―12月18日― (四編)
 

 






外に出た瞬間、耳に飛び込んでくる声。
「ありがとございました、ありがとうございました」
「いえいえ。当然の事をしたまでです」
「ほんとうにありがとうございました」
ん? この若い感じの男の声は…  声のした方に目を向けて見ると。
おお、本当に若い男だ!!
この町に戻って来てから始めて見たよ!!  若い男が照れくさそうに頭をかいているよ!!
…というか、この人も変わって無いなぁ。 たぶんあっちのほうも変わって無いんだろうなぁ。
「ありがとうございました」
俺は珍しい生き物を見る目で男を見た。相変わらず、なかなかのやさ男だ。
しかし何度見てもびっくりだ。あの人のような若い男が、この町にもいたんだな。
「デンキの事なら春日デンキにお任せください!!」
老女は何度も何度も御辞儀をしつつ、立ち去っていった。
「尚樹さーん!! おはようございますー」
「あ、わかばちゃん。おはよう」
わかばちゃんは、とてとてと、尚樹さんの方へと駆け寄る。
「もしかしてあの話、オーケーしてくれるのかい?」
「何度頼まれてもダメです」
うわ、きっぱり。
そういえば前の時にも同じやり取りをしてたな。3年間ずっとやり続けているのか?
…いや、この様子だともっと昔から続けていそうだ。
結局なんの話なんだろう。
「そうか……」
「電池手に入ったんですねー」
「古い型だったから大変だったよ。でも苦労した甲斐はあった。 あんなに喜んで貰えたんだからね」
「よかったですねー」
「ああ、こういう時、電気屋でよかったなと心から思うね。それはそうと」
やっぱいい人だ。 でも今の発言から察するに、やはりもう一つの顔も健在っぽい。
「今日は紹介したい人達がいるんですよー」
尚樹さんは俺達の存在に気づいた。
「もしかしてわかばちゃんの所に?」
「そうなんですよー」
自己紹介をしようと進み出た俺を、尚樹さんは柔和な笑みをうかべつつ遮る
「こんな所で立ち話もなんですから、中へどうぞ」


…この店も相変わらずの内装だなぁ…
「あ、そこにお掛け下さい」
「いえいえお構い」
と、言い掛けた時には、二つある椅子はゆのはとひめに占領されていた。
「わかばちゃん。そこの椅子取ってくれないかな?」
「あ、はーい」
わかばちゃんは出してくれた椅子に、俺は腰掛ける。
うーむ、ここにはあまり長居するとろくな事が無いことは、経験者の俺には良く分かっていたが仕方ない。
「先ずはボクの方から。ボクは春日尚樹。5年前から両親の跡をついで、この電気屋の主をやってます」
俺達は軽く会釈し会う。
うーん。行動はまともな人に見えるんだけどなぁ…
「俺は草津拓也。 元長谷田大学人文科の歴史学専攻で、今は大学の延長のつもりであっちこっち回って郷土史を調査したりしています」
「歴史学と言うと、第一次大戦とか第二次世界大戦とかには当然興味がおありですね。だとすれば」
「いえ、そちらの方にはとんと、中南米の諸民族の歴史に興味があって…あ、最近は日本の蝦夷の事も興味ありますね」
まぁ、これは昔の人間だったゆのはが蝦夷の出だったという理由だが。
「歴史における人間の様々な様相は、戦争という極限状態に集約されていると思うのです。 歴史と言ったら戦史ですよ」
「はぁ……そういう意見もあるでしょうね」
とりあえずこの人のこの手の話題はてきとうに流そう。
「それはそうと、この店内を」
「で。ですねー。 この子達は拓也さんの婚約者さんのゆのはちゃんと、ゆのはちゃんの妹の、ひめちゃんでーす」
「草津ゆのはです!! よろしくお願いします」
「草津ひめです。 おにいちゃんと苗字が同じなのは親戚同士だからです」
「始めまして春日尚樹です。お二人とも利発そうな感じですね」
「ま、まぁ……」
「デンキのコトなら春日デンキをよろしく」
親しみを感じさせる笑みとともに、すっと尚樹さんが手を差し出して来た。
もちろん俺は受ける。
がっちり握手。うむ、あいかわらず華奢だな。
だが、あちこちタコが出来ているから、働いていない人間の手ではない。
「こちらこそよろしく」
「こんなMARUも手に入りにくい田舎へようこそ。同年代どうし仲良くやりましょう」
ゆっくり手を離すと、尚樹さんは眼鏡を直し、おもむろに。
「それはそうと」
「実はねー。 お二人ともちょっとワケありで大変なんですよー」
「ははは。判っているよわかばちゃん。わかばちゃん所にお世話になる人は、みんなワケありだからね」
「ワケありだなんて……な、なんでもないんです。なんでも」
「色々と大変だろうけど頑張ってね。 ボクも出切る限りのコトはするから」
尚樹さんは、なかなかにさわやかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます!! 直樹おにいちゃんも神様みたいな人だよぉ」
「人の情けが身に沁みます…ううっ……」
「ははは。神様はないよ。ボクは町のしがない電気屋さ。 まぁそれはそうと僕の後ろの」
「お二人はですね。ご両親の作った借金の返済を助ける為にお仕事を探してるんですよー」
「そうなんです。わたしたちには、お金がどうしても必要なんです!!」
「ふぅむ。随分と深刻そうだね」
あ、こりゃ始まるな。 対ショック、対閃光用意! 総員、衝撃に備えろ!!
「とと様が博打で借金を作って、でもそれは家の先祖伝来の土地を虎視眈々と狙っていた地主様の謀に嵌められたからだったんです」
「地主様は証文を持って家まで押しかけてきて、私達を女郎屋に送り込むと脅したんです。 とと様とかか様は(以下略)」
「何度聞いてもかわいそうなゆのはちゃん……」
公民館および喫茶店を経るうちに、更に細かいディテールを増した草津姉妹の話は、俺の涙腺にもサンダーボルト!!
俺の対ショック対閃光の備えはなすすべなく打ち砕かれた。
「ううっ。可哀想に!! なんて可愛そうな姉妹!! 自分も関わっているなんてとうてい思えん……ううっ」
「拓也……泣くなんて格好悪いよ……」
「そうですよ、泣いちゃだめです……うっ……哀しくなっちゃいます」
「ごめんゆのは、ひめ……だが、これが泣かずにいられるか……。ああ、余りにも過酷な運命」
「拓也ぁぁぁっ!!」
「おにぃちゃぁぁぁんっ!!」
「ゆのはぁっ!! ひめぇっ!!」
ひしっ、と俺達は抱きあった。
ああ、うるわしきかな草津一家。
「と、言うワケなんですよ」
なんかわかばちゃんの切り返しがどんどん早くなっていってる気がするんだが。
尚樹さんは眼鏡をとると、袖口で目元をぬぐった。
「なるほどっ。なるほどっ!! それは大変だ!! 仕事ならボクからも回してあげるよ!!」
「わ、わぁ!! 拓也、仕事だよ!!」
「あ、ああ、そうだなぁ」
「…なんだか二人とも微妙に声が引きつっている気がしますが…」
と言うひめも少し口元が引きつっている。
「……ええっ? 回す仕事があるんですか?」
「ああ、あるよ」
「だってこのお店は、尚樹さんだけで充分だと……」
「今月はちょっとね。 人手があると色々と助かるんだ。 由真ちゃんにも声をかけてるし」
「あー。そういえばそういう季節ですねー」
「そういう季節って?」
「知らないのかい? 月末に」
「尚樹さんは時給をいくらくらい払うつもりなんですかー?」
「千円出すよ。千円。 由真ちゃんにもそう言ってある」
「ええっそんなに!?」
俺だけ反応、ゆのは&ひめ無反応。
いや、ぴくりとは動いたが、なんか別なところで制止がかかっているような感じだ。
「はははっ。これくらいは当然だよ。 で、それはそうと」
「そろそろ夕食手伝わなくちゃ。 それに、おばあちゃんにずっと番代を任せているワケにもいかないしー」
「そうだね。ずっと付き合わせちゃってゴメン。 俺も手伝うよ」
「いえいえ、私が好きでしたコトですからー」
ふぅ、これでようやく出る事が出来そうだ。今回は尚樹さんのもう一つの顔は見ないですみそうだな。
さすがわかばちゃん、話の受け流し方に熟練が見える。
「…それにしても……」
ってゆのは!! その先は言うな!!
「すごい船の数…まだ治ってなかったのか…」
お前それを分かっててバイトの話に乗り気じゃなかったんじゃないのか!!?
い、いや、小声で言ってたから大丈夫だよな!? な!!?
「ほほう。ゆのはちゃんは、これに興味があるのかい?」
「げ、聞こえてた……!?」
「おねえちゃんの馬鹿…」
あー!! 声の調子が変わったぁ!! 目つきも怖いよ目つきも!!
「う、ううん。すごく場違いだから気になっただけで……ハッ!? やばっ!」
尚樹さんは眼鏡のつるを、指先で、くい、と持ち上げて直した。
ゆのはの馬鹿ー!!
「いや、場違いじゃないよ。ヴィットリオ・ヴェネト級の戦艦は美しいからね。飾っておくのは当然なんだよ」
カウンターの背後に張ってあるポスターを、器用そうな指先が、びしり、と指差した。
「他国に比べて抜きんでてあか抜けたデザイン!! まさに地中海の女王!! ヴィットリオ・ヴェネト級は史上最高の戦艦だよ」
「わ、わわっ始まっちゃったよー」
「イギリス戦艦の洗練から程遠い野暮ったさや、アメリカ戦艦の機能を追い求めた冷たさとは違う。 違うんだよイタリアは!!」
「い、いや、私、戦艦ってよくわからないし…」
だー!! そのセリフも火に油だー!!
「お、おねえちゃん!! 余計な事はー!!」
「ゆのはちゃんは戦艦を知らないのかね? ふふふ。これは教え甲斐がある。 いいかね。まずそもそも戦艦と言うのは(中略)」
ああ、尚樹さんがまたおかしな人に!!
まるでマッドサイエンティストだよ!!
頭上から雷でも落ちてきそうだよ!!
つーか全然変わってないよこの人!!
「敵に対してどう位置取りするかが」
あ、尚樹さんの背後に誰かが…
「こらっ。デンキヤ!! 仕事さぼるな!!」
椿さんは、尚樹さんが乗っていた椅子を蹴り飛ばした。
「わわわぁっ」
尚樹さん轟沈。 足元崩されたらたまらないよなぁ。
「ったく、そういう講釈は、ネットでニートどもと好きなだけしてろ」
「……うう。眼鏡眼鏡」
尚樹さんは倒れる時に外れた眼鏡をさがして、床の上をはいずっている。惨めだ惨め過ぎる。
「誰もきいてくれないからって、新たな獲物を探すな」
「無理矢理じゃないんだよ!! ゆのはちゃんが興味を……だからボクはゆのはちゃんに」
「…興味を持ったって言った覚えはありませんが」
「はい、おねえちゃんは興味を持ったなんて一言も言ってません。 ここに戦艦があるのが場違いだとはいいましたが」
「ほらみろ。ペドフィリアみたいな言い草は聞きたかないね。外まで絶叫が聞こえてきたから、こんなこったろうと来てみれば」
「ぺどふぃりあって…」
「こいつみたいなヤツのコトさ。で、ゆのはちゃん。こいつの話、面白かった?」
「……えっと。よくわからない言葉が一杯だった」
「右に同じ」
「左に同じです」
「ほほう。それなら、ボクがいちから順々に懇切丁寧に説明してあげぐわぁぁっ」
椿さんのサンダルキックが顔面に入って、尚樹さんはカウンターの奥へ突っ込んだ。
「いいか。このデンキヤは放っておくとだな。こういう講釈を2時間でも3時間でも半日でも一日でもし続けるんだ」
知ってます。 ええ、重々承知ですとも。
「それにつきあう覚悟がある時だけ、こいつの話を聞くんだね」
「………」
全員絶句。何度聞いてもこの人の語りは規模が違う。
「椿おねえちゃんありがとう!! そんな恐ろしいコトからわたし達を救ってくれて!!」
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
ゆのはとひめにひしと抱き付かれて、椿さんは照れくさそうに頭をかいた。
「それにしても蹴るコトはないのでは?」
「ならデンキヤの歯を抜くしか」
…あー、そうだ、そういえばこれでも平和的だったんだな。
「わかばが一緒なら大丈夫かと思ったんだけど」
「『それはそうと』はうまくくぐりぬけたんですけどー」
うむ、悪いのは口を滑らしたゆのはだからな…とは口に出して言わないでおこう。
今はゆのはの機嫌はそこねたくない。
「拓也さんも覚えておいたほうがいいですよー。それはそうと、が尚樹さんの口から出ると、危険信号ですからー」
「それはそうと、が出ると、どんな話題からでも、イタリア戦艦の話に行くからな」
「いつもそうなんですか?」
「たまには、アメリカとかイギリスとかフランスとか、ドイツや日本の戦艦の場合もあるよー」
「一度だけオーストリアの戦艦の話があったな」
「それは珍しいねー」
「オーストリアって海がないんじゃ」
「それはだね!! オーストリアが、オーストリアハンガリー帝国だった時ぐあっ」
椿さんのサンダルキックが尚樹さんの顔面にめりこんだ。
「まったく、油断も隙もない。 さ、こんな魔窟からはさっさと出る出る」
「はーい」
「そうさせてもらいます」
電気屋さんから出る瞬間に振り返ると、尚樹さんは床の上で、見事にぴよっていた。

ナンマンダム



「あのままで大丈夫なんですか?」
「あんな暗号を一日中わめき続けて、人を苦しませようとしたのですから、当然の報いです」
「さすがに付き合いきれません」
と、ゆのはとひめはぷんぷん。
ゆのは、それを分かってて地雷を口走ったのはお前だという自覚は無いな。
「いつものコトですからー」
と、わかばちゃんはニコニコ。
「そ。心配するこたない」
椿さんはそう言いつつ、春日デンキの入り口に、『終業』のプレートをぶらさげた。
「これで良し」
「さりげなくヒドイですね」
「いいんだよ。どうせあと二時間くらいで閉店なんだから」
「午後七時にはみんな閉まっちゃうんですよー」
「九時までやってるのは、うちとわかばんとこと、飲み屋の『北斗七星』くらい」
さすが田舎。相変わらずなにもかもが早じまいだ。
しかしまぁ、これでは家に居場所の無い孤独な子供達がぬくもりを求めて集まる場所が無い!
…と、言ってもそもそもこの町に小さな子ども自体が少ないのであって…
「それに、みんな夜にわざわざ外にでませんしねー。 今の季節はおこたでぬくぬくか、お布団でぬくぬくですー」
「おこたにおみかんは?」
「もちろんもれなくついていますよー」
「おねえちゃん、おふろでぬくぬくを忘れています」
「あ、そういえばそうだねー」
「ぬくぬくがいっぱいあって迷っちゃうよぉ」
「じゃあ、全部すればいいんですよー。帰ろっかゆのはちゃん、ひめちゃん」
「はぁい♪ おふろ♪ おふろ♪」
「そして、こたつ♪ おみかん♪ おふとん♪」
わかばちゃんとゆのはが、仲良く手をつないで夕暮れの商店街を歩いていく。
「ひめは歌わないのか?」
「ぬくぬくには賛成ですけど、歌って歩く気は…」
「あはは、ひめはゆのはよりおねえさんっぽいね。 いや、大人っぽい、かな?」
椿さんが笑ってそんなことを言っている。
一応同じ歳…というか同一人物なんだが、まぁ、傍から見てもそう思うよなぁ…このふたりって。
「あはは…ところで、椿さんは店にいなくて大丈夫なんですか?」
なんかゆのはと、そんなゆのはの恋人である俺が不憫な気がしたので話題をそらしておく。
「しぶぞうに店番させてる。いつもほっつき歩いてるんだから、これくらい当然」
「あ、渋蔵さんで思い出したんですが」
「ん? あの不良ジジイになんか迷惑でもかけられた?」
「会っていきなりメンチ切られました」
「はは。しょーがないなぁ。しぶぞうらしいけど」
「で、会った時、渋蔵さん『俺の北斗七星』っていう歌を歌ってたんですが」
いや、理由は知ってるけどな。ただ、ちょっと気になる事が
「…う」
「ここに来てから何度か聞いてるし、飲み屋の名前にもなってるくらいだから未だに流行ってるのかなーと…あっ」
わわっ。まずい。何度かって言ったら、あの時のコトが入るじゃないですか!!
うわぁ。思い出すな俺!! 湯上がりの肌なんて思い出すな!!
………………
「うわうわうわっ」
「あー……おほん」
「………」
きまずっ。
「あー、『俺の北斗七星』は、この町出身の演歌歌手が歌った歌なんだよ」
「な、なるほど」
知ってるけど、下手にむしかえさないために黙っておく。
「狂咲雷蔵って演歌歌手知ってる? もうとっくに引退した歌手だけど」
「名前だけなら」
いや、正体も知ってますけどね。
「十二年活動してシングル三枚ぽっきり。空が泣いてるぜ、俺の北斗七星、かがり火。 良く聞こえるのは、歌手がこの町出身だから。飲み屋の名前になってるのは、単に町に居るファンが店建てる時に名づけただけだよ」
「へぇ、詳しいですね」
「狂咲雷蔵はしぶぞうだからさ」
「えええええっっっっっっ!!」
あ、ちょっと大声過ぎたな。知らなかったふりをしておこうと思ってたんだがやりすぎたかも。
「そんなに驚くか?」
「わわ!? びっくりしたよー」
「お、驚いたよ拓也!!」
「…おおげさすぎるくらいの声でしたね」
「わたし思わずジャンプしちゃったよー。つばきちゃん、拓也さんの背中に、蛇花火でもいれたんですかー。 だめですよー」
「しないって。 渋蔵が演歌歌手だったって教えただけ」
「…拓也、知ってたんじゃないんですか?」
「いや、一応初対面ってことになってるし…ちょいと声大げさすぎたか」
「演歌と言うと…涙は酒か溜息か?」
…あー、すっかり忘れてたが、その辺りの知識は3年前のゆのはそのまんまなんだよなぁ、ひめって。
「?」
「なぜ、そんな古い歌を」
まぁ、前回を除けば一番新しい知識なんて63年前のものですし。
「あー。わかばちゃん」
「はーい」
「なぜ、うちに入らないの?」
「ゆのはちゃんが、拓也さんのコトを待とうって、さすがTHE婚約者さんですねー」
「そうそう、拓也遅いよー。 早くおこたとおみかんおふろ!!」
ゆのはは、俺をぐいぐいとひっぱる。
「そんなに引っ張るなよ」
「だって、おみかんおみかん」
「ははは。ゆのははいやしんぼうだな。 よっぽどみかんが喰いたいんだな」
「誰がいやしんぼうだ!!」
俺も小声で答えてやる。
「まぎれもない事実だ」
「事実ですね」
いつのまにやらすぐ横にひめの顔。
…お前も人の事は言えんぞ。
「そーではなくて、何者かが待ち伏せてるの!」
「……待ち伏せ?」
なんだ、この嫌な響きの言葉は。
HAHAHA頭が古いぞゆのは!! 戦国時代じゃあるまいし……
と、普段なら笑ってやるところだが、なぜか妙に真実味をおびて聞こえてくる。
「……ああ、この気配は。アレですね」
なんかひめは気づいた様子だが。
「拓也以外が踏み込んだら危険です。 というわけで人柱となって吶喊してください」
「ええっ!?」
いやちょっとまて、なんか脳裏の奥底からいや〜な思い出が蘇りそうな気がするんだが。
つーかその言い回し、俺が突っ込んでも危険なのでは?
「問答無用」
ひめが手をかざすと、俺が触れてもいないのに、玄関の引き戸がスライドした!!
「わぷっ」
正面から強烈な衝撃が!
「わかばぁ!! おかえりなさぁい!!」
なにごとっ!?
「あ、やっぱりです」
「でた、ヤマザル」
「どうしてこんなに遅かったの? クマかイノシシにでも襲われたのかと思って心配したじゃない!」
なんだなんだ!?
「きゃあっ!! 由真助けてぇっ!! ってわかば大ピンチ!! さっそうと駆けつけるアタシ、わかば大丈夫? 由真由真助けてぇ。 ふふ。任せて!!」
なんか腹にやーらかいふくらみが!! さっきもこれに良く似た感触を!!
だが、なんだこの魂の奥底からあふれ出る恐怖は!!? この先になにかとんでもない事態が待っている気がしてならないぞ!!?
「アタシの必殺パンチ炸裂!! 鉄の悪魔を叩いて砕く!! アタシがやらねば誰がやる!! ふっ。わかばに手を出したら次は死ぬわよ。 決まった!!」
「……クマとかイノシシって鉄で出来てるのか?」
「でも、由真なら砕けそうですねー」
「…おねえちゃん、ほっといていいんですか?」
「……アレをどう止めろと」
ああ、このふくらみは、榛名さんとおんなじだ!!
しかしそう思っても恐怖心だけは消えない!! なんだ、なにがこの先にあると言うのだ俺の魂よ!!
「由真ぁすごいよ由真ぁ。鉄の悪魔が粉々だよー。アタシに掛かればこんなもんよ。 あっ。由真、手に怪我してる!! 大丈夫こんなのかすり傷よ」
「粉々にしてたら次はないだろう」
「間違いなく相手は死んでますねー」
「…コイツも相変わらずか」
「ダメよ由真。女の子が傷なんが残しちゃ。 そう言ってわかばはアタシの手にそっと舌を……わわっ。あ、わかば、なんて大胆な……ああ、理性が理性がっ」
「ダメダメな理性」
「なんで由真はあんなに嬉しそうなのかなー。 傷をなめてあげるなんてごくふつーだよー」
「いや、それは違う」
「どうしてー? 由真はとぉってもよろこぶんだよー」
「おねえちゃんもおにいちゃんが怪我したらなめてあげるんですか?」
「そっ…それはーそのー」
おおっ。な、なんだ!? 腰をしめあげる力が強くっ!!
くぉぉっ。くぉぉっっ!!
これはまるで万力!? そうか、俺の魂が知らせていたのはコレか!!?
「わかばぁっ!! アタシアタシアタシはもうもうもうっ。 野生が理性を駆逐しちゃうの!! ああ、もうわかばはなんてかわいいの!! ぎゅぅぅ!!」
「なんかスゴイ音だぞ。やばい」
「柱が折れるみたいな音ですねー」
「文字通り人柱ですね ……というか、アレはコレをわかばさんにやろうとしてたんでしょうか?」
「だからヤマザルなんです。 深く考えもせずに」
「ほんとにわかばさんが食らってたらどうする気だったんでしょうねぇ」
「あがぐがぁっ」
万力なんてもんじゃない!! これは拷問具かっ!?
「ああ、もうもうこの男みたいに固くぺたんこな胸といい、少し汗臭くてなぜかいいにおいのしないカラダといい……あれ?」
「死ぬ死ぬ死ぬぅ」
「ほっ、気付いた」
「由真はそそっかしいからー」
「そういう問題?」
「違うと思います」
「このぺったんこで堅めの胸板といい、いいにおいのしない汗といい、どことなくがっしりして抱き締めるより抱きつぶしたくなる骨組みの感じ……」
「おご、あがごげぇぇっっ」
考えながら腕でしめつけるなぁぁっっっ!!
「まさかまさかまさかっっ!!」
「うあぁぁっっっ」
俺はイキナリ突き飛ばされ宙を舞い、玄関前の石畳に叩き付けられた。
「くはっっ」
「た、拓也ー!」
「…おねえちゃん、後で駆け寄るくらいならけしかけなきゃよかったんじゃないですか?」
「大丈夫ですかー」
玄関に立った女がワナワナと震える指先で俺を指差す。
「男っっ!! わかばが男に!!」
「ええっ!? 俺がわかばちゃん?」
衝撃の事実!? いつのまにそんなコトにっ!?
「由真はそそっかしいなー。 わかばはわたしだよー。 この人は草津拓也さんだよー」
「そうだ俺は草津拓也だ!!」
俺は元気良く叫んで雄々しく立ち上がる。
よかったよかった、アイデンティティの危機は回避された。
だけど、まだ頭がくらくらする。
うーむ、この女どっかで見た事のある顔だが一体だれだったか…
「あ、アタシを馬鹿にするな!! わかってたわよそんなコト!! わかばになりすましてアタシをどうする気?」
「どうするも何もお前とは初対面だし、なりすましてなどいないぞ!!」
いや、たぶんあった事はあるんだろうけど…なぜだろう、またもや俺の魂が思い出すなと警告を出しているかのように何も浮かんでこない。
「盗人たけだけしい!! そうやってアタシを騙して抱きつかせて!! アンタ悪人ね!!」
「なぁまゆ。そうやってすぐ決めつけるのは、頭が悪い証拠だぞ」
「まゆって呼ぶなぁ!!」
「なぜ俺が悪人!? 俺の目を見ろ!! このキラキラとした純粋な目を!!」
「ふっ。凡人の目ね」
「なにおぅ!!」
「由真落ち着いて、どうどう」
「純粋なわかばは騙せてもアタシは騙せないわよ!! アンタの魂胆はこの宇奈月由真様がお見通し!! アタシからわかばを奪おうって言うのね!!」
「つうかいつのまにお前の物に!?」
さ、殺気!?
「かぁぁぁぁっっっっ!! 問答無用!!」
人間は所詮暴力で語り合うしかないのか!?
理性があっても野生が勝るのか!?
歴史は読んでむ哀しくなるだけの愚行の集積か!?
でも、まぁ、女の子のコブシだし、それほど大したコ……
その瞬間、危機を察したらしい俺の脳裏に記憶が蘇った!! まさに電撃的!!
ま、まずい、こいつのパンチは、こいつの腕はぁぁぁぁ!!!





…………………
………………
……………
…………
………
……

うぅ……
なんだこの感触は……。
ほほを何か生温かい物が……。
なんかざらざらしてる……。
「にゃあっ」
ね、ねこ?

「うっ……ううっ……そんなワケが……、アンタら兄弟にはそんな哀しい身の上がっ!! ううっ。ウソみたいな悲しいはなし……」
「そーなんですよー」
…この女の子たちは誰?
なんで俺寝ているんだ!? そもそも、ここはどこだ!? この頭の痛みはなんだ?
「おにいちゃんが死んじゃったら、もう私どうしたらいいか、判らないですっっ!!」
なぜ、こんなちっちゃいこが、俺にすがりついて泣いているんだ?
「拓也、たくやぁぁ……」
…なんか、すごく懐かしい声だ。中学生くらいの女の子が、ちっちゃい女の子の横で俺の名前を呼んでいる。
「ふわぁぁぁぁぁ……」
なんかその横ではねこがあくびしてるし! あああっっっ。何もかも判らないぞ!!
しかも頭がズキズキするっ。
「ひっく。ひっく。ごめんね。 でもでもぉ、こいつがわかばになりすまして、アタシに抱き付いたりするから!!」
「やれやれ。あの状況で、なりすましたなんて思うのはまゆだけだ」
この声にも聞き覚えが……。
「ま、まゆって呼ぶなぁっっ!! 世界には何十億って言う人がいるんだから他にも思う人はいるわ!! いるわよ!!」
「あーはいはい」
「おにいちゃぁぁん、おにいちゃぁぁん!! 目を覚まして!! もう一度あんころもち食べさせてくださいよぉ」
「おチビちゃん!! こんなヘンタイの甲斐性なしの代わりはアタシがしてあげるから!! 泣かないで」
むぅ。なんとなくむかつく。
「アンタなんかが拓也の代わりになれるかー!! 拓也は、拓也は、わたしの事好きって言ってくれたのにー!!」
「そうだゆのはちゃん!! 拓也さんを起こすには、お目覚めのキッスですよー」
「…お、お目覚めのキッス!!?」
お目覚めのキッス!?
その言葉を聞いた瞬間。脳裏に記憶が蘇った!! まさに電撃的!!
…何度目だコレ。
いやそれはともかく、俺はガバリと起きあがり、ほわほわした女の子を指差し確認!!
「君はネギ少女!!」
「ええっ? わたしネギ少女だったんですか!?」
「ちょい戻りすぎた!! 君は伊東わかばだ!!」
「はぁい。 そういうあなたは、草津拓也さんですよー」
「そうか!! 俺は草津拓也か!! そしてこの俺にすがりついて泣いているのは、ゆのはとひめか!! ゆのはとひめなんだな!!」
「ああ、五月蝿いです……やっぱり起きなくてもよかったかも……」
「え、あ、た、たく……聞こえ……聞こえてた……?」
ゆのはが顔を真っ赤にして俺を見て固まっていた。
「私は?」
「高尾椿さん!! 椿さんだ!! そして……」
俺は最後に残った一人を指差した。
「……」
ありゃ?
「何よ? 謝れとでも言うの? アタシ謝らないからね!! アンタが悪いんだからっ!!」
「ってか誰?」
うーむ、さっき思い出していたような気がするのだが…
なぜかこの子を見ると、頭のズキズキが増す!!
「拓也さんには紹介がまだでしたねー。 彼女は宇奈月由真。 わたしの親友なんですよー」
「俺は草津拓也。早谷田大学の卒業生だ」
「ハセタ大学…? どっかで聞いた事ある気がするけど…」
「長い谷の田んぼで早谷田だ」
「な、何よそのパチモン臭い名前は!!」
おおっ。やっと突っ込んでもらえた!! ちょっとうれしいぜ!!
「何嬉しそうに笑ってんのよ!!」
「確かに名前はそっくりだが創立から8年、独自の伝統を持つ私立大学なんだぞ」
「8年って……伝統無いじゃない!!」
「伝統とはあるものじゃ無いんだ!! これから作る物なんだ」
「な、なるほど。 言われてみれば……」
「スゴイですねー作るんですかー」
「作るしか無いだろ。無いんだから」
「というか、おにいちゃんは卒業してるので介入のしようがありません」
「やっぱり無いんじゃない!!」
「突っ込んでくれた逸材だと言うのに、まだ思いだせん。 宇奈月由真……由真……」
ズキリズキリと頭が痛む。
「綽名はまゆ。またはゆのはな町の暴れ牛」
「暴れ牛!?」
「まゆって言うなぁっ!! 暴れ牛言うな!!」
「まーゆ、まーゆ」
ひめが口元だけで笑いながら連呼している。
ゆのはは…あ、まだ固まってる。
「まゆって言うなぁ!! まゆ禁止!!」
「じゃあ、暴れ牛ですか?」
「くっ……いいわよまゆで。チビ子」
「人の事をチビ呼ばわりとは、随分と無礼な方ですね」
「ふふーん。チビはチビじゃない。チビチビチビチビチビ!!」
「まぁ、呼びたければそれでもいいですけどね。 下等なヤマザルはソレで満足するんでしょうから」
「くくぅっ…… 一家揃ってムカつくー!!」
由真は、ぎりぎりと歯を噛みしめると、じろりと俺達草津一家(ある意味では本当)を見下ろした。
どうでもいいが、嫌味のレベルではゆのはよりひめの方が圧倒的に強い感じがするなぁ。元・祟り神だからか?
「貴方方に色々と事情があるのは判ったわ。非常に不本意だし認めたくないしおぞましいし最低だし嫌で嫌でたまらないし悔しいけど。 わかばの家にいる事を許可してあげる。非常に不本意だし認めたくないしおぞましいし最低だし嫌で嫌でたまらない し悔しいけど」
「繰り返すほど嫌なのか!!」
「困窮した姉妹プラスアルファを寒風の中に追い払えなんて、そんな非道な事は言えないし、アタシがわかばに嫌われたくないし。 だからあくまで遺憾ながら渋々、不本意だし認めたくないしおぞましいし最低だし嫌で嫌でたまらない し悔しいけど許可してあげる」
「三度も繰り返すな!!」
「だけど!!」
由真の瞳から放たれた眼光が、俺の魂を貫通した!! 殺気!?
このプレッシャーは!?
「思い出したぁぁっっっっっっ!! お前は殺気俺を!!」
誤字じゃないぞ!! 本当に殺気を感じたんだ!! っていうか3年前も!!
「やっと思い出したようね!! この居候!! いい、もしわかばにナニかしたら、二度と目が覚めないようにしてあげる」
「て、テロリストの脅しには、く、屈しないぞ!!」
「お兄ちゃん声震えてます……格好悪いです」
「逆らわない方がいい。なんせまゆはゆのはな町の暴れ牛だからな。 ゆのはな町最強生物」
「人をゴチラ呼ばわりすなぁっっ!! アタシはちょっと夢見がちなただの乙女!! 乙女なんだから!! 暴れ牛もまゆも言うな!!」
「ねぇねぇ由真。拓也さんが私に何かするって何するのー?」
「何かって、そんなわたしの口からはとても……」
「言えないよーな難しい事するの?」
「な、何するかなんて決まっているじゃない!」
「決まってるってー?」
「………………………………………………………」
なんか黙ったままコロコロ表情が変わってる。この暴走も相変わらずかよ、分かってたけど。
「…あー、また妄想か。コイツも全然おさまってませんね… というか、おにいちゃんがナニかする対象と言ったら、一番はおねえちゃんじゃ…」
「はっ。 え、ひめ、何? 私?」
あ、ゆのはが正気に戻った。
「いえ、別に」
「…気にしないでくれ」
「…って、まゆがなんで一人で体くねらせてるの?」
「なんかしらんが面白いから見てよう」
「わーい。百面相ー」
「………………………………………………………」
「おーい。 またアッチいっちゃってるな」
「由真ですからー」
「いつもの事なんですね」
「………………………………………………………」
「戦っているのかっ?」
「あーあれ、殴られてるのは、きっとお兄ちゃんですね」
「うん、拓也だ」
「間違いないな。秒殺だ」
「なにぃ!?」
「………………大した事じゃないわ。わかばの為なら、居候の100人でも200人でも粉砕するわ!!」
「俺、粉砕っ!?」
「由真ぁっ、わかばぁっっ!!」
「はーい。私はココでーす」
「はっ!! わ、わかば、あの、今のはねあのその」
「突然大声で私のコト呼ぶから、びっくりしちゃったよー」
「え、あ、ちょっと確認しただけっ!!」
「由真はホントウにあわてんぼうさんなんだからー」
不憫なヤツ。あんなに露骨なのに、まったく通じていないとは。
「な、なによ!! そのマナザシは!!」
「まぁなんだ。人の趣味は色々だし、がんばれ」
「きぃぃぃぃぃっっっっっっっ!! 居候に慰められたぁぁっっっ!! く、悔しいぃぃぃぃっっっ」
「いや。だってあんまりにも気の毒だから」
「え? 由真が何か気の毒なんですかー?」
「な、何でもないのよ何でも!! くっ。今日の所はひきあげるけど、いつでも私の目が光ってるコトを忘れるな!!」
「帰っちゃった。 夕ご飯くらい食べていけばいいのにー。せっかちさんなんだからー」
ホントウに不憫なヤツ。





喰った喰った喰った!!
またも風呂をご馳走になってしまった上に、寝間着まで出してもらっちまったぜ。
昨日と同じ、オシャレな水玉模様のパジャマだぜ!!
「水玉っていいなぁ」
「水玉っていいですよね」
「なごむよね」
「なごみますよねー」
「…まぁ、否定はしませんが……」
俺達はニコニコしあう。ひめはなんか呆れ顔。
「おじいちゃんも水玉が大好きで、なんでも水玉だったんですよー」
なるほど、だから何着も水玉があると言うわけか。
ヨロイカブトといい外人笑いといい水玉といい、なかなかに趣味がいい人だったのだな。
そんな人が俺と同じコトをやってたなんて、なんか感慨深いものがあるなぁ。
「それはそうと」
「わわっ。イタリアの戦艦の話ですかー?」
「違うって、あのさ、布団くらい敷かせてよ。 なんか悪い」
布団を敷いたからといって、居候の地位が向上するワケではないが、気は心というかなんと言うか。
「でも、ほらー。 ゆのはちゃん、もう寝てますしー」
「くぅ……すぅ……むにゃ……」
「はやっ!?」
二日続いて何も言わずに寝るなんて! いつもお休みのキスーとかなんとか言ってくるくせに!!
そのくせ人前だと真っ赤になってキスはできない。まぁ、されても困るがな。
テレビでありそうな『恋人っぽい事』は人前でもやりたがるくせになぁ…
「今日もいろいろありましたからー。 いっぱい食べてましたしー、眠くなっちゃったんでしょー」
「居候の分際ですいません」
「おねえちゃん遠慮を知らないから」
お前が言うな。
俺は布団を掛けてやりながら、ゆのはの寝顔を覗き込んだ。
寝顔は天使、行動は子悪魔、その実体は元・神様で俺の恋人。
「いいんですよー。よく食べてよく遊びよく眠る!! 子供はそうやって大きくなるんですからー」
エエ子や。
しかしもう子供って歳でもないよなぁ。とりあえず、少女って感じはしてきた。
性格は相変わらずだが。
「ふわぁぁぁ……。 そろそろ俺も寝ます」
「うーん、私ももうそろそろ…」
「あ、おやすみなさーい」
「おやすみなさい」
俺は、もうたまらず布団にもぐりこんだ。
「電気けしますよー」
「ありがとさん」
「あの……、本当に本当にキッスしないんですか?」
「だから、しません」
「我慢しなくてもいいんですよー」
「我慢してません」
「そっかー。でも、したくなったら、遠慮無くしちゃってくださいねー」
いや、したくならないって。
というセリフは、眠気に飲み込まれていく俺の口からは、永遠に出なかった。
「おやすみなさい」
………………。
……………。
…………。
「くぅ……くぅ……くぅ……」
………。
……。
…。




「あ、忘れてました!!」
「ほや? ひめどうした?」
「どうした? じゃありません。 お金を出してください」
「おはね?」
「お金です! いちいち手間を掛けさせないでください。 召喚!!」
ひめの手元にお賽銭箱型の貯金箱が出現。
「おおっ。 前から気になってたが、何処から出てきてるんだ!?」
「前から言ってますが、神様ですから」
「あ、なるほどなー。 そうか。神様だからな」
「あー… なんでこんな間抜けな遣り取りになるんでしょうか… もう、実力行使です!」 

「神の名において、浄財!!」

あら不思議、ナップザックが勝手に開いたかと思うと、財布が飛び出し勝手に開きお金が!!

―所持金 0000000円―
―お賽銭 0000200円―

暗闇の薄明かりをきらめかせ、100円玉が2枚回転しながら、貯金箱に吸い込まれていく。
「すげーなー。何度見ても手品みたいだ」
「仕掛けはありませんよ。神様ですから」
「へいへい」
「とりあえず、お金を稼いだら使う前に私に奉納してください。 この町、意外と出費が多いようですし」
「200円でもかっ!?」
「はい、弐百円でもです」
俺にはお前らの為に使った記憶しかないんだが。
「やっぱキツイな。いくら別れたとしても、ひめも『ゆのは』ってことか」
「……」
なんか急に不機嫌そうな表情になり、俺を睨むひめ。
「どうした? なんか気に障る事言ったか?」
「………」
「そういや、朝もなんか不機嫌だったな」
「…名前です」
「名前?」
「”ひめ”という名前です! 私には”ゆのは”という名前があるんですよ!?」
「あ、いや…でも、同じ名前の姉妹って普通いないだろ?」
いたらいたで面白いかもしれんが、マンガじゃあるまいしそんなふうに名前をつける親がいるとは思えん。
姉の方が死んでいたら話は別かもしれんが、まぁそれは縁起でもない考えなので考えないでおく。
「それは…わかっています。 頭ではわかっているんですけど…」
…まぁ、名付けたのはゆのはだしなぁ…
なるほど、今朝ひめがゆのはを何気なくいじめていた理由が判った。
「”ひめ”なんて、”姫”なんて……名前ですら無いじゃないですか… ただの、意味の無い称号じゃないですか!!」
「!!?」
「私は、『姫』などという立場にいなければ、殺されなかったかもしれない!! 『ゆのは』のままでいられたかもしれない!! とと様とかか様も、生きていたかもしれない!!」
「………」
「はぁ…はぁ………すいません。取り乱しました……」
「…いや……すまん。 ゆのは……俺も、気付いてやれなくて…」
俺はただいたたまれなくなって……気付けば、『ゆのは』を抱きしめていた。
「た…くや…」
ゆのはの体から力が抜けていく。
と、思ったら黙って俺の腕から抜け出し、無表情だった顔が小さく微笑む。
「拓也が、『ゆのは』って呼んでくれたら、なんだか気が楽になりました」
「いや、しかし…」
「……いいんです。 おにいちゃんにとっての『ゆのは』は、おねえちゃんだけにしてあげてください」
微笑んだまま、そう口にする。
「私は草津ゆのはの妹、草津ひめ。これはもう、変えることのできない事実です。 たとえ嘘であっても、もうみんながそう信じてますから」
「……」
俺は、迷う事は無かった。
「…いや、せめて……誰も居ないときくらい、ゆのはと呼んでもいいか?」
「無理しないでください。目を見ればわかります。やっぱり拓也の『ゆのは』は、ゆのはだけだって事。」
「……」
「……でも、その申し出は嬉しいです。 …時々ならば、お願いしてもいいですか?」
そうだ、もう俺はどうしようもないくらい、ゆのはが好きだ。俺にとっての『ゆのは』は、やっぱりゆのはだけかもしれない……
……でも、目の前の『ゆのは』との約束も守る。それで救いになるのなら、偽善と呼ばれようがかまわない、せめてそれだけは固く誓おう。
「…………んぅ……ん……むにゃ…」
足元で、ゆのはが寝返りをしていた。
それを見て緊張の糸が切れたか、なんとなく笑う俺達。
「…さて、と。 なんだか口に出したらすっきりしました。 拓也、『けいたいでんわ』は壊れていませんか? 確か、前は壊れていたでしょう?」
「ん? どうだろうな…」
ゆのはを起こすわけにもいかないので、暗い中手探りでナップザックの中からソレらしき物体を探り当てる。
「…あ、多分これだな」
この手触り、形、まちがいない。これは俺の携帯電話だ。
とりあえず液晶画面を開き、ぴっぽっぱと……
…………
「はぁ……壊れてる……」
「でしょうね。 そのかばん、思いっきり岩にぶつかってましたから。 中身が原型とどめてるだけ運がよかったと思います」
「…もしかして、直してくれるのか?」
「はい。 約束のお礼です」
ゆのははすぅ、と息を吸うと、いつもの呪文を口にする。
「天地万物を構成せし、八百万の御霊よ!! われ、ゆのはな郷の守護神、ゆのは姫の命によりて、これなる鉄の小箱を、元の形へ!!」

―お賽銭 0000000円―

「おおっ。奇跡再び!!」
「これで直った筈です。 弐百円でなんとかなる壊れ方でよかったですね」
ぴっぽっぱ。
「お、すげー直った直った♪」
「まぁ…今回限りですよ? あとは拓也が約束を果たしてくれれば、これでおあいこと言うことで」
「おう、サンキュー。 じゃ、目覚ましをセットしてと…… これ以上騒いでゆのはが起こすわけにもいかないもんな。寝るべ寝るべ」
俺は、枕元に携帯を置くと、もう一度布団にもぐりこんだ。
「では『ひめ』も寝る事にします、おやすみなさい…おにいちゃん」



 

 

12/19(前編)へ続く


 


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