―12月19日― (前編)
 

 






朝だ!!

俺は、この上なく爽快な気分で目覚めた。

朝だ!!

久しぶりに目にする天井。 懐かしい部屋。 そして何もかもがなつかしい朝。
昨日の朝は色々と慌てて、なつかしさなんて感じる暇も無かったから、今朝はとっても懐かしい。セピア色の思い出が鮮明なカラーになって蘇る!!
ケイタイを確かめると、設定した時間よりちょい早い。 今日も体内時計は絶好調!!
ぱちり、とケイタイの目覚しを止めて。
「朝だ!!」
声に出してみる。
うーん。なおさらソーカイ!!
それが楽しくて、がばと起きあがるともう一声。
「朝だ!!」
なにかステキな事が起こる予感。
根拠ナシ、理由ナシ、理屈ナシ。
そうだ!! この気持ちは歌うしかナイ!!
俺はイソイソとそわそわと、ギターを引っ張り出して、ぼろろーんと弾いてみる。
「これこれ!! この音!!」
楽しくなってくる。 朝の歌。懐かしい、しかし新鮮な朝の歌。
「朝だ♪ 朝だ♪ 懐かしい朝ぐわ」
後頭部に感じた衝撃に振り返れば、なんだかひどく機嫌の悪そうなゆのはとひめ。
ゆのはははっきり目を見開いているが、ひめは枕を抱えたまま眠そうな目で俺を睨んでいる。
「なにをする!! 今まさに生まれかけていたナイスな歌がどっかへ行ってしまったじゃないか!!」
「人が気持ちよく寝てるのに何してるかっ!!」
「人が気持ちよく歌を作っているのに何するか!!」
俺達の間に視線のスパーク!! たとえ恋人といえどもこの情熱だけは譲れないぜ!!
「何度言ったらわかるんです!! 朝からいきなり歌なんか作るな!!」
「ふっ、何度も教えたらわかるんだ。 歌というのはな、いつ出切るかなど判らぬ物なのだ!!」
「判りたくない判りたくない!! 拓也はすでにある曲をまねするだけで精一杯です!! 拓也が作った歌なんか熊の唸り声がいい所です!!」
「ふあぁ……朝からさわがしいです…」
ひめは大きくあくびをすると、興味ないとでも言いたげに、黙って布団をたたみはじめていた。
「いや、熊には歌は作れないぞ」
「拓也にも歌は作れません。断言します、それは唸り声です、歌なんかじゃありません。 なんども聞かされてる私が言うんだから間違いありません!!」
「なんだとぉ。 そんならお前が歌と言うまで、俺は絶唱熱唱するから覚悟しろ!!」
「なら嘲笑してあげます」
「おはようございまーす」
「あ、わかばおねえちゃん!! 拓也に歌なんか作れないよね?」
「そんなはずありませんよー」
ああ、こんな所に理解者が!!
「おにいちゃん、あんまり期待しないほうがいいと思いますよ」
自分の布団をたたみ終えると、こんどはゆのはの布団をたたみ始めるひめ。
見よう見まねでたたんでるせいか微妙に雑なのはご愛嬌。
「なぜ即答するですかっ!?」
「流しのギター弾きでトランペット吹きさんなんですから、歌が作れて当たり前ですよー」
「…………」
「…………」
「ほら、言わんこっちゃない」
理解してくれているワケではなかった。
根本的に間違えているだけだった。
「あのね。わかばおねえちゃんは、拓也が歌と称する物を聞いていないから」
「ゆのはちゃん、ひめちゃん、拓也さん。 朝御飯できてますから、居間まで来てくださーい」
ゆのはの目が、きらきらりーん、と輝いた。
「あ・さ・ご・は・ん!! 吶かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」
まさに脱兎。っていうか、もう歌の事を忘れているっぽい。
つまりゆのはにとっては『俺の歌<あさごはん』というわけか、なんか悲しいぜちくしょう。
「うわぁ。拓也さん、ゆのはちゃん、今日もものすごい勢いですよ!! 1.5倍くらい!!」
1.5倍は大げさすぎる気がするんだが…まぁ、そう思わせる勢いはあったかもしれん。
「つまり、昨日よりお腹へっているんですねー」
…あー、この何でも独自解釈で納得してくれるこの子はいろんな意味でありがたい。
何かあってもこっちの気苦労だけですむからなぁ。
「うん? 拓也さんどうかしましたかー?」
「い、いえ、何でも」
「あ、判りましたー。 お腹が空いてるんですねー。じゃ、ゆのはちゃんが全部食べちゃう前に早くいきましょー」
「おう!!」
「はい」




「ふぃー、おなかいっぱいー」
ゆのはの本日の戦果、4杯
「おばあちゃん、おかわりいただいていいですか?」
「はいはい。たんとお食べ」
「すごーい7杯目です!!」
こちらはあいかわらず絶好調。…って、
「昨日よりハイペースじゃないか!! ひめ、お前はホントはオバギューなんだろ!? さっさと正体をみせぇっ!!」
「育ち盛りなんですよー。拓也さんだって、これくらい食べたでしょー?」
「いえ、こんなに凄まじくありません」
並の人間にこんな真似が出来るか!
あえて並とつけたのは、TVを見ればそういう人間は結構いる事が分かるからだ。
「ごめんなさい……」
不意に、ひめが、ことり、と早くも空になった御飯茶碗をちゃぶだいに置いた。
「……こんなにおいしい御飯を、いっぱい食べられるのが嬉しくて……我を忘れて意地汚く食べてしまいました……」
うつむいたひめの目に、涙が盛り上がっていく。
こ、こいつ、どうしてこうも自由自在に涙が出せるんだ?
だが、わかっちゃいるのに俺の胸の中に膨れあがる、このすまなさと哀しみのいりまじった気持ちは!!
「ひめ……」
「これって見る側にまわってると、拓也がすごく馬鹿に見えるな……」
「他人様の行為に縋って食べさせて貰っているのに、いけないですよね、こんなに食べたら…ひめ、明日から一杯で我慢します……」
ひめは小さな手で目元の涙をぬぐうと、まるで無理をしているみたいに痛々しい笑みを浮かべた。
うぅ…なんだ、この衝撃は…ゆのはがする同じ顔より、何倍もの威力があるぞ……
「えへ……」
わかっている、わかっているが、俺は、おれはぁぁぁぁ!!!
「ひめぇっっ!! ゴメン!! 俺が悪かったぁっっ!!」
俺は、余りのすまなさといじらしさに、思わずひめを抱き締めっ。
「あっ……う……おにいちゃぁぁぁん」
「…ん?」
「ひめぇぇぇっっ」
流れよ我が涙!!
わかばちゃんはひめの空の御飯茶碗をとると、御飯を山盛りによそった。
「はい、ひめちゃん。いくら食べても平気だからねー」
「で、でも……こんなに一杯……」
「大丈夫だよー。拓也さんがボイラーの点検とか色々やってくれたから、うちも大助かりなんだからねー」
「そうだよー。 遠慮することはないんだよー。 毎日心ゆくまでたーんとお食べー」
「あ、ありがとう……わかばさん、おばあちゃん!! 優しいおねえちゃんとおばあちゃんと会えて、ひめ、とっても幸せですぅ。 うぅ、うう…」
「よかったなぁひめ……」
ああ、なんて感動的なんだ!! なんて人間は優しいんだ!! 人間っていいなぁ……
「むしゃむしゃもぐもぐむぐむぐ」
感動ぶちこわし!! しかもなんか昨日と比べて食べ方乱暴になってないか!?
まぁまだゆのはよりはましだけど。
「………むー」
そういえばさっきからなんかゆのはがうなっている。
喰いすぎで苦しそうに、ではなく、なにか考え事してるみたいに。
「拓也さんもお代わりどうぞー」
「ありがてぇっっ」
俺は思わず手を合わせておがむ。
わかばちゃんの背中に、天使の羽が生えているのが見える!!
デフレにもめげず14枚も!!
「わたしをおがんでも、なんの功徳もありませんよー」
「んぐっ… でもおにいちゃんの気持ちも分かります。 みなさん神様みたいにやさしいですから」
なんか一瞬いろいろ突っ込みたい気分に駆られたが、きりがなさそうなのでそれを無視して、ありがたいほかほかの御飯をいただく。
うーむ。うまい!! さすが東北コメどころ。
「あ、そーいえば、ゆのはちゃん達の御母様と御父様のお生まれはどちらなんですかー?」
「とと様もかか様も、東京みたいだけど……」
まぁ、一応名目上はそういう事になってるよな。
「うーん。そうなんですかー。ひょっとしたら、この近辺の出なのかと思ったのですがー」
「…もしかして、ゆのはの名前?」
「はい。 この町で女の子によくつけられていた名前なんですよー」
ああ、それは以前にも聞いたな。まぁ祭られている神様がなぁ…
「ああ、資料を読んだ事あります。確か、ゆのは姫でしたっけ? この町で祭られてる守り神って」
一応、本で見た史実の上でも確かにそうなっていた。
…まぁ、ホンモノを見るととてもそうとは思えんが。
「はい、そうですー」
「丁度ひめちゃんくらいの背格好の、童女の姿をした可愛らしいちいさな神様でねー」
「ですからー、この町では神様にちなんで、ゆのはって名前、わりと多いんですよー。 だから、わたし達にとってはありふれた名前なんで、誰も気付かなかったんだと思いますがー。外の方でゆのはと言うのは珍しいと思いますよー」
「ああ、なるほど」
まぁ神様本人(もう神ではないのだが)だとは言えないし、言ったところで信じてもらえないだろうしなー。
「ああ、ゆのは達の両親って旅行好きなんですよ。 ですからこの辺りに来たコトがあるのかもしれませんね」
おお、我ながらナイス理屈。まぁ旅行好きっつうか放浪者なのは俺の親の方だが。
「だとするとー。ゆのはちゃんたちって、はるか昔からこの町に縁があったんですねー」
「……かもね」
いや、神様本人だってだけなんだけど。
「それにしても、妹さんのほうにも『ひめ』って名前つけるなんて、ゆのはちゃんとひめちゃんのご両親は、よっぽどこの町のこと気にいってくれてたんですねー」
「…そう、ですか?」
ゆのはの方がほとんどただの勢いだけで名付けたなんて言えそうにないな。
「うん、だって、ふたりあわせて『ゆのはひめ』だもん。きっと本物のゆのは姫様も守ってくれるよー」
「…そう、ですか。いい『名前』なんだ…」
だからそのホンモノが目の前にいるんですけどね。
ひめは……なんか、うつむきながら笑ってる?
そんな満面の笑顔ってワケじゃないけど、今までほとんど口元だけでしか笑っていなかった(演技は除く)ひめが、目元も少しゆるんでいる。
…そうか、名前の事やっぱりまだ気にしていたんだな…改めて申し訳ない事をしたと思わされる。
「とっさに言っただけだったんだけどな……」
…その原因は全く感づいていないようだが。

「なーご」
おおっ、この猫障子開けて入って来たぞ!!
皆の者、見よっ、3年前よりも貫禄が増していらっしゃるぞ!!
「おはよーヘンリー三世」
「おはよーへんりーさんせー」
「にゃうぅ」
ヘンリー三世陛下は名前にふさわしい堂々とした歩きぶりで、俺の横を通り過ぎると、みつ枝さんの膝の上に乗り、重々しくアクビをお漏らしになった。
「ふわぅ」
「ヘンリー三世…」
陛下と会うのも久しぶりだ、なんか感動するぜ!
「あ、いけない!! まだ紹介していませんでしたねー。 へんりーさんせーでーす」
「なんかスゴイ名前だね」
正直、猫にコレは何度聞いてもそう思う。
「お爺ちゃんがつけたんだよー。偉そうだからってー」
で、何度聞いても納得。
「それに実際えらいんだよー。へんりーさんせいは、ゆのはな町の猫のボス、ゆのはな猫キングなんだよー」
「へぇ」
「こちらが拓也さんとゆのはちゃん。 ほら、へんりーさんせーもご挨拶」
「…………にゃうぅ」
陛下は一瞬面倒くさそうに俺達を御覧になると、何やら意味ありげにひと啼き。そしておおきなあくびをおこぼしになった。
「ふわぁ」
「うーっ、この猫偉そう!! こんどこそどっちが偉いかはっきりさせてやるー!!」
ゆのははなにを思ったのか、俺の膝の上にのると、猫をにらみつけた。
…というか微妙にまずい発言じゃないか今の…いや、それより俺の膝の上にゆのはが乗ってるって…
うっ、なんか意識しだしたら急に恥ずかしくなってきた。
と、とりあえず思考をそらそう。
目を向けた先では、ヘンリー三世はうるさげに髪をいじくりながら、ゆのはを無視していた。
「こ、こいつー! この土地の神様と同じ名前のわたしに、ちょっと無礼すぎ!!」
「ごめんねー。ゆのはちゃん達を昨日のうちに紹介しなかったから、機嫌悪くしているみたい」
「猫の癖にぃっ!! 拓也!! あの猫こらしめてやって!!」
「……単に生意気って理由だけで猫をこらしめる大の男って、駄目人間だと思うな」
つーか以前も同じコトやってたぞお前。
「おねえちゃんは全然進歩してないです」
「愛する恋人の頼みだよぉ。 御願い拓也、ゆのはの御願いっ」
「そ、そんな顔で見ても駄目だぁ」
ゆ、揺れるな俺のココロぉ。
「…おにいちゃんも、です」
「だ、駄目だよ拓也さん。いくらゆのはちゃんの頼みでもヘンリー三世をいじめちゃ」
「し、しないよそんなコト!!」
「拓也、御願い」
「くっ……いや、だが、だがっ」
みつ枝さんは猫の喉を指でやさしくくすぐりながら。
「ヘンリー三世陛下。この方達は陛下の宮殿に一ヶ月ばかり滞在なさる御客人で御座いますよ。礼儀正しく振る舞う事こそ王者の証ですよ」
ヘンリー三世陛下は、仕方ないという風に俺達を見ると、重々しくお鳴きになられた。
「なーご。なごなご」
みつ枝さんの膝と言う玉座の上に、満足気にふんぞり返ったその姿はまさに王様。
「よかったねー。へんりーさんせーも、拓也さん達の存在を認めてくれたよー」
「猫になんて認められなくてもいいもん」
と、ゆのはが頬を膨らませて言ったその時、玄関の方からバイクの音が聞こえてきた。
…むむっ。 この音はハーレー!?
「あ、渋蔵さんだ」
「そのようですねー。拓也さんに用事があるのですよー」
「「しぶぞう?!」」
二人の声が重なった。
「なぁ」
エンジンの音が違う。 昨日はもっと安っぽい音だったハズ。
「おい青年!! いねぇのかっ!! 青年!!」
「やっぱりしぶぞうだぁっ!!」
「お、おいゆのは!!」
「おにいちゃん、私達も行きましょう」
俺達は慌ててゆのはの後を追った。


「おはようしぶぞう!!」
「おはようございます。しぶぞうさん」
うーむ、そういや前も同じ感じだったよなぁ。なんなんだろう、このバイクの音の変化は。
「おう嬢ちゃんおはよう!! 今日も元気だなぁ」
「勿論!!」
「はい、今日はなんだか気分がいいです」
「なぁ」
「おうっヘンリー三世!! おはよう青年!!」
「…………」
しかしどうしてこんな急にマトモな音になったんだ?
エンジンの交換でもしたのか?
それとも、やっぱもう一台あるのか?
…いや、なんか重要な事を忘れているような気が…
「おいこら青年!!」
「あ、なんでしょうか?」
「なんでしょうか、じゃねぇ!! おはようございますは人間関係を円滑にする、第一歩だと知らねぇか?」
「ぁ……おはよう御座いますしぶぞうさん」
「……むぅ」
「えーと、あの、お早う御座いますしぶぞうさん」
「小僧!! ワシはジュウゾウだっ!! お嬢ちゃんは特別だ」
「だそうです、おにいちゃん」
やはりそういうことらしい。うーむ、子供って得だよなぁ。
「ふふーん。特別特別」
「……おはよう御座いますジュウゾウさん」
開いたままの玄関から、爺が乗ってきたとおぼしきバイクが見えた。
やはり、昨日のバイクと同じにしか見えなかった。
「うむうむ。 で、なんだぁ? ワシの愛車をじろじろ見やがって、なんなら近くで見っか?」
俺とゆのはとひめと、何故かヘンリー三世は、爺の後をついてぞろぞろと外へ。 ちょっと肌寒い。
朝日の中、爺のパチモン臭いバイクは、ぴかぴかに磨き立てられた姿を誇示していた。
パチモンとはいえ、注がれている愛情はホンモノだ。
「ぴっかぴかだぁっ!!」
「日の下ではまぶしいくらいですね…」
「あたぼうよぉ!! 毎日磨いて手入れしてるからなぁ」
「…………」
「どうでぃ感想は?」
「見れば見る程、ハーレーそっくりだな、と」
爺は、パチモンだとばれたコトを恥じる様子もなく。
「がははははっ!! 香港製のハーレーダヴィデソンよ!! 良く出来てんだろ?」
「でも、昨日とエンジンの音が」
「ふっ。なかなかに耳がいいじゃねぇか青年!! 昨日は、ちーとばかり調子が悪かったのさ、今日は朝からバリバリ全開よぉっ!!」
爺は、ニヤリと笑うと、ハンドルのグリップに手を掛けた。
辺りに響くハーレーそっくりの爆音。
「な? バリバリだろバリバリ?」
「って……どうして走ってもいないのにエンジン音が!!」
「ふっ。そりゃあ、エンジン音じゃあ無ぇからさ」
「エンジン音じゃないって? これはどう聞いてもエンジンの…」
…ああ、そうだ。ココまでは前回も聞いていたんだ。
しかし肝心の音の正体までは教えて貰って無いよなぁ…
「おっと。 純朴な青年をカラカウのはこの辺で止めてと、お前ぇ働いて金稼ぎてぇんだよな?」
「あ、はい」
「昨日のうちに色々当たってみたらよ。人手がほしいっつぅトコが結構在った訳だ」
「…………」
な、なんていい人なんだぁっ!! 憶えてないとはいえ一度ならず二度までも!!
俺の中で、この胡散臭く見えた爺の好感度がさらに一気に上がった!!
「ん? どうした青年」
「渋蔵さん!! 見かけと違ってなんていい人なんだ!! 有り難う御座います!!」
俺は、がっしりと渋蔵さんの手を握ると、ぶんぶんと振った。
「な、なんでぇ見かけと違ってってぇ言うのは!! ワシは誰がみても親切そうな男じゃねぇか!! なぁお嬢ちゃん」
「しぶぞう。その見かけでそんな事言うのは、いくらなんでも無理がありすぎです」
「はい、私もちょっと無理があるかと…」
「な、なんでぇ嬢ちゃんまで!! じゃヘンリー三世はそう思うだろ?」
ヘンリー三世は横をぷい、と向くと。
「ふわぁ」
と見事にアクビ。
「くぅっ。 お、男は孤独なもんだぜ!! おいっ。青年手を離せ!!」
「あ、すいません。感激しちゃって」
「ま、まぁいい。で、仕事先だが」
渋蔵さんは懐から丸められた地図を出すと、ばさり、と拡げた。
「青年を雇ってもいいと言ってるのはだ」
「まず『華の湯』、つまりここだ。時間は九時から二十時まで、休みは二時間。時給は八百円だ」
「居候をさせて貰っている上に、そんなに貰あうち」
つねるなゆのは&ひめ!!
「もらあうちってなんでぇ?」
「拓也、時々、寒いと舌がまわらなくなるから」
「かぁっ。軟弱だねぇ南のヤツァこれだから」
「そんなに貰えるなんて、有り難いと言っているんだと思います」
「みつ枝さんはやさしいからなぁ……。ま、困ってる時は人の好意に素直に甘えるのも、男の度量ってもんだぞ青年」
「もんだぞぉ青年」
だから、つねるなよぉ。
「だがな。わかばに変な気を起こすなよ。 何かやったら……ワシが殺す!!」
「しぶぞう、格好いい!! もう一回やって」
「何かやったら……ワシが殺す!!」
「格好いい!!」
「がははははは」
「…しぶぞうもかわりませんね。 まぁ、それがいいんですけど」
ってゆのは、俺が死んでもいいってか!!?
「あーおほん。それと『白摘茶房』」
「桂沢さんの?」
「うむ。時間は九時から十九時、休みは一時間。日給は七千七百円」
「……」
榛名さんは本当に仕事をくれたんだ。
しかし、穂波ちゃんには以前の事を思い出している可能性がある。
向こうはそんな重要な事知っているわけじゃないはずだが、とりあえず一回くらい確認に行ったほうがよさそうだな。
「おい、青年!!」
「あ、はい」
「急に黙りこくって何考えてやがる!! ははぁん、お前ぇさては美人親娘だからって変な気起こしてんな!!」
「起こしてません!!」
「榛名ちゃんとお嬢ちゃんに変な気を起こすなよ。 何かやったら……ワシが殺す」
「わぁっ!! しぶぞう!! またまた格好いい!!」
「へへっ。当然よぉ!!」
「って、ゆのは! 渋蔵さん!!俺をなんだと思ってるんだ!!」
なんか恋人の自身なくなってくるんだが…
「やだなぁ拓也、恋人に決まってるじゃない」
「ま、若ぇってのは、それだけで罪ってぇ事よ」
「ワケがわかりません」
というかゆのはの場合、こういう時はどこまで冗談で言ってるのかわからんから困る。
凝った冗談やろうとすると丸分かりなのになぁ、こいつは。
「商店街はこんな所だ。で、あとは役場の方からも依頼がくるかもしれん」
「どんなのがあるんですか?」
「うむ。確実にありそうなのは道路の雪かきだ。 今年は早く雪がつもりそうなんで、人手が足りないんだぁそうだ」
「………ひめ?」
「今回は純粋に力の暴走だけです。 祠の存在は力を安定させる効果もあるんですから…それに、以前よりは雪の量は少ないでしょう?」
俺にはその差はよくわからんが…まぁ、そういうことらしい。
「もしかしたら、当日に急なアルバイトの依頼も来るかもしれん。 ま、その辺はワシに任せな」
「よろしくお願いします」
「おい、お前ぇは働きに行くんだからな。ふらふらして先方に迷惑かけんじゃねぇぞ」
「掛けませんよ……なんてここで言っても仕方ないですね。 その辺は、結果で判断してください」
「へぇ。しゃらくせぇこと言うじゃねぇか」
「働くというのはそういう事なくらいは判ってますから。 ……あれっ?」
「なんだ青年?」
「椿さんの所は?」
「あ、そういえば無いっ!!」
「確かに無かったです」
「……ねぇよ」
またかこの爺は。
今更声を上げる俺達ではなかったが、知っててこのまま引き下がるのもなんか癪だなぁ。
「にゃ?」
「でも、時間は10時から19時で、時給は900円でいいかって聞かれましたよ?」
「それに、椿おねえちゃん、アイスもくれたよ」
「はい、私とおねえちゃんに一本づつ……それに、おにいちゃんを働かせてあげる、とも……」
え? それは言ってないような。
「ね、ねぇんだよ!! ねぇもんはねぇ!!」
「……ゆのは、ひめ」
渋蔵さんに気付かれないように、小声でボソリと呼びかける。二人は小さくうなづいた。
3年前から経験しているだけに慣れてくる自分が怖いが、まぁ椿さんの厚意を無駄にしたくないのも事実だ。
前回は何もしらなかったんで俺からは何も言えなかったが、最初からウソだと判っている以上ちょっとお返ししたくなるのは当然だろう!
「う……おにいちゃん」
「どうしたひめ? 腹でも痛いか!?」
「ちがうの……椿おねえちゃんに、嘘つかれてひめ哀しいんだよ……、あったかいおねえちゃんだと思ったのに」
ひめの純な瞳から溢れた涙が、しろくやーらかそうなほほを濡らしていく。
「あ、な、お、お嬢ちゃん、椿は、その、つめたい女なんかじゃ……」
「ひ、ひめ、泣いちゃ駄目だよ。 椿おねえちゃんにも、色々な事情があるんだから……」
「そうだ、きっと椿さんだってしょうがなかったんだよ!」
「でも、おにいちゃん、おねえちゃん、嘘は嘘ですよぉ。 椿おねえちゃんは嘘吐きだったんですね… あいすくりーむおいしかったのに……」
ううっ。自分でけしかけておきながらなんだが、なんて嘘吐きな神様だ!!
そしてなんてかわいそうなひめ!!
「泣くな泣くなひめっ!!」
「ひめ、泣いちゃ駄目だよ!」
「おにいちゃぁぁぁん、おねえちゃぁぁぁん」
ひし、と抱き合う俺達。 ああ、あふれる熱い涙。
「あああっ!! 悪かった悪かった!! 椿は嘘なんざついてねぇよ!!」
「でもでもぉ」
「あー、その、なんだぁ……」
渋蔵は、ぷいと横を向くとぼそぼそと。
「嘘をついたのはワシだ……」
「しぶぞうが……?」
「しぶぞうさん、なんで……」
「椿は確かに、青年を雇ってもいいと言ってた!! 間違ぇねぇ。ああ、間違ぇねぇ!!」
「椿おねえちゃんは、嘘をついてなかったんですね……」
まぁ、俺を含めて全員最初からわかってたことなんだが。
前回も同じ嘘ついてたし。
「ああ、そうともよ!! ワシの自慢の孫は嘘をつくような女じゃねぇ!!」
「ではなぜ嘘を」
「青年がな、うちの孫に懸想してるんじゃねぇかってよぉ。心配ぇになっちまったんだよ」
やっぱり、相変わらずの祖父バカだ。
「だがよ。お嬢ちゃんに泣かれちゃよう。嘘なんて下衆なもんはつけねぇ。孫が嘘吐き呼ばわりされんのも耐えられねぇ」
「………」
「すまねぇなお嬢ちゃん」
「いいんですよ、しぶぞうさん」
「くぅ。なんと愚かなワシだったかぁっ!!」
「ひめは、椿おねえちゃんがあったかいいい人だったって信じられたから、もういいんです」
「そ、そうか……すまねぇなぁお嬢ちゃん。 年をとるとどうもいけねぇや」
「しぶぞう、拓也の恋人は私なんだから、椿お姉ちゃんは大丈夫だよ。 もし拓也がそんなことしたら、私が……」
その……の部分には一体どんな言葉が入るんだろうか。
うっ…昨日のアレを思い出してしまったじゃないか。
と、ゆのはとひめが俺に近づいてきて、囁いた。
「ふふっ。仕事先一個増えましたよ」
「でも、拓也の方からやれっていうのは珍しいですね?」
「…まぁ、ウソだってわかってたからちょっとな」
うーん、でもこれ以上神様的思考に染まってくのだけはカンベンしたいなぁ。
俺も修行が足りん。 何の修行かはわからんが。
「それでつまり……高尾酒店もバイトを募集中ってコトですよね」
「そう言ってんだろ小僧」
「いきなり態度が違うんですが」
「けっ。たりめぇだろ。 椿に変な気起こすなよ。 色目なんざ使ったら即抹殺してやる」
ぞくぅ。
こ、これは一度…いや、二度も裸見たなんてバレたら即コロサレルかっ!!
「肝に銘じておきます」
「だからー、拓也は大丈夫だって。 ね? た・く・や♪」
…なんか白い肌のまぶしい笑顔の裏に、ものすごい黒くドロドロした何かが見え隠れしているのは気のせいですか?
うわー、下手したら二重でコロサレルよ俺!!
「銘じておきやがれコンコンチキめ!! ……で、今日はどこで働く気なんだ?」




今日のバイトは喫茶店『白摘茶房』だ。
ちょうど色々気になっていたところだし…特にお店のマスターこと桂沢榛名さんの胸……ではなく、穂波ちゃんの記憶に関しての事だ。
……………………
いや、胸も気になるけど。
『……やっぱり思い出してるのって私だけなんですか?』
なんであんなこと言ったんだろう。
まぁ、普通に考えて前回の事憶えているって事なんだろうけど…一度はゆのはの術を見破った力の持ち主だからなぁ。
とりあえず俺は一種の霊感かなにかだと思っているが、冷静に考えると単純な霊感とかそういうのじゃないかもしれない。
とりあえず携帯電話で連絡したところ、何時に来てくれてもOKとのことだ。
開店が9時らしいから、8時ごろに行ってみようか。少しでも早ければ、それだけ手伝えることがあるかもしれないし、穂波ちゃんに何か聞く時間もとれるかもしれない。
「ふーむ」
「ふーむ……」
「………………それはそうと、お前はどうしてついてくるんだ?」
「ちょっと拓也に聞きたい事があるので。 あ、ひめはわかばおねえちゃんと朝食の片づけをしています」
…姉の威厳の低迷状態は今も継続中か。
「聞きたい事? ……さては! 俺がちゃんとバイトするつもりなのかどうか信用しきれず、返答によってはズーッとしつこく監視しているつもりか!?」
まぁ、それはそれでうれしいが。 たぶん色々な意味で集中できなくなりそうだし。
「…ちがう! 私が聞きたいのは、私が知らない間にひめになにがあったのか、です!!」
「な、何?」
まさかこいつ、昨日の夜は狸寝入りしてたのか!?
「…今朝拓也がひめに抱きついたとき、少し様子が変な気がしました。それに、ご飯を食べる時も…昨日と比べて妙に機嫌がよさそうで」
どうやら狸寝入り説は違ったらしい。
……しかしこいつ、意外と周りをよく見てるんだな。
「……拓也が関わってるのは確かだと思ったので、聞きに来たわけですが…」
うーむ、こいつはまいった……
どっちかっていうとほとんどの責任を背負ってるやつが目の前にいて、自覚は無くてもその結果を尋ねてきている。
「確かに俺もかかわっている。 だが、これはあいつ自身の問題だから、本人が話す気になるまで俺は話さない」
「……あの子は、私でもあるんですよ? その私にも話せないことなんですか?」
「ああ、お前とひとくくりにした『ゆのは』じゃなくて、あいつ個人の問題だからな」
ゆのはがだまって俺を睨む。
「……わかりました。 そこまで言うなら、『ひめ』に聞きます。 本人が話す気になればいいのなら、本人に直接聞くのが一番ですから」
それは少し違う気がするが…と思ったがやめておく。
ゆのはは不機嫌そうな顔で華の湯に戻っていった。
それにしても、本当にもう二人は完全に別れてしまってるんだな…。3年前のあの時までは、どこかでつながっていて、記憶まで共有していたくらいなのに。
それを考えると、二人は寂しい存在なのかもしれない。


商店街の南側。
デンキ屋さんの隣にあるのが、喫茶店『白摘茶房』
以前にも一回だけだがバイトに来た事があるが、あの時はゆのはの乱入で慣れる暇もなかった気がするなぁ。
まぁそれでもなんとかなったんだ、今回もやってできないことはないだろう。
「よーし」
深呼吸をした俺は、気持ちも新たに白摘茶房のドアを開けた。

「そういうわけで、あらためてご厄介になります。 よろしく」
「まぁご丁寧に。こちらこそよろしくねぇ」
今日もにこやかなマスターの桂沢榛名さん。
渋蔵の爺さんが言うには、おっとりしているように見えて、なかなかのしっかり者らしい。
俺の目にはおっとりというか、しっかりというか、たっぷりというか……。
いや、仕事なんだから胸のことは忘れろ俺!
とにかく、ここでバイトをするってことは、このひとが俺のボスになるわけだ。
「…………」
うわ、穂波ちゃんが見ている!? いかん、胸から目線を外せ、俺!
「…………」
前回はなんか俺が一回死んでる事を見抜き、今回は皆忘れたはずの前回の記憶を持っている様子。
どうも勝手にそう思い込んでいるという様子はないようだが…とにかく、今回も要注意人物だ。
と、とりあえずこういうときは、元気に挨拶だ!
「よろしくっ! ドブさらいから、ごみ出しまで、面倒なことは任せてください! なにから始めましょうか?」
「そうねぇ。うちもアルバイトさんをお願いするのは初めてだから、ええと、ええと、そう、まずは休んでもらって…」
「お、お母さん……こしょこしょこしょ……」
穂波ちゃんが慌ててなにやら耳打ちし、榛名さんがポンと手を打つ。
「ああ、そうね。じゃあ開店準備から手伝ってもらおうかしら。 これってけっこう力仕事なのよねぇ」
「力仕事ならドンと来いです、ハハハ!」
うーむ、このスタンスからすると、やはり穂波ちゃんが中ボスになるんだろうな。
そんなわけで、俺はさっそく開店準備の手伝いをすることになった。
とりあえず、穂波ちゃんとの接触の機会は後にもあるだろう。今は仕事に集中しよう。
テーブルの上で逆さになっている椅子を下ろして、水拭きをかける。そんなに広い店じゃないし、これくらいなら楽勝だ。
榛名さんが証明のスポットライトをつけて、CDをかける。爽やかな朝を思わせる心地のいい音楽が流れてきて……。
「最初に来た時も思ったんですけど、雰囲気のいいお店ですよね」
「あら、うれしいわぁ。ここはね、お店を開いたときからずーっと内装をかえてないの」
「へぇ、いつごろからやってるんですか?」
「もう10年以上かしらねぇ。 最初は、あの子がこーんなにちっちゃくて……」
「ゲェェ、10年前の穂波ちゃんは手乗りサイズだったのか!」
「あら、ちょっと小さすぎたかしら。 ……こーれくらい」
「いまの俺より高かった!?」
「足して2で割ったくらいねぇ」
「最初からそう言ってください」
俺と榛名さんが微妙に和やかな話をしている横で、穂波ちゃんがなにやら重たそうなダンボール箱を運んでいる。
「……ん……しょっと……はぁぁ」
「あ、穂波ちゃん。力仕事は俺がやるからいいよ」
「え? あ…………うん」
よいせっと、結構重いな。穂波ちゃんの華奢な腕じゃ確かに辛いものがある。
しかしまぁ、こうやってると普通に対応してくるよなぁ。 記憶に関しては取り越し苦労だったのかもしれないが…
「ボス、野菜はここに置きますね」
「頼むぜ、銀次! じゃなくて、お店ではマスターって呼んでね」
「は、はいマスター」
うーん、ホントに尋ねるタイミング取れるのかな?


開店時間の9時になってすぐ、俺にとっては記念すべき最初のお客さんが来た。
「いらっしゃいませー!」
「おう、威勢のいい挨拶だな。張り切ってるじゃねェか、小僧!」
…記念すべき第一号がこの爺さんか!
「お、おはようございます渋蔵さん」
「だかるぁ、俺ァじゅうぞうだ。JU−ZO! お好み焼き屋みてぇだとか抜かしたら、てめェ、生きてこの店を出られねぇぜ」
わぁぁ、いきなり喧嘩腰か!?
「おはようございまぁす、渋蔵(しぶぞう)さん」
「おゥ、おはようさん」
しかも早速スルーしやがった!? 恐るべし榛名さんの接客術、もしくはボイン。
「おにいちゃん、ちゃんと働いてますか?」
「ひめ?」
「おう、そこで譲ちゃんと会ったんでな、せっかくなんで、誘ってやったってわけよ」
「……おしぼりをどうぞ」
穂波ちゃんは動じる様子もなく二人の前におしぼりを置いていた。
「ありがとよ、お嬢。マスター、いつものアレを頼むぜ」
「はぁい」
「いつものアレ?」
ひめの疑問符もスルーされ、榛名さんは足早にCDプレイヤーのところに行って、別のCDに入れ替えた。
この曲は!?
「ふっ……やっぱり朝ぁ、このディストーションサウンドを聴かねェと始まらんぜ。小僧、コーシーを持てい!」
「ええと、コーヒーにも色々ございますが」
「チッチッ……俺が飲むのはただひとつ、極めつけのブラックだ。 おら、さっさとオーダー入れねぇか!」
「へ、へい、ブラック一丁入ります!!」
「はぁい、なんだか居酒屋さんみたいねぇ」
「しぶぞうさん、でぃすとーしょんさうんどってなんですか?」
「しらねェのかい? 嬢ちゃん。 ディストーションサウンドってのはだなぁ……」
「はぁぁ………………」
居酒屋だかハートロックカフェだかわからなくなりつつある店内で、極めつけのブラックをさもうまそうに口に運ぶ、渋蔵爺さん。
ひめは渋蔵さんの奢りでミルクたっぷりのカフェオレをその横で飲んでいた。
「かァーっ……朝はこいつに限るなぁ、おい!!」
「そ、そうですかね。 えっと、渋蔵さんはよくここに?」
「おう、毎朝来てるが、それがなんでェ?」
「いや、なんか我が屋でくつろいでるみたいな空気だったんで」
「うちのお客さんはみんな、そんな感じなの。 だから拓也くんも気楽にくつろいで働いてね」
「いーや、マスター。いまどきの若ェモンを甘やかしちゃいけねェよ」
「そうです、お兄ちゃんを甘やかしたらいけません」
「おうっ、この表六玉! マスターやお嬢に迷惑かけんじゃねェぞ」
「ヒョウロクダマ!? あ……い、いやぁ、分かってますって!!」
我が家みたいにくつろげる喫茶店ってのは素敵な感じだけど、くつろいで働くって方は、かなりハイレベルな技能のような気がする。
「ふぅ……ゴチになったぜ。 今日も一丁、いってくるぁ! おっと、嬢ちゃんは気がすむまでくつろいでいな」
「しぶぞうさん、ありがとうございます」
「「ありがとうございました」」
コーヒーとカフェオレ代をテーブルに置いた渋蔵さんが、肩で風を切りながら、颯爽と喫茶店を出て行った。
俺が慣れない手つきでコーヒーカップを片付けて、穂波ちゃんが代金をレジ打ちする。
榛名さんはCDをもとの静かな曲に戻した。
「ひめ、ゆのはは一緒に来てないのか?」
以前は朝食食ったくせにさらにたかりに来てたからなぁ…
「おねえちゃんなら、公民館の方に散歩にいくと言ってました」
…ああ、飴玉その他目当てか。
「…それより拓也…」
一瞬真顔に戻ったひめだったが、次のお客さんが入ってきてその言葉は中断された。
…きっとゆのはに尋ねられた事を聞きに来たんだろう。
それからは、急にお店が混み始めた。
白摘茶房はモーニングサービスをやっているので、朝はそこそこ混みあう。
「ひめ、話は後だ。今は無理そうだ」
「…はい」
うーん、やることがどんどん増えていく気がするのだが…?
「いらっしゃいませ。こちらの席へどうぞ。」
「今日も冷えるのう……よいしょっと、お冷じゃなくてお茶を頼むよ」
「わしもお茶にしておくれ。こう寒い日が続くとかなわんぞい」
「はい、かしこまりました。 山ではもう雪になってるのです」
「炭焼きの連中は大変だァな。 おおさむおおさむ……」
さすがに穂波ちゃんの接客は手馴れている。普段は無口みたいだけど、和やかに朝の会話をしながら接客してるよ。
「ところで嬢ちゃん、ゆうべの仕事人は見たかい?」
「はい。頼み人が丑の刻参りをするときのいでたちが、ずいぶんいい加減だったのです」
「ぶっ!?」
和やかだった朝の会話がとたんに雲行きを変えてきた!?
ひめも思わず噴いたじゃないか! カフェオレ飲み終わった後でよかったなぁおい!!
「ふぉふぉふぉ……嬢ちゃんの目にかかっちゃ時代劇も形無しじゃのう」
「丑の刻参りってのは、藁人形と、白装束とあとはなんじゃったか……」
「頭に五徳を逆さにかぶるのです。熊野蝋燭をその上に立てて、足には一本歯の下駄を履きます」
「おお、そうじゃそうじゃ。さすが穂波嬢ちゃんじゃぞい」
「時代物は考証をしっかりせんといかんのう。だいたい、昨今の時代劇は絵ヅラが綺麗過ぎてちっとも入り込めんのじゃ……」
「ビデオ撮影がいかんのじゃよ、昔のようにフィルムで撮ったあのザラつき感がじゃな……」
「…朝からどういう会話してるんですかこの店は…」
うーむ、確かに。こんなおしゃれ感漂う喫茶店で呪いと時代劇の話題で盛り上がるとは。
…穂波ちゃんも相変わらずみたいだなぁ。
「はぁぁん……拓也くんとひめちゃんまで怖い話で盛り上がるのは、やめてねぇ……」
カウンターの奥で、榛名さんが耳をふさぐマネをしている。
「お化け関係は苦手ですか?」
「うん、もう苦手も苦手っ! 幽霊とかゾンビとか、考えただけで鳥肌立っちゃうの」
「あ……あはははは、そうっすよね、俺も滅茶苦茶ニガテで。 AH HAHAHA」
「……おにいちゃん、なんか白々しいです」
うーむ、俺が元ゾンビっぽいものだという事を知ったら、この店じゃ働けなくなるなぁ。
つまり、俺の命運は穂波ちゃんが握ってるわけか。
…うむ、これはなんとしてでも時間を作って穂波ちゃんと話さねば!


この後、モーニングを目当てに大勢のお客さんがやってきた。
さすがに満席にはならなかったけれど、たえず席の半分以上が埋まっている感じだ。
おまけにどのお客さんも揃ってご老人。
しかし、モーニングが終わる10時過ぎになると、少しづつお客さんが減ってきて、食器洗いを終わらせた俺も、暇になってしまった。
「ふぅ、ひと段落か」
「おにいちゃん、おつかれさま」
今度は量産型お爺ちゃん達におごってもらったらしいイチゴパフェ(中サイズ)を食べている。
…とりあえず遠慮を知れ。
「初めてで肩が凝ったでしょう。 そんなときは、あったかいジョークが必要よ」
「ジョーク?」
「じょーくですか?」
「コホン、二匹の蛇の会話……」
一泊置いて、声色を使ってジョークらしきものを始める榛名さん。
「ねぇ、私達って毒蛇なのかしら?」
と、エキドナ榛名さん。
「どうして急にそんなことを聞くのかしら?」
聞き返すのはナーガ榛名さん。
「さっき、唇を噛んだからよ」
「…………おしまいですか?」
今のジョークは……?
「AH! HAHAHA! 最高っスよ、なんて軽妙なユーモアなんだ」
「え〜…?」
こらこらひめ、こういうときは笑ってやるもんだ。笑いはおはようございますと同じで、人間関係を円滑にする必需品だぞ。
「わぁ。嬉しいわぁ。今日の拓也くんのランチは大盛りにしちゃう」
「ありがとございます。俺ってラッキー」
「あー、おにいちゃんずるいです」
「お前はカフェオレとパフェおごってもらったんだから我慢しろ」
「いいわよー、ひめちゃんにもランチごちそうしてあげる」
「わぁ、ママさん、ありがとうございます」
うーむ、いつ見ても便乗がうまいヤツだなぁ。
もはやつっこむ気もうせてきた。
「えーっと…ところで、いつもこれでお客さんから爆笑を?」
「そうねぇ……打率は4割くらいかしら。 メジャーリーグなら首位打者ってところねぇ」
「めじゃーりーぐ?」
うーむ、半分以上すべってるわけか。



 

 

12/19(後編)へ続く


 


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