひめはそう返してくる。
でも……俺も、引き下がれない気持ちはあった。
「前も言ったが……俺が賽銭として奉納したいんだよ。 神に助けて貰った愚かな子羊のお礼だ、黙って受け取れ」
「………………本当に、とっちゃいますからね?」
「おう」
大晦日に、誕生日パーティーの途中に抜け出したあの時と同じやりとり。
けれど、ひめの表情には、あの時には見られなかった強い感情のようなものが見てとれていた。
……最後の瞬間、それを、恐れているような……
「……神の名において奉納!」
封筒から札びらが飛び出して、空中で踊ったと思うと賽銭箱へ吸い込まれていく。

―お賽銭 0273800―

「初めて見ますけど……不思議なのです」
「俺は見慣れたけど、まぁ確かに不思議だな」
すなおな感想を述べる穂波ちゃん。
そういえば、穂波ちゃんには正体ばれててもこの瞬間に立ち会った事はないんだよな。
「……まったく、これで家までの旅費もゼロじゃ無いですか!」
「ゆのは……」
「旅費のためにも、あと5日ばかり働いて貰いますからね!」
ここに来て、どこかわざとらしく腹を立てたように声を荒げて会話に参加してくるゆのは。
とはいえ、俺がこうすることくらいわかっていたのだろう。
次の瞬間には、どこか呆れつつも満足したような笑顔を俺に向けていた。
「おう、まかせとけ」
……ま、元々この町に来た時点で1000円も無かったんだがな。
「……拓也……あなたは、私がどんなに突き放そうとしても、やはり来てしまうんですね」
「当然だろ。 お前は俺の”妹”なんだから」
三年前のあの時……俺は一度ゆのはの存在を記憶から消されていた。
それでも、何とか思い出して、最後の瞬間に間に合わせる事ができた。
だから、今回だって逃すわけが無い……何度記憶を消されようともな。
「……もう、私とゆのは……『ゆのは姫』だけで、全部終わらせようとしたのに……」
そう言う姫の表情は、否定的でありながらもどこか嬉しそうなものが見えていた気がした。
……やっぱり、ゆのはの片割れだけあって、素直じゃないヤツだ。
「ひめぇぇっ! ゆのはぁぁっ!!」
「ゆのはちゃん! ひめちゃん!!」
「ひめ! ゆのは!」
丁度、そんな事を思った時……俺達が走ってきたその道から、聞き慣れた三人の声が。
「しぶぞう、わかばさん……それに、椿さんまで……」
「……拓也と穂波が来た時点で、予想できていた事です」
驚くように声を上げるひめと、やれやれ、とばかりに溜息をつきながら答えるゆのは。
なんとなくいつもと逆のような反応に、深くにも少し笑ってしまった。
「もう天国にいっちまって見送りにこられねぇ、マイクの名代ってコトにしとけ」
「……しぶぞう……思い出していたのですか」
「あったりめぇよ! ……ま、情けねぇがついさっきだがな」
「言わなきゃかっこいいんだけどなぁ」
笑ってツッコミを入れる椿さん。
まぁ、言わなかったら言わなかったで『ついさっき思い出したばかりだろ?』というツッコミが入っただろう。
……とかなんとかしていると、ひめは、祠の前にいる俺達をひとりひとり見回していた。
「……今更、神様ぶってもしかたありませんが……」
最後に、自分の隣にいるゆのはの方へと目を向けると、少し微笑んで、そんな一言を漏らした。
「神様の別離の言葉を聞けるとは、ぬしらはとてつもない幸運の持ち主です。 有り難く受けるように」
そして……俺がこの町に戻って以来初めて見せる”神様ぶった”態度で語り出す。
「しぶぞう。泣くな」
「あーあみっともねぇな。 ほいハンカチ」
「いらねぇよ。 泣いてなんかねぇよ。 目に雪が入っちまっただけだ」
「……バイクに乗せてもらえて、ラーメンもごちそうしてもらって、うれしかった」
「また来たら、幾らでもおごってやるぜ」
「…………また来たら……うん、そうですね……」
最後にまた複雑そうな表情を見せたように思えたが、直ぐに微笑みを見せて、渋蔵さんから視線を外した。
……次は、その隣にいたみつ枝さん。
「みつ枝……毎日、ご飯いっぱいありがとう」
「毎日、たんと食べてもらえてうれしかったよー」
「……もしかして、最初から思い出してました……?」
「そうだねー。 昔も、ちいさな女の子に毎日お布団をひいてあげてー、お茶を出して上げていたねー」
「……やっぱり。 神様でも、みつ枝にはかないません」
ひめは、また少し嬉しそうに微笑んで、そう答えた。
ゆのはも黙って聞いているけれど、いっしょになって話したい事は山ほどあるだろう。
……みつ枝さんと渋蔵さんは、ゆのはとひめにとっては、とても大切な人なんだ。
それが、強く伝わってくる。
「……わかばさん」
「なーに、ひめちゃん」
「……読ませて貰った絵本、楽しかった。 これからも、ずっと描いてください」
「…………うん、がんばるよー」
……穂波ちゃんからの話は聞いているはずだけど、まだ踏ん切りはついていないのだろうか?
わかばちゃんは少し複雑そうな表情を見せた気がしたけど、すぐにいつもの笑顔を見せて、答えていた。
それを見て、安心したのかほっとした顔を見せるひめ。
「……椿さん」
そして、次に向かうのは椿さん。
「なんだい、ゆのは姫」
「……ひめと、呼んでください」
「ひめちゃん、なんだい」
「……私がここにいたことは、きっと椿さんもわすれてしまう。 ……それでも、私達の物語……”ゆのはな”を、絶対に書いてください。 きっと、”私”が皆の記憶に残る、いちばんの方法だから……」
「ああ、約束する。 神様に誓ってね」
「……ふふ、そうですね。 この私に……神様に、誓って……」
ひめはまた少しうつむき、今にも涙を流しそうな表情をしていた。
それでも、必死に出てくる涙を抑えようとしているのがわかる。
……しばらくそのまま目を瞑っていたが、ようやく顔を上げ、また隣の一人へと目を向ける。
「穂波さん」
「なんですか、ひめちゃん」
「……榛名さんや、拓也……ゆのはと……穂波さん、みんなで一緒にケーキ作ったあの時、楽しかった」
「はい。 あの時は、私もすごく楽しかったのです」
「…………この一ヶ月、ずっと……私の事を気にかけてくれてましたね……」
「……」
「心配かけて、ごめんなさい。 ……ありがとう」
「くす。 どういたしまして」
最後に、互いに笑いあうひめと穂波ちゃん。
3年前のゆのはとは中々に険悪な関係だったけれど、分かりあえればちゃんと仲良くなれたということだろうか。
……どっちにしても、有り難いことだ。
「…………拓也」
そして、今度は俺の前に。
その顔はどこか寂しげでありながら、嬉しそうに笑っているようにも見える。
「おう」
「……この町に戻ってきてくれて、ありがとう。 ひとつき、すごく楽しかった」
「俺が、戻らないわけないだろう。 ……思い出の詰まったこの町に」
そう、祠を壊してしまったのだって、ただこの町に帰ってきた時のはずみだった。
何よりも先にしたことが、かつて訪れた時と同じことだった事に、運命のようなものを感じてしまう。
「…………」
……少し、何も言わずにジッと俺の目を見つめてくるひめ。
「……拓也、少ししゃがんで、目を閉じていて下さい」
「ん? ああ」
俺は、ひめの言葉に従って片膝をつくようにしてしゃがみこんで、目を閉じる。
この状態なら、頭の高さはほぼ同じで……小さな両手が、俺の顔の両脇に触れているのが分かった。
「……んっ……」
……その直後、俺の口になにか柔らかいものが触れる。
と同時に、周りの皆が少し湧き立ったように声を出すのが耳にはいってきた。
…………ん?
「!!」
思わず目を開き、驚かされた。
「……ふぅ…………目、閉じていてくださいと言ったのに……」
視界いっぱいに広がっていた姫の顔が、また少し遠ざかる。
その顔には今までにないような赤みがさしこんでいて、見るからに恥ずかしがっているか照れているかのものだ。
「ゆのは、いいのか? ”妹”に婚約者の唇奪われてるぞ」
「……いいんです。 今回だけは、特別……」
すぐ横で、椿さんとゆのはがそんな事を言い合っていた。
……てことは、今のはやっぱり……
「……最後に、ちゅうの一回くらい……許してください」
「…………」
……なにか言いたい事が大量に脳内に浮かんでいた気もするが、その瞬間のひめの顔を見て、そんなものは全部吹き飛んでいた。
許すも何もない、ただそれだけの望みくらいなら、叶えてやるべきなのだろう。
……ゆのはの顔を見ても、どこか満足気なものが見え隠れしている気がするし。
「……拓也、これからも、元気で」
「ああ、俺はいつまでも元気だ」
「ふふっ。 そうですね」
最後ににこりと微笑んでそう答えると、ひめは祠の前へと進んで行った。
「ゆのはちゃん?」
そして、それについていくようにして歩き出すゆのは。
その表情はどこかに穏やかなものは感じられる気もするが真剣そのもので、確実に、これからひめと共になにかをしようとしているのを感じられる。
「……おいゆのは、まさか……」
まさか、一緒に消えちまうとか言うんじゃ……
そんな不吉な言葉が、俺の脳裏を走った。
「拓也、大丈夫です。 私はもう、一人の人間としてここに存在しています……そんなことは、ありません」
そんな俺の表情から考えてる事を察しでもしたのか、にこりと微笑んでそう口にするゆのは。
そうしながらも、その足は祠の前で待つひめの元へと進んで行く。
「……ひめ、あれだけでよかったんですか?」
「……拓也の恋人は、”草津ゆのは”です。 これ以上を、”私”が望む事はありません」
「…………ひめ」
「それに、もう……時間が無いです」
どこか悲しげな微笑みを浮かべてひめがそんな事を言う。
時間が無い……そういえば、前にもひめはそんな事を言っていた気がする。
いったい、どういう意味なんだろう……そう、思ったときだった。
「っ! ひめちゃん! 足が…!?」
椿さんが、大きく叫んだ。
それにはっとなって目を向けて見れば、ひめの身体が足の先から、少しづつ空気に溶けるように消えて行くのが見えた。
「……どっちにしても、この身体を……神様としての存在を維持するのも、限界だったんです」
「……ひめが、私と成り代わったその時点で、”ゆのは姫”の神様としての役割はなくなっていたから……」
「だから、この三年間……私が神様として存在できていたのは、単なる神力の残りかすでしかなかった」
「その残されていた力もいま、尽きようとしている……」
「いっぱいご飯を食べたりして、なんとか物質としての存在を繋ぎとめていたけれど……ね」
そんな風に話している間にも、ひめの存在はどんどん希薄になっていく。
空気に溶けていく箇所は、もう膝の辺りまで侵食されていた。
「……拓也、それに皆……なにも悲しむ必要は在りません。 これは、お別れではないのです。
過去(わたし)は、今(ゆのは)の中に在り続ける。 今(ゆのは)がここに在るということこそが、過去(わたし)がここに在る証明なのですから」
そう答えてくれるその顔は、どこまでも静かで、穏やかに微笑んでいた。
これまで一度も見せた事の無いような、きれいな笑顔……
「ゆのは……ひとつに還る、その前に……」
鈴の音の様な不思議な音が響き、完全に再生し終わった祠が青白く光っている。
「…………うん、いっしょにやろう。 最後の、神様としてのおつとめ」
――そして雪がやみ、どこまでも深く黒々と拡がる夜空が、星々の冷たい煌めきを浮かべて現れる。
二人は、両手を握り合い、同時に深く、ゆっくりと息を吸い……
そして、その全てを乗せるかのように、二人は高らかにこう口にした。




『天地万物を構成せし、八百万の御霊よ!! 我、ゆのはな郷が守護神、ゆのは姫の命によりて、この里の大地と天と人々に祝福を!!』



 

 

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