―12月18日― (一編)



うーん
……
うーん
………
爽快な目覚め!!
…………

俺はガバリと身を起こした。
ココはどこだ!?
なぜ俺は寝袋に包まって野宿をしていないんだ!?
水玉の小粋なパジャマまで着ているじゃないか!?
それに、なんつーか。 ずいぶんと高そうな部屋じゃないか!!
ヨロイカブトまで飾ってある!!
500円玉1枚100円玉3枚50円玉2枚10円玉6枚一円玉3枚の計963円で泊まれるとは思えんぞ。
「くぅ……すぅむにゃ……もう食べられなひ……でも、きりたんぽは別腹……むにゃ…あまざけも……しやわへぇ……」
この寝言は…ゆのはだ、俺の隣には確かにゆのはが眠っている、あいかわらず寝相はサイアクだが。
しかしこうなるとますます謎だ、963円で二人も泊まれるような宿があるはずが無い!
いや、そもそもゆのはだけを野宿させる腹積もりなんてさらさらないのだが。
「…すぅ……くぅ…… うぅん…」
む、今度はなんだっ!?
寝息が聞こえてくる方向に目を向けると、ゆのはのさらに向こう側に、ゆのはによく似たふにふにした感じのほっぺの娘が眠っているじゃないか!?
いや、まて、落ち着け、これは夢だ夢に違いない。
確認だ!! 指差し確認だ!!
俺は、ゆのはの隣でそこそこいい寝相で寝ている娘のほっぺを……
つんつん
「ふにゅぅ」
うぉ。やーらかいぞ!! しかもあったかいぞ!! なんか感触もゆのはのほっぺと同じ感じだ!!
これは夢では無いのか!?
まさか、あんまりにも金がないんで、ついに、やっちまったのか!?
身代金目当ての誘拐ってヤツを! ま、まさか!?
いや、身代金目当てならまだいい。つい、ふらっと誘拐したのだったらもっと大変だ!!
なんせこいつは出合った頃のゆのはにそっくりだ! 思わず目がいっちまうぜこんちくしょう!!
ゲームやマンガの影響で犯罪を起こしたなどと、ないことないことマスコミに描かれるに違いない!!
業界の人に迷惑がかかってしまう!!
俺はなんだかゆのはにそっくりな娘に、顔を近づけてしげしげと観察した。
夢でなく、実在しいているっぽい。ついに俺、犯罪者ですか!?
いや、落ち着け、もう一度指差し確認だ!!
つんつん
「んんぅ…」
「なーにをやっとるかぁ!?」
「がふっ」
スカーン! と景気のいい音を立てて俺の即頭部に衝撃が走った。
「ゆ、ゆのは! 起きていたのか!!」
「拓也がなんかごそごそやってると思ったら… うー、出会ったころの私に見惚れるのはいいけど…なんか許せないー!!」
ものすごい勢いで詰め寄ってくるゆのは。
俺は思わず後ずさり、数秒もたたないうちに壁の方まで追い詰められてしまった!
「いやいやいや、なんかよく判らんが顔近づけすぎだ! 顔!!」
「おっはよーございまーす!! 拓也さん朝ですよー」
うおっ、だ、誰だ! なんかどっかで見た事あるような気がするが、俺の名前を知っているこの少女は一体…!
「あ、やっぱりするんですね!!」
「誤解だ!! お、俺は誘拐なんかしないぞ!! 俺は無実なんだぁぁっ!!」
「何を言ってるんですか?」
「だってゆのはちゃん、拓也さんの顔にそんなに顔を近づけてるじゃないですか!!」
いや、多分ゆのはのセリフは俺に対して言ってるんだと思いますが。
「あー、そっかー、拓也さん達は、ゆのはちゃんの方からキッスするんですねー」

キッス?

その言葉を聞いた瞬間。俺の脳裏に記憶が蘇った!! まさに電撃的!!
「君はネギ少女!!」
「ええっ? わたしネギ少女だったんですか!?」
「…だから何を口走ってるんですか」
「ちょい戻りすぎた!! 君は伊東わかばだ!!」
「はぁい。 そういうあなたは、草津拓也さんですよー」
「そうか!! 俺は草津拓也か!! そしてそこで寝ているのがひめで、目の前にいるのがゆのはだ!!」
……って
「ゆのは、わかばちゃんもいるし、そろそろ離れてくれないか?」
「え? ……って、わ、わ、わかばおねえちゃん!? いつからそこに!!」
お前が俺にのしかかってきた最初のほーからだ。
ようやく気付いたのか、慌てて俺から飛び退く。その勢いはまるでバッタだ、顔色はめちゃくちゃ赤いけど。
「うーん……なんですかぁ……朝から五月蝿いです…」
「おお、起きたかひめ!! 今日もいい天気だぞ!!」
とりあえず、精一杯の空元気を振り絞ってさっきの瞬間の事は忘れる事にした。
「あのー。もしかして拓也さん」
「なんだい、わかばちゃん。 グッモーニン」
「…下手な巻き舌はやめろって言ってるのに…」
「わぁ巻き舌ですね!! 聞くの久しぶりですー」
「ふわぁ……全然上達してませんね」
「AH HAHAHA!!」
「まだ、寝ぼけてますかー?」
「いえ、復活しました。 もうバリバリです」
「それはよかったですー。朝御飯できてますから、居間まで来てくださーい」
その瞬間、ゆのはの目がきらきらりーん、と輝いた。 いつもの事だが変わり身早いぜ、ゆのは。
「あ・さ・ご・は・ん!! 吶かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
まさに脱兎。
神様じゃなくなったから以前のように足が床についていなかったってのはないが、それでもものすごい勢いだ。
「うわぁ、ゆのはちゃんすごい勢いですねー、よっぽどお腹すいてたんだー」
「すいません、食いしん坊なヤツで」
「地に足が付かないくらいって、こういうのを言うんでしょうねー。はらぺこキングですねー」
ううん、とりあえずせめてクィーンかプリンセスに訂正したいところなんだが…
とりあえず、わかばちゃん独特の空気は今日も絶好調に展開していた。
「わたしたちも早くいきましょー。 ゆっくり行くと、ゆのはちゃんに、全部食べられちゃうかもしれないですよー」
言いえて妙と言うか、以前のゆのはを見ている限りではほんとにやってしまいそうで怖い。
まぁ、食う量は神様だった頃より確かに減ってはいるのだが…
「拓也さーん、先に行っちゃいますよー?」
「おう、俺もすぐ行く」
そう言ってる間に、わかばちゃんはすでに廊下を歩いていた。
「おにいちゃん、さっきは何をしていたんですか?」
「いやーははは、ちょっとなー …て、ひめ? もう行ったんじゃなかったのか?」
「…お腹は減ってますけど、起きたばかりであんな運動する気になりません」
…低血圧か?
いや、体質自体はゆのはとおなじはずだからそれはないと思うが…うーむ…
やっぱ性格なんだろうな、うん。





「ふぃ〜 お腹一杯〜」
「お代わりいただけますか?」
「はいはい。たんとお食べ」
「すごーい、ひめちゃん6杯目ですー、おねえさんよりいっぱい食べるんだねー」
…うーん、以前のゆのはならこのくらい余裕で食べてたがなぁ。毎度思わされるが、やっぱ神の胃袋と人間の胃袋の差ってヤツなんだろうか。
今回は横に比較対照がいるからよくわかる。
「ひめ、お前はオバギューか!?」
「…私、妖怪でもおばけでもないんですけど」
いやまぁ、とりあえずコレだけ食うのは久しぶりに見たから、つっこんでおかんと気がすまなかったわけで。
「あー、とにかくだ、そんなにお代わりをするな!!」
ゆのはだけでも4杯は食ってるのに。
「なんでですか!? ひめ、ひもじいんです…もう野草とか泥とかフスマ饅頭はもう嫌です…」
ひめは、しっかりと抱え込んだ御飯茶碗に高々と盛られた御飯に涙をこぼした。
「そ、そんなものまで食べていたんですか……。 可哀想に…」
俺も思わずもらい泣き。
「そ、そうか……ゴメンなひめ、ごめんな……」
俺は、しっかりと抱え込んだ空の御飯茶碗に涙をこぼした。
「拓也は単純ですねー」
横に座ってるゆのはから小声で何か聞こえた気がしたが、なんか悔しいので受け流しておく。
「久しぶりの御飯なんじゃろ? たんとお食べー」
「ありがとうおばあちゃん!!」
ひめはそう言ったかと思うと、またゆっくりと箸を動かし始め…いや、なんかかもしだす雰囲気のせいでゆっくりに見えるが、よく見たらものすごい勢いで御飯が減っていくぞ!?
「…うわっ……」
「お代わりです」
「すごいスピードですー」
「作りがいがあるねー」
いや、なんか…がつがつ効果音が鳴りそうな感じで食ってる雰囲気じゃないのに、あのスピードで箸を動かすのはものすごい不気味なんだが。
それを証拠に、ゆのはですらも『うわっ』て声に出していたぞ。
いや、いまはそれより…
「ひめ!! お前がマンガみたく腹が減ってるのは判った!! だが、もうちょい遠慮しろ!!」
「……うー、でも…」
ひめ、お前がひもじいのはよく判った。だが、俺達は居候なんだから、もう少し遠慮しろよ。
それが美しき日本のつつしみってもんだろ?
「お前がそんなに立て続けにお代わりしていたら、俺がお代わりできないじゃないか!!」
「拓也さんも、お代わりしたかったんですかー」
し、しまった!!
分別がある忠告の方じゃなくて、魂の叫びをそのまま口に出してしまった!!
「あ、いえ、その…」
くそ、ゆのは! そこで必死に笑いをこらえるな!! 余計に恥ずかしいだろ!!
「おう、それは気付かずにすまなんだ。男の人はいっぱい食べないとねぇ」
みつ枝さんは俺の手から御飯茶碗を取ると、お代わりをよそってくれた。
「はい、たんとお上がり」
「う……うぅ…… 俺は、俺は今、猛烈に感動しているぜ!!」
熱い涙がほほをぬらす。 人の情けが目に沁みるぜ!!





「ふぅ……ま、こんな物かな」
ボイラーの傍にいると冬でも熱いぜ!!
「拓也さーん。具合はどうですかー?」
みつ枝さんと一緒に風呂場の掃除をしていたわかばちゃんが来た。 俺の様子を見に来たんだろう。
「うん。 今、チェック終わった」
「やはりバルブかのー」
「わわわっっ」
「ん? どうしたかねー」
だから気配もなく俺の背後に立たないでください!!
3年前よりさらに磨きがかかってるんじゃないのか!? やっぱりこのばあちゃんあなどれん!!
「もしかして、何かスゴイ故障が!? 一時間のウチに爆発しちゃうとか!! チェルノブイリですねー!!」
「いや、メルトダウンはしないって。でも、バルブは何ヶ所か変えなくちゃ駄目だね」
「うーん。チョット前から音が変だとは思ってたんだけどねー。バルブかー」
「場所は判るかねー?」
俺はスパナで指し示す。
「ココとココとココがおかしくなりかけてますから、新しいのに交換したほうがいいですよ」
でもさすがに以前俺が指定したところはおかしくなっていないな。バルブの寿命がどのくらいかまではさすがに判らんが。
「叩いただけでわかるんだー。すごいなー」
そんな尊敬のマナザシで見られると照れるぜ!!
俺は頭をかきつつ、
「ま、前、銭湯でバイトしてた時、これと同じ型のボイラー使ってて、そん時、修理屋さんに教わったんだよ」
「なるほどのー。では出理歯さんのトコには、バルブの交換が必要だと連絡しておくよー」
イデリバ…確か月に一度点検に来る業者の人だったな。
「まぁ、幾らバイトした事があるとは言っても、俺は素人ですから、業者の人に他の場所も点検して貰った方がいいですよ」
「ついでにやってもらうかのー。 ま、でも、今日の所は大丈夫そうだねー」
ばあちゃんがボイラーの音に耳を澄ましている。
「ええ、来週くらいまではもちますよ。すぐ壊れる物でも無いし。 でも、念の為、修理屋さんが来るまでは、毎日チェックしておきますよ」
「それは、ありがたいねー」
「あの。開店準備で他に手伝えるコトないですか? 掃除とか」
居候だからな、やっぱこの位やるのは当然だよな。
ちなみに、ゆのはとひめは朝から喰いすぎで寝ている。
…なんか前にも同じコトがあった気がするが…神様って一体……。
「銭湯で働いた事があると言ってたねー」
「ええ、わりと何度も」
その何度ものなかにこの華の湯も入ってるんだが、さすがにそれは言えない。
「なら、そうだねー。 風呂場の掃除は終わってるしねー」
終わったのか!! やっぱ早いぜ!! これが銭湯のプロの仕事か!!
「残りは、表と玄関と脱衣場かー……」
「じゃあ、拓也さんには脱衣場をやってもらおうかねー」
「了解!!」




いいか、好きとか嫌いとかはいい。とにかく掃除をするんだ。
風呂屋の基本的な仕事はひたすら掃除。なんせ人間は汚れのかたまり、濡れはするし垢だの毛だのは落ちるし、まぁ動物だから仕方ない。
銭湯はその汚れを落とす場所だから、とにかく汚れる、ほうっておけば汚れる、さぼれば汚れる、またたくまに汚れる。
その上、湿り気は多いしで、下手すればたちまちカビだらけ、末路は腐界か大密林か。
だから掃除掃除掃除掃除。とにかく掃除!!

コレ、かなり前にバイトしていた銭湯のおやじの受け売り。
俺は姉さんかぶりをきゅっと頭に締め、ジーンズの裾をたくしあげ、腕まくりをして戦闘態勢。
ベンチャーズでもバックに鳴らしながら、景気よく掃除したいところだが、勝手にそんなことするワケにもいかないよね。
とにかく掃除!! 一生懸命掃除!!
攻撃目標は二つの脱衣場とそれぞれに付属したトイレ。
第一目標は、男湯側の脱衣場だ!!
まずは、はたきでかるーく棚だの壁だのにたまった埃を床に落とすべし!!

ばばばばばばばばばばばっ!!

んで、ホコリを一通り床に落としたら、次は床のホコリを掃除機で殲滅だぜ!!
おおっ、あいかわらずいい掃除機使ってるジャン!! ダイソン式だ!!
これって透明で、中が見えるのがいいよなー。
四角い部屋は四角く!! 丸い部屋は丸く!! 隅まで逃さず殲滅だ!!
アステカ帝国が、嘆きの夜にコルテス軍を殲滅できなかったから滅亡したように、わずかの取りこぼしが破滅をまねく!!
棚にまでホースの先を突っ込んで殲滅だ!! 体重系の下まで殲滅だ!!
気持ちいいなぁ。 俺の部屋はめちゃくちゃだが、他人の部屋を掃除するのは気持ちいい!!
「楽しそうですね、拓也」
「ふぅ… お、ひめじゃないか。目を覚ましていたのか」
「はい。あ、ゆのははまだ寝ています、人間の胃袋と神の胃袋では消化のスピードが違うのでしょうか?」
そんなこと俺に聞かれても困る。
それに以前も同じことがあったが、あのときのゆのはも起きてこなかったぞ。
「ところで、ちゃんとお仕事していますか?」
「おう、見ろ! この俺の掃除機さばきから逃れられるホコリはいない!」
と、言っても毎日きちんと掃除してあるらしくて、元々あんまり汚れてないようだがな。
わかばちゃんとみつ枝さんだけでここまでしてるんだから、本当に大したもんだ。
まぁとりあえず掃除機は終わり、次は雑巾がけだ!!
「…本当に、楽しそうですね」
「おう、どうせやるなら楽しくやらんと損だからな!」
ふははは。待ってろゴミや染みどもめ!! 俺がこの洗剤付きの雑巾で、残らず掃討してやるぜ!!
「俺のぉ俺のぉ北斗ぉ七星ぃぃぃ♪ とくらぁ」
ん?
「ん?」
なんだ?
「なんでしょう?」
男湯の方から何か聞こえたような。 しかも女の声!?
「…どこかで聞いた声のような気がしますが」
いや、でも。男湯から女の声が聞こえてくるわけないし。第一まだ営業時間まではかなりある。
空耳だよなー。
……と、言いたいところだが…なんだ? なんだこの脳の奥底に感じる違和感は。
「ふぅぅ……いい湯だったぁ♪」
そう、そうだ。確かそんな感じのセリフだ。 以前にも聞いた事があるぞ。
「ふふーん♪ ふふふーん♪」
うーむ、なぜだ! なぜ思い出せん!
「拓也」
まるで俺の脳の方が、本能的に思い出すのを拒否しているように思い出せないぞ!!
「今日はどれにするかなぁ?」
む、空耳が牛乳のケースを開けたぞ!?
「たーくーや」
さらには牛乳瓶のキャップを取る音まで!! なんて自然な流れなんだ!!
まるで風呂上りの女が鼻歌を歌いながら牛乳を飲もうとしているみたいじゃないか!!
「拓也、とりあえず今振り向いたら殴りますよ」
「ん、何を言ってるんだ、ひめ?」
人間やるなといわれるとやってしまう生き物だ。俺はその例にもれず、ひめの言葉を合図に振り返ってしまった。
「んぐんぐんぐ」
おお。うまそうに飲んでいるよ。リアルだなぁ。
あの細いのどがこくこくする辺りがリアルだ!!
「ふぅー…忠告はしましたからね…」
空耳どころか空目だ!! すごいぞ俺の妄想!!
だが甘いな、ディティールが甘い。 背景にまで手を出したのがうぬの不覚!!
リアルな女が牛乳瓶を取ったなら、瓶が一本減っているハズだが、ケースを見ても一本も減ってないじゃないか!!
「あれ……?」
「ん?」
一本減っているような…
ごしごし、減ってるなぁ  ……まさか
「うーん、何か無いですかねぇ…」
まさか、まさか、まさかぁっ!!
「ぶはっ」
うわぁ。 妄想が噴いたぁぁっっっ!!
「えーっと、あ、この箒丁度いいですね」
「はっ!!」
その瞬間。俺の脳裏に記憶が蘇った!! まさに電撃的!!
そうだ、確か3年前の丁度この日のこの時間だった!!
「あ、あんた、だだだ誰」
「…せーのぉ」
うう、そうだ、この出来事は俺の黒歴史として記憶の奥底に葬り去ってしまおうと誓った記憶じゃないか!
だから憶えて無くても当然だっ!!
「神罰! 脳天唐竹割り!!」
「ごふぉっっ!!?」
俺の後頭部を何か棒のようなものが強烈に打ってきた!!
「おぉぉぉぉ…」
くそう、後頭部強打はさすがに強烈だぜ!
「お騒がせしました。わざとではないので、ほら、おにいちゃん、とりあえず出ましょう」
「あああああ、ちょ、ちょっとぉぉ」
女のその呼びかけなど無視するかのように、ひめはものすごい勢いで俺の腕をひっぱっていた。
それに抵抗する力も削がれたおれは、なすすべなく足を動かすしかなかった。





「はぁ……ふぅ……はぁ……」
い、いかん。ひめにひっぱられてたとはいえ思わず逃げてきてしまったぞ。
男ならあそこで土下座なのでは?
「ふぅ……はぁ…… 言っておきますが、私は忠告はしていましたよ?」
「そうだよ、覗きはいけないよ拓也」
天使の俺が耳元で囁く。
「ううむ、やはりそうだよなー」
「しかし。拓也君は覗きをしようと思ったわけでは無い。女の方が確かめもせずに入ってきただけであって、覗きと言うのは如何なものか」
弁護士の俺が冷静な判断を口にする。
「言われてみればそうだよなー」
「…拓也、人の話聞いていますか?」
「へっへっへ。なかなかいいスケだったじゃないか、ああいうの好みだろ好み。 きひひひひひ」
悪魔の俺が、耳元で囁く。
「言われてみればそうだよなー。 …いや、駄目だ、俺にはゆのはという恋人がー!」
「……あーもういいです…」
「お二人ともどうしたんですか? 何か悩み事でもあるんですかー?」
「わ、わかばちゃん!?」
「あ、わかばさん」
「ああ、判りましたー。 トイレの場所がわからないんですねー。 もう、しょーがないんですからー」
「そ、そーなんだよ。あはははは」
「よくもまぁぬけぬけと言えるものですね…」
「うちとお風呂屋の部分って、結構判りにくく繋がっていますからねー。 最初のうちは判りにくいんですよー」
「え、ええ」
「それに、掃除したばっかりのトイレを使うワケにはいかないですからねー」
「あははは」
「トイレはー、この廊下を真っ直ぐ行って、突き当たりですー」
「う、うん。判ったよ」
「あ、それから、拓也さん。重要な事言うのを忘れてましたー」
「な、何かな」
「営業前に朝風呂に入りに来る人が居るのでー。女湯の方の脱衣場を掃除する時は、注意してくださーい」
「は、はい…」
「…わかばさん、遅すぎですよ」
ぼそりと小声でひめが。とりあえず何があったかばらさないでくれ、頼むから
「だから掃除をするときは入り口に、『掃除中』の札をぶら下げておいてくださいなー」
俺が掃除していたのは男湯側だったよなぁ……。
そういえば前回もちゃんと男湯を掃除していたときにおこったんだよなぁ…それも妄想じゃなかったし。
そういやあの人、いったいなんで男湯の方に入ってきてたんだ?
「あはははは…まだ女湯の方は掃除してないから…」
「よかったー。間に合ったみたいですねー」
ああ…その笑顔が今は息苦しい…
「でも拓也さん駄目ですよ」
「な、何が?」
「雑巾持ったままトイレに行くつもりですかー?」
「あ、そっちね… そうだね、これはいけない。 廊下の付き辺りだったよね?」
「はい、そーでーす」




「ふぅ。すっきりしたぁ。 さぁて、仕事へ戻るぞ!!」

気を取り直して、恐る恐る脱衣場の方へ戻ると…
「…とりあえず、雇ってもらえなくなると困るので黙っておいてあげます」
ひめがいた。そのほかには誰も居ない。
牛乳ケースは……一本もなくなっていないな。
誰か補充したんだろうか? それとも今回こそ俺の妄想だったのか?
「まぎれもない現実ですから、目をそらさないでください」
「そ、そうか…」
ああ、気まずい。
どうせこのあとあの人のところに仕事を探しに行く事になるんだろうし、どんな顔して行けばいいんだ!
「今はやること済ませてください」
「そ、そうだな! 光速で雑巾掛けだぜ!!」
そうだ、とりあえず今は考えないようにして仕事をすませよう。




「準備おわりー」
「終わりー」
ふー、久々の銭湯のバイトだったが、なかなか手ごたえのある掃除だった。
「別な意味で終わりかけた気もしますけどね」
はははははははは…頼むからもう忘れてくれ。
「いつもより少し早く終わったねー」
みんなでオコタを囲んで、緑茶をすする朝のひととき
「働き手がひとり増えたからねー」
二人ともニコニコ笑顔で俺を見ているぞ。
…いや、約一名無表情にこっちに目を向けている気がするが。
「い、いやぁ。それほどでも。 AH HAHAHAHA」
俺は照れやら気まずさを隠すために緑茶をずずず、といただく。
渋くて、でも底に甘さがあって、うまいなぁ。
「でたでた巻き舌ぁ!!」
「…………」
みつ枝さんは、こくこくと緑茶を飲み干すと、
「わかばや。今日はわたしが番台に」
「はーい」
「渋蔵さんのトコには電話をして置いたから」
「はーい。 さぁて拓也さん」
「WHAT?」
「おにいちゃん、巻き舌はもういいです」
言葉のとげがちくちく痛いぜ。
「今日は、ゆのはな町を案内しちゃいます!!」
「え、いいの? 銭湯の方は」
というかもう大体知ってますし。
「毎日わかばはよくやってくれるからのー。今日はお休みをあげるよー」
「だから、大丈夫でーす!!」
「せっかくの休みなのに、いいの?」
「私がしたくてするんだから、いいんですよー」
う〜む、実際今の俺にはほとんど必要ない気がするが、これ以上遠慮するのはかえって無礼というものだろう。
というか、もう大体知ってますとも言えないこの状況はやっぱりはがゆいなぁ。
「では、御厚意に甘えさせていただきます」
「あーみんなでお茶飲んでる!! 拓也とひめが私をのけ者に!!」
「のけ者って……」
「おねえちゃん、食べすぎで倒れてましたし」
いや、ゆのは以上に食ってたお前がそのセリフをいうのはどうかと思うぞ。
「ふたりとも、きっと私の分のお茶菓子まで食べたんだっ!! ひどいひどいひどいっ」
ゆのはもゆのはでもうちょっと姉の威厳ってヤツを出したらどうなんだ…
「大丈夫だよー。御茶飲んでただけだからねー。お茶菓子は出ていないよー」
「ほい。ゆのはちゃんの分」
「あ、ど……どうもありがとう……」
やはりゆのはは、みつ枝さんの前だとおとなしい。
苦手だからとかそういうのじゃなくて…こう、母親か何かみたいに見ているのかもしれない。
「ゆのは、お前お茶大丈夫なのか?」
そういや、前にもゆのははこうやってみつ枝さんからお茶を手渡されていた事があった。
その時に、なぜか涙流していたが…
「拓也、いつまで私を子ども扱いする気?」
「少なくとも、私よりは子どもっぽいかと」
「いや、冗談だ。 なんかからかいたくなっただけで」
うん、あの時は60年前からかわらないだろうみつ枝さんの優しさに感極まったのだろう。
あの時の俺は気付いてやれなかったが、今は分かるぞ、その気持ち。
「…なんだか非常に納得がいきませんが、今回は許してあげます」
「ははー、ゆのはさま、申し訳ありませんでしたー」
「わー、時代劇ごっこですかー?」
「二人とも馬鹿です」
ひめのツッコミを無視して、ゆのはは差し出されたお茶に口をつけていた。
そういえばなんか今日のひめは言葉や行動に容赦がない。どうかしたのだろうか?
「おっと。そろそろ時間だねー。 さ、わかば行っておいでー」
「あ。はーい。 そうだ!! ゆのはちゃんとひめちゃんも一緒に行く?」
「どこ行くの?」
「わかばさんがこの町を案内してくれるそうです」
しかし、俺はまぁ誘いを断るわけにはいかなかったからいいとして…
考えてみればゆのはもひめも、この町の元・神だったり現・神だったり…
別に今更、町を案内されても…
しかし、ゆのはとひめはお茶を飲み干すと立ち上がって…
「行く!!」
「ご一緒します」
「え?」



 

 

12/18(二編)へ続く


 


戻る

 

 

 

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送