―12月21日― (後編)
 

 






ぺたりこ

「さて、これでヨシ!!」
俺は自分が可能な限り綺麗な字で書いた一枚の紙を、『華の湯』の入り口にはりつけてうなずいた。
「サービスというより……これでお金請求できますよ」
「まあ、拓也は馬鹿だから……」
「素人の腕だし、それに俺の自己満足だから金はとらん」
ゆのはの馬鹿発言はもう無視を決め込む事にした。
言われていい気分はしないが、何度も言われるものだから、相手にしてるとキリが無いからな。
それはそうと、紙には太めのサインペンでくっきりと。
『期間限定肩もみサービス始めました。 時間は営業時間中で、草津拓也が入り口にいる間です』
可能な限り綺麗な字で書いたわりには汚い字だが、まぁ読めるからヨシとしよう。
「ごみまいて自分で掃除するって手もあると思うけど……」
「それを労働とは呼ばない」
「うーぶるぶるってたまらねぇなぁこの冷たさがよぉ!! ほぉっ!! 新しいさーびすかよ!!」
おっと、もうあがってきたのか。いや、俺が紙とペンとテープ探してる時間が長かったのか?
まぁ、どっちでもいいか、
「今からはじめました。 どうです?」
「これが青年の自己満足ってぇワケかい」
「まぁそうですね。 でも同じ自己満足なら、誰かの役に立つ方がいいでしょ?」
「かぁっ。青臭ぇ言い草だねぇ。 ま、だがそういうの嫌いじゃ無ぇよ。 このさーびすってのは、タダかい?」
「サービスですから」
「じゃ早速さーびすして貰おうか」
「ありがとうございます」
「下手だったら、承知しねぇからな」
よしよし、渋蔵さんには好感触な感じだな。
後は文字通り俺の腕次第だ!


「くぅぅっ。 そこそこっ」
「ここですか?」
「くぅっっ。かぁっ。効くねぇっ。随分と旨ぇじゃねぇか!!」
とりあえず待ち会い用の椅子を一脚使ってマッサージ台を作った。
その上で奇声としかいいようが無い声を上げながら俺のマッサージを受ける渋蔵さん。
「うぉぉっ。効くぞぉっ。くぉぉっ。 くぅぅぅっっ!!」
「どうしたどうしたぁっ!! そんな奇怪ぇな声を上げて」
その口からでる叫び声はあまりに大きかったか、いつのまにやら近所の爺さんが何人か集まって来ていた。
にしても凝ってるなぁ渋蔵さん。商店街の顔ってのも大変なんだろうか。
「あっ。壱千円くれたおじさんだ」
「おじさん、その節は有り難う御座いました」
「おう。嬢ちゃん達、覚えていてくれたかい」
「とめさんかぁっ。いや、『華の湯』の期間限定サービスを受けてんだよ。くぅっ。効くぅぅぅ」
「なになに……期間限定肩もみサービス? へぇぇ、いつのまにこんなのが」
「今日からです」
「なーる。にいちゃんはりきってんな!!」
「拓也って頭悪いけど、体を張って一生懸命なんです」
「偉いねぇ」
「いい指遣いじゃねぇか。このテクで女をひぃひぃ言わせてんじゃねぇか? くぅっ。おおううっ」
「建設現場のオヤジとか、窓拭きのにいちゃんとかなら」
マッサージテクってのは体を使う現場の下っ端とかアルバイターには意外と重要なテクの一つだ。
なんせ体を使うから現場にいる人間はとことん全身が凝っている。そんな時にこのスキルを持っていれば、バイトとしての評価はぐっと上がるのだ!!
仕事の本筋とはあまり関係ないのは気にするな!!
「かぁっ。ホントに気持ち良さそうだぜ。 おい、にいちゃん」
「あ、はい」
「おいらも後でくっからよ。そん時は頼むな」
「はいっ」
お、とめぞうさんもいい感じの反応だったな。
こいつは自己満足だけじゃなくて、華の湯のお客を増やすのにも貢献できるかもしれん。
うむっ、そう思うと力が湧いてきたぜぇぇ!!
「きくぅぅぅぅっっっっっ!! 死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅっっ!!」
「拓也さーん、調子はどうですかー?」
渋蔵さんの叫び声の合間に、聞きなれたほえほえとした声が聞こえてきた。
「おうっ、わかばか、くぅっ、小僧の野郎、おうぅっ、なかなか頑張ってやがるぜぇぇぇっっ!!」
うーむ、なんか会話中の相手のツボ押すと奇妙な発音になって面白いな。
「そうですかー」
「わかばちゃん、俺の調子見に来てくれたの?」
「はい。それと、ペンとテープもちゃんとなおしとかないとー」
おっと、そういえば書いたまんまなおすの忘れてたな。
「あ、そうそう。拓也さん、ゆのはちゃん、ひめちゃん。そろそろ3時のおやつですよー」
「おやつ!?」
「うん、今日はおせんべいだよー」
「わーい。吶かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「それじゃあ、私も先に戻ってますね」
ものすごい勢いで伊藤家の方に突っ走っていくゆのはと、ぺこりと渋蔵さんに御辞儀をしてとたとたと走っていくひめ。
……まぁ、別に止める理由も無いんだけどな。
「わかばちゃん、とりあえず渋蔵さんのマッサージ済んだら俺も戻るよ」
「わかりましたー、じゃあ拓也さんの分、別に分けておきますねー」
わかばちゃんもゆのはとひめの食い意地の事をよく分かっているみたいだった。
「わかばちゃん!!」
おっと、あまりに真剣な声に思わず手を止めてしまった。
とりあえず渋蔵さんに何か言われる前にマッサージを再開しながら、声のした方にぱっと目を向ける。
と、大きなダンボール箱を三つばかりかかえた電気屋さんが、真剣な顔をして立っていた。
「駄目です」
うわ、あのわかばちゃんが即答
「うおぉぉぉぉぉっっっっ!! 効くうぅぅぅぅぅっっっっ!!!」
「き、きついなわかばちゃん。それにボクは、まだ何も言って無いよ」
「言われなくても判ります。 尚樹さん、『華の湯』は銭湯なんです。 尚樹さんの水槽じゃありません」
「ちくしょぉぉぉぉっっ!! うおぉぉぉぉぉっっっっ!!!」
渋蔵さん、声が良く聞こえないんで、マッサージ中断したくなってきたんですが……とはとても言えそうに無いな。
「だから金なら払うからさっ。お願いだよ。ね、ね、ねっ!!」
「何度言われても駄目です。 さ、お帰り下さい」
「ボクはお客なんだよ。御客。態度が冷たすぎるんじゃないかな? 拓也くんもそう思わないかい?」
「事情がわからないんでなんとも」
「くぅぅぅぅぅっっっっっ!! 死ぬぅぅぅぅぅっっ!!!」
と言うか渋蔵さんの叫び声で何話してたんだか判りません。
「普通の意味でのお客なら、いつでも歓迎しますよー」
状況はつかめないが、わかばちゃんはにこやかに微笑んでいた。
「これ以上ごねるのもアレだから今日は帰るけど、ボクはあきらめないからね」
「はい、これからも『華の湯』をごひいきにー」
捨てゼリフを吐いて撤退するデンキヤさんを、わかばちゃんはにこやかに見送った。
「ふぅ〜、青年、今日はもういいぜ」
「あ、はい」
状況つかめないんで、止めるのならもう少し早く止めて欲しかったです。
「しかし、デンキヤも相変わらずみてぇだな」
首のあたりをコキコキと軽く動かしながら笑う渋蔵さん。
わかばちゃんは笑い事じゃないと言いたそうな表情だけど……
「何しに来たのあの人?」
わかばちゃんにこんな顔をさせるぐらいだ、そうとうの何かがあるはずだ……と、思う。
「尚樹さんは、湯船に戦艦の模型を浮かべて、写真にとりたいんだそうです」
「昔っからなんども来てるみてぇでな、そのたびにわかばと同じやり取りやってんだよ」
「……なるほど」
まあ、断られて当然だな。
「じゃ、お茶にしましょうかー」




「このお煎餅辛いけど美味しい!!」
「こんなの初めて食べますよー」
ちなみに、俺達が戻って来た時には既に一皿消え去っていた。
今目の前にあるのは、こんなこともあろうかと察していたわかばちゃんが、横に避けてたらしい別の皿だ。
「それはねー。一度軽く焼いてからもう一度お醤油に漬けて焼いたのなんだよー」
「へぇ……」
「昔、ここに泊まった人が、毎年おくってくれるんだよー」
「なるほど」
昼ごはんの時のブンタンといい、本当に日本人的に恵まれた環境だな、うん。
「この落雁もおいしいよー。 さ、どうぞどうぞ」
「では、いただきます。 うん。ホントだ」
「美味しいよぉ。美味しすぎるよぉ」
「私も幸せですー」
「落雁を食べてから渋いお茶を飲むとしあわせですねー」
「そうだなぁ。幸せだなぁ」
4人そろってオコタでどこまでもまったり。
わかばちゃんと俺は、なんとなくほほえみあった。
「こうやってまったりしてるとー、私達、ドラマに出てくるおばあちゃんとおじいちゃんみたいですねー」
「じゃあ、そこの二人は孫ということで」
「カリカリ、むしゃむしゃ」
「もぐもぐ、んぐんぐ」
一心不乱に落雁を囓る二人。
ひめはまぁ少しマシだが、どっちみち同類……というか同一人物だった。
「そうですねー。おじいちゃんとおばあちゃんなのに、こんなにちっさな子が子供だったらへんですねー」
いや、そういう意味じゃなくて、行動が余りにちびっ子過ぎるからだったんだけど。
「ばあさんや」
「なんですかお爺さん」
「カリカリ、むしゃむしゃ、んぐんぐ、ぷはー」
「久しぶりに肩でももんでやろうかのぉ」
「もぐもぐ、んぐんぐ、ぱくぱく、ふぅー」
一気に食って、お茶で一息つく二人を尻目にかる〜く老人ごっこ。
うむ、こういうまったりした遊びもまた、日本の風情の一つだな。
「わたし、肩って全然こらないんです」
「遠慮しなくていいから。 ずっと番台に座ってたら、疲れるはずだし」
「ども、ホントにこらないんですよー」
「ま、俺に任せて」
「がつがつ、ぽりぽり、むしゃむしゃ」
俺はよいしょ、と立つと、わかばちゃんの背後に立った。
「じゃあお任せしますー」
「お任せされました」
俺は、わかばちゃんのちっちゃな肩をそっと掴んだ。
そういやこーやってゆのは以外の女性に肩もみするのも久々だよなー。
ゆのはも全く肩凝らないタイプらしいが、なんとなく幸せそうな顔してくれるんで時々やっている。
……まぁ、性格的にも肩凝りそうに無いんだよなあいつは。
「や、やわらかいっ!! なんだこのやわらかさはっ!!」
気を取り直して、とわかばちゃんの肩に力を加えると、予想だにしないやわらかさ!!
ゆのはの場合でももっと手ごたえがある。まぁ、それは旅してる時の疲れがあるからかもしれないが……
「でしょー。こらないんですよー」
「と、とにかくモンでみるよ。奥の方に固いのがあるかもしれないし」
俺は、建設現場でおっさんどもの肩を揉んだ経験を駆使して、わかばちゃんの肩にこりをさがす。
「どう、ここ?」
「くすぐったいです」
うーむ、手ごわい。こいつはゆのは相手と同じ感覚でやっててはいかんな。
「じゃ、ここは?」
「あ、ちょっといいかもー」
来たか!!
俺の豊富な肩もみ経験が勝利したか!?
「ここがいいの?」
「やっぱりくすぐったいだけみたいです」
「ううむ。じゃ、ここならどうだ!!」
「くすぐったいですよー」
「ううむぅ」
「がつがつばりぼりむしゃむしゃ、ぷはー」
「拓也さんの手って、やっぱりおっきいですねー」
「男としては普通サイズだと思うけど」
「そうなんですかー? 男の人に触られるのはじめてなんでー」
というか、触る前から粉砕してるヤツがいるんだろうなぁ、十中八九、100%間違いなくアイツが。
「なにしてるかぁぁぁっっっっっ!!」
そうそう、この声だこのこ……
「えぼぶっ」
「わかばっっ大丈夫!?」
「わたしは大丈夫だけど、拓也さんがー」
「大丈夫。警察に生きたまま引き渡すから手加減したから」
一瞬意識が飛んだ。
これで手加減デスカ? 本気でされたら死にマスカ?
「こんなカスのことはどうでもいいの!! わかばぁ、ホントウに大丈夫!? 胸揉まれたりくちびる奪われたりしなかった?」
「たくやさんは肩を揉んでただけだよー。 もう、由真ってば、め、だよ」
「わかば!! 騙されちゃ駄目よ!! この淫魔は、わかばのぽわぽわした体を狙って、あんまにかこつけて迫ってきたんだから」
いや、ホントにそんな意図はなかったんです。ただ純粋にわかばちゃんの身体のことを気遣ってですね……
というかなんでお前がこの時間にここに来るのか問いただしたい。
昼休みを三十分もオーバーさせといて、素直に別の休みをくれる雇い主がいるとは思えんのだが……
いや、そんなの些細な事なんだろう、コイツにとっては。
「わわっ。食べ物が消えたと思ったら、拓也がすごいコトに」
「なんだかもう、見慣れてきたんですが」
さらっとすごいこと言いマスネ、我が義妹よ。
「体を狙うってどういうコトですかー?」
「そ、それは、その、きゃぁぁぁっっっっ!! ああん、アタシに想像させないでわかば!! もうもうもうもうっっ!!」
「拓也、しっかりしてぇぇっっ! 拓也がいないと、私どうしたらいいのかぁっ!!」
「香典じゃ借金を返すには足りないですよぉ……」
「ゆのは、ひめ……俺はもうちょっと労りを要求してもいいような気がするんだが」
「よかったー。拓也さん生きてますー」
「居候、あんまり心配させないでよ。いよいよ前科がついたかもと思ってヒヤヒヤしたじゃないの」
神様。人間は他者の命をどうしてこうも軽く扱うのでしょう。
もう少し慈しみ合うべきなのではないでしょうか。
「ねぇわかばおねえちゃん、落雁ってもうないの?」
「お茶がおいしいですねー」
とりあえず無事だと分かったとたん、おやつの心配かよ。
元・神と現・神、二人そろってこの有り様では、人間に期待するだけ無駄なのかもしれなかった。
神にも人間にも希望は無いのか希望は!!
「ゆのはちゃん、ちょっと待ってね。 拓也さん、ごめんねー」
わかばちゃんが、冷たいタオルを俺の額に乗せて、脱脂綿を鼻につめてくれた。
希望はここにあった。



30分ばかりで復活した俺は、残り時間ひたすら肩を揉み続けた。
渋蔵さんの宣伝もあって終業時間間際にはちょっとした列が出来ていた。
こりゃ次にやるときは制限時間でもつけとかないとなぁ……
「拓也、おつかれさまでした」
最後の客を返した所で、ゆのはが奥から出てきた。
「おお、ゆのはか。お前が労いに出て来てくれるとはなぁ」
「そりゃあ、拓也にはもっと働いて貰って、ひめへの借金も返して、また旅費を稼いで貰わなくてはいけませんから」
あー、うん、まぁ、分かってたけどな。
それでもゆのはが来てくれたってだけで俺は幸せだよこんちくしょうめ。
俺はわしわしとゆのはの頭を撫でて…いや、むしろ掻き回してやった。
「わわっ、痛い痛い痛い!! 何するですか!!?」
「はっはっは、嬉しさの余りつい力が入ってしまった!」
「……なんか非常に納得がいかないのは気のせいですか?」
「気のせい気のせい、無問題だ!」
「……まあ、今回は許してあげます」
まだなんか不機嫌そうな顔をしているが、今回はあきらめてくれたのか、ふっと微笑んでくれた。
「じゃあ、御飯なのではやく戻りましょう、拓也がいないといただきますもできません」
言いながら俺の手を掴んで、伊藤家の方に引っ張って行こうとする。
「おお、そうだったな。 やっぱりいただきますは全員で食卓を囲んでだよなぁ、うん」
お前の食い意地は判っているが、そんな慌てんでもいいのになぁ。
「働いた後の御飯はおいしいですよー、私もおなかぺこぺこです」
「お前働いてないじゃん」
「ふっふっふ、私はわかばおねえちゃんと一緒に番台に座ってました」
「なんだ番台に座ってただけか……。って……なぬぅっ!? 俺が座らせて貰えない番台にっ!?」
おいおい、それって最初に俺に言った事と違ってないか!?
い、いや、銭湯の『顔』であるわかばちゃんも一緒に座ってるから問題ないのか!?
「恐れ入ったか!!」
「悔しくなんかないやいっ!! 番台に座れないくらい大したコトないやいっ」
俺は上を向いた。
番台に座れば、爺さんや婆さんの裸体だって見るんだ。いや、その方が圧倒的多数だ。
番台なんて大した事無いんだ、それが現実なんだ……
ああ、なぜかお月さんが滲んでるぜ……
「ああ、よかったまだいた! 拓也!」
「え?」
いつの間にか目に溜まっていた何かをぬぐい捨て、声が聞こえた先に目を向けると……
「あ、椿おねえちゃん」
「つ、椿さん、あわててどうしたんですか?」
タダゴトではない形相の椿さんがいた。
流石の俺もその勢いに一瞬たじろいてしまったが、そんな事はどうでもいい。
あの椿さんがこんな必死そうな顔するなんてよっぽどのことだ、今は話を聞くのが先決だ。
「は、榛名さんが倒れて!!」
「なにーーーーーっ!?」
「ママさんが!?」
そ、そういえば昨日一日なんか熱っぽそうな顔してた気がしたけど、本当に風邪だったのか!?
しかも、この様子だと今日も辛いの隠して働いてたんじゃ……!?
「ゆのは、わかばちゃんたちに知らせに行ってくれ!! 俺は先に白摘茶房に!!」
「う、うん!!」
俺が行ってなにできるかはわからんが、とにかく急げ!!




「大丈夫ですか!?」
店に飛び込むと、倒れている榛名さんを囲むように、穂波ちゃん、渋蔵さん、尚樹さん……それと、常連らしい方々が数人陣取っていた。
「マスターどうしたんですか!?」
「ついさっき、頭痛がするって言ってからふらふらっと倒れたんだ。 凄い汗かいててさ……」
「年末が近ぇんで、はりきっとったからなぁ、榛名さん」
「もうすぐ、鈴木先生が来るって言ってましたー」
外からわかばちゃんも駆けつけ、数秒遅れてひめも入ってくる。
くそっ、昨日の間に、俺は榛名さんの不調に気付けたはずなのに!
榛名さんの手を取った穂波ちゃんが震えている。
「お母さん……」
穂波ちゃんの視線が泳いでいる。
その表情は、いつも落ち着いている彼女からは想像もつかない、怯えたような顔。
深い森で迷子になったような顔で、穂波ちゃんはただひたすら榛名さんの手を握っていた。




榛名さんが倒れた原因は、疲労による発熱と、一時的な貧血だった。
診療所の見立てでは、重い病気ではないものの、数日は安静にしていたほうがいいという。
穂波ちゃんが榛名さんの看病をしているあいだ、俺は店の方付けをすることにした。
一応ここでバイトしたことあるので、勝手は判っている。ほなみちゃんはいいと言ってくれたが、こんな事態を見てしまって何もしないでいるほうが心苦しい。
営業時間は過ぎているんで張り紙をして、食器を片付けて、椅子を上げて、それからモップを……
「ひめ、ゆのは…」
「ママさんにはこれからもいっぱいご馳走してもらいますから、倒れられては困ります」
「そうです、私も、もっといっぱいパフェとか色々奉納してもらわないと」
「……全く、可愛くねぇな、お前等」
こんな時くらい意地はらずに、素直に心配だって言ってやれよな。
しかし心配と言えば、明日の営業はどうなるんだ?
…………
……ん?
今、誰かが凄い勢いで俺の背後を走りぬけていった。
「……今、誰かが母屋に駆け込んでいったように見えましたが……」
「うん、私も……」
二人もしっかり見えていたらしい。
……むむ!?
もしも変質者だったら、穂波ちゃんと榛名さんが危ないぞっ!!
「ゆのは、ひめ、ここで待ってろ!」
「う、うん」
「はいっ」
うおお、再び急げ俺!! 武器はモップだ!!


モップを手に、リビングへ突入!
おお! ここが榛名さんの家かぁ。さすがに綺麗な部屋だ。
って、そういう場合じゃないよな。変質者はどこだ!? いますぐ成敗!!
「……草津さん、どうしたんですか?」
「うおおっ! 穂波ちゃん!? き、君が変質者だったのか!?」
なんたる盲点!!  俺はいったい何を守ればいいんだ!?
……いや待て、落ち着け俺。
「いや、なんでもない。 実はいまさっき、誰かここに」
「祐司さんがお見舞いに来てくれたのです」
「ユージサン?」
「うん、椿さんのパパさんなのです」
「椿さんのパパ? ユージさん?」
俺が廊下の奥をのぞこうとするのを、穂波ちゃんが力いっぱい引き戻す。
「あんまり人数がおしかけるとおかあさんの体にひびくので、そっとしておいてあげてくださいなのです」
「ん、ああ、そうだな……っと、じゃあ俺、モップロッカーに戻してくるわ」
俺はお店に戻り、手にしたモップをロッカーに戻すと、待機していた二人もひきつれて再度リビングへ。
ユージさん……ここにきて新キャラ登場か。
むむむ、何者だ。 いや、素性は明らかだな、なぜそれが榛名さんのところに?
疑問は尽きないが、ともあれ俺達はデラックスでふかふかなソファーに腰を下ろして、穂波ちゃんを待つことにした。
「それにしても、わかばさんの家とは趣が違った家ですね」
ひめが率直な感想を述べる。
たしかにすげえ部屋だ。自宅でこれなんだから、道理で喫茶店もおしゃれなわけだよなぁ。
「あ、これCDプレイヤーですよ」
「おお、カッコイイなぁ!」
きっと再生したらものすごいセンスいい曲がかかるんだろうなぁ。
間違っても坪居ノリヲなんかじゃないだろう。
「しーでぃーぷれいやー? ……って、なんですか?」
おお、そういえばひめはまだ知らなかったのか。
ゆのはは俺との旅で無駄な知識も含めて色々憶えてきたから、このくらいは知っているだろう。
多分無意識だろうが、微妙にお姉さんぶった態度でひめに説明を始めていた。
……ん?
かすかにだけど、人の話す声が聞こえるぞ。
言葉になるほどはっきりは聞こえないが、榛名さんの声みたいだ。
もうひとりは男の人……ユージさんか?
ここは、耳をそばだててみるしか!
「…………」
榛名さんの声……静かで、穏やかな感じで、こう言っていいのか分かんないけど、なんか幸せそうに聞こえるなぁ。
「うーむ……」
なんだろう、お互いに想いあっているような。
こ、これって………… 生き別れの親子!?
いかん、泣けてきた!  …でも、スゲェ見当違いな気がする。
興味あるが、覗いたりしたら殺されるだろうなぁ。
うーむ……
なんて考えていたら、穂波ちゃんが何か封筒らしきものを持ってきた。
「お待たせしました」
「え? あ、ああ……っ!? すっげえカッコイイ部屋だなぁと思ってさ。不動産屋のチラシかと思った!!」
「……せめて、マンションのモデルルームとか、もっといい言葉にしたほうがいいと思うのです」
「ああそうか! でも、そりゃ無理。 モデルルームなんて行ったことないしなぁ」
苦笑した穂波ちゃんが封筒を手渡してくる。
……なんだろう、これ。別にここのバイトしてたわけじゃないしなぁ……
と、思って開けてみれば

―所持金 0001000―

「え、ちょっと……」
「おかあさんから、お店の掃除のお礼なのです」
「あ、1000円だ」
金の匂いかぎつけて戻ってきやがった。
「穂波さん、ありがとうございます」
……普通に働いたときよりも時給高いのはどうかと思うが、つっ返せない雰囲気満々。
なんかこのまま断っても強引に渡されそうだなぁ。
「ええと……では、ありがたくいただきます。 っと、それじゃあますますちゃんと掃除しないとな。ゆのは、ひめ、腹へってるだろ、もう帰っていいぞ」
というか今まで我慢してここにいただけでもこいつらにしては上出来だ。
「そう? じゃ、先に帰ってますね。 やっと晩御飯にありつけるー」
「まあ、ユージさんとやらが来て、もう心配無さそうですしね」
そう言って、二人はさっさと帰っていってしまった。
ま、ただの守銭奴ってワケじゃなくて、なんだかんだ言っても人の事心配する感情はあったんだなぁ。
守銭奴って事に変わりはないけど。
「あ、私も片付け手伝います」
と、俺がドアに手を掛けると後ろからそう聞こえて、穂波ちゃんも喫茶店に戻ろうとしていた。
確かに、ここは俺達も席を外していたほうが、榛名さんも気が休まるだろうな。


「で、明日のことって?」
片づけが終わった俺と穂波ちゃんは、カウンター席に隣り合わせで腰を下ろした。
明日の事について相談したいと、穂波ちゃんが帰り際の俺を引き止めてきたのだ。
用意してあったアイスティーのパックを穂波ちゃんが開けて、二人ぶんをグラスに注ぐ。
「明日、お母さんはお店を休むと思うんです。 本当なら、お店を休みたくない人なんですけど、祐司さんが休めって言うと思うので……」
穂波ちゃんがアイスティーを一口。
うーん、またユージさんか。
「あのさ、ユージさんだっけ? 椿さんのお父さんと榛名さんって、その……どういう?」
「……夫婦……じゃないですよ?」
「いや、それくらい分かるって」
しかし、何故にハテナがつく?
「……いえ、まだ夫婦じゃないのです」
「まだ………… げげェ!?」
「そういうことなのです……残念ですけど」
「ぐあああっっ!? そ、そうだったのかぁっ! 俺はいま、もの凄くハートブレイクだっっ!」
「くすくす、そんな事言うと、またゆのはちゃんにおしおきされますよ?」
ぐあっ、それを言われると立場が無い!! というかあの悪夢を思い出しちゃったじゃないか!!
……ううむ、先に返しておいて正解だった。
「……ん? そういえば穂波ちゃん、確か榛名さんのぐあいがどうとか言ってなかった?」
「え……私、そんなこと言ってましたか?」
今得た情報とその言葉の意味を組み合わせる事により、この俺のあまり性能がよろしくない頭脳で導き出される答えは……
「ま、まさか!!?」
「…………ふぅ……草津さんって、変なところばかり鋭いのです」
思わず立ち上がってしまった俺のグラスに穂波ちゃんが、新しいアイスティーを注ぐ。
「……三ヶ月だそうです」
「な、なにぃぃぃぃぃぃっっっ!!?」
か、考えてみれば榛名さんみたいな人を周りがほっとくわけ無いとは思うが、まさかそこまでいってたとは!?
やるな! ユージさん!!
「……ってまてよ、じゃあ桂沢って、そこまでいってて結婚して無いのか!?」
最近事後になるのはありがちだと聞くが、まさか榛名さんがその手の例になってしまうとは!!
「はいなのです。 今から式の準備進めてもお腹目立っちゃいますし……それに……」
「それに?」
「……いえ、なんでもないのです」
その一瞬の穂波ちゃんの顔には、万感の想いがこもっているように見えた。
きっと、なにか深い理由があるのだろう。 きっとそうだ。
「それで、穂波ちゃんも公認?」
「うん、祐司さんがお母さんのこと好きだって、端で見ていてもよく分かるのです」
「へぇ、そんなもんかぁ。 こういうときは、娘が怒って邪魔をするパターンが王道だと思ったからさ」
「王道かぁ……王道もいいですね。 でも、ここまできてますから、もう邪魔のしようもないのです」
笑って受け流してるよ、この子。
やっぱり大人だなぁ。
「ところで、椿さんと渋蔵さんには?」
「2年ほど前に気づかれたのです。 あ、でも椿さんには、草津さんが前に来た少し前には気付いてたみたいなのです」
その時俺の脳裏に、椿さんと穂波ちゃんのある会話が蘇った。

『ったく、年甲斐もなくハッスルするからだ。男ってヤツぁ……』
『でも、たのしそうなのです』
『私は正直、頭痛いけどね』

つまり、ハッスルってのはこれこれこうと言うわけか。
で、ほとんどの関係者に伝わってしまってるって事で…渋蔵さん辺りは無茶苦茶反対しただろうなぁ。
……いや、もしかしたら渋蔵って名前だけに、難しい顔しながらも渋々許したとか?
うーむ、想像できそうでできんって、なんかはがゆいなぁ。
「それより明日のことなんですけど」
「そうそう、お店は閉めるんだろ? 俺はバイトは別なとこに……」
「ううん、閉めたくないのです」
「そらまたどうして?」
「だって明日は……シフォンケーキを作る日だから」
「…………あ!」
そうだ、思い出した。
昨日、とめぞう爺さんたちが言っていたこと。
「明日は、八百屋のジーさんの結婚記念日か!」
穂波ちゃんがコクッとうなずく。
「あの……お母さんには話さないでください、絶対に無理するから……」
「ああ、わかった。 お腹の赤ちゃんにひびいたらえらいことだからな。 でも、榛名さんなしで店を開けてもなぁ……穂波ちゃん、料理は?」
「…………ダメなのです」
「それじゃ無理なのでは?」
「…………」
な……なんだ、この視線は!?
「………………」
明日は榛名さんがいなくて、それでも開けたいと穂波ちゃんが言ってて……
「……………………えーと」
この場にいるのは穂波ちゃんと俺だけで、穂波ちゃんは料理がダメで、つまるところこれは俺に何かを期待しているという目線であって……
「…………………………俺?」
「はい」
「無理、無理、無理っ!! 榛名さんみたいな凝ったのなんて、作れないって! 無理!!」
「……そこを何とか」
「何とかって、ううーむ」
……こ、困ったぞ。
確かに野菜炒めとか野菜丼とか、以前ゆのはが食べたいって言って、無理矢理覚えたスパゲティとかも、家庭料理としては上出来かもしれないがとても店で出せそうにはないし。
……なによりそんなもん、榛名さんの料理を食べつけてる町の人達には通用しないだろうしなぁ……。
「え、ええと、穂波ちゃん……」
「…………?」
「わかった!! 俺に任せろ!!」
ここでやらなきゃ男がすたるぜ!
「……本当?」
「ももももちろんだ!! もちろんだけど……俺ちょっとゴミ捨ててくる」
「……ゴミ?」
「ほら、明日、燃えるゴミの日だろ? ついでに、ちょっと外の空気吸ってくる」


以前、渋蔵さんに厳しく言われたんだが、北国ではゴミ捨ての曜日はとにかく厳守らしい。
今はまだいいが、もっと雪が積もるようになると、回収日以外の曜日に出されたゴミの上に雪が積もって、春まで忘れられたりするからだそうだ。
「……お、雪?」
今日は珍しく昼間から止んでいた雪が、また降りはじめた。
ネットを外してゴミ袋を入れ、またネットを被せる。カラスがいなくても、野良猫はいるからなぁ。
…………。
……と、延々とごまかしてみたものの。
「あああー、またやっちまった!! 安請け合い魔王かオレサマは!?」

『おにいちゃんは、おにいちゃんは、かんがえなしのかいしょうなしです!』

ここに戻って来てひめに言われた一言、そして以前来た時にもゆのはに言われた一言。
……考え無しと言われてもしかたねーよこんなんじゃ。
「できるのか草津拓也よ!? あの榛名さんのかわりに、町の人たちを満足させられるランチを貴様は提供できるのか!?」
ずざっと雪を踏みしめて現れる拓也上司。
「で……ででできるさ、おおお俺なら……」
俺は出来る限り自信を持って言おうとしたが、うまく口が回らない。
それは決して寒さのせいではなかった。
「こら、なに目ぇそらしてんだ、拓也!! ちゃんと顔上げて言え!!」
「おうよ!! できるぜ、俺なら!!」
よ、よし! ちょっとだけどなんかできる気になってきた、サンキュー上司!
「まあ、乗りかかった船だ、やるしかないよな!」
そーさ、一日だけなんだしなんとかなるって。 明日は勢いで乗り切ってやるぜ!



―所持金 0009000―

で、伊藤家に帰ってわかばちゃんから今日の給金を受け取って、少し遅い晩飯をいただいて、風呂をお借りして……
「……おそーい!」
「遅かったですね」
部屋に戻ると、二人が声をそろえて部屋で出迎えてくれた。
「すまんすまん、今日は色々あったからなぁ。つい長風呂してしまったんだ」
というか、戻ってきてから毎日事件の連続だ。なんか事件という時間が圧縮されてる気がする程に。
「……そうですね。 それより、今日の分、納めてもらいましょうか」
なんか微妙に国税庁みたいになってるんだが。
「……なあ、ひめ。 俺にも1割くらい小遣いもらえると嬉しいんだが」
「……小遣い?」
「ああ、小遣い。 ぜーたくは言わない、一日1000円もあればいいからさ」
まあ、どっちかっていうとゆのはのために使う分だが。
「…………自分の立場分かってるんですか?」
「いや、まあそれはよく分かってるんだが、ちょっと……な」
ゆのはの前で言うと照れくさいし、プレゼントは隠しておくほうが効果的だ。
……変なもので無い限り何買ってやっても喜んでくれるが、流石に金がないとどうしようもない。
「……却下です。 そんなこと言うくらいならもっと稼いでください。余裕が出来るくらいの額を毎日稼げる、と言うのなら考えてあげてもいいですが」
余裕が出来るくらいっていったい幾らなんだよ。毎日全部徴収されてるからサッパリ分からん。
「そうそう、それに、私もぜんっぜんお金手に入らないんだから、拓也だけ貰おうなんてダメ!!」
……お前の金も、誰が稼いできてると思ってるんだろうか。
「よく言いますね、番台のお手伝いでお駄賃貰ってるの、知ってますよ?」
「うっ……」
……まあ、タダで働くなんてしないよな、コイツは。
「本来ならゆのはからも浄財したいところですけど、先日の拓也の言葉に免じて、しないであげてるだけですからね」
あー、そういや俺、そんな事も言ってたな。
「まあ、とにかく……拓也、今日の分を出してください」

―所持金 0000000―
―お賽銭 0036800―

「はぁ……、俺ときたら、深夜まで労働して、優しい言葉のひとつもかけてもらえないのか」
「拓也……優しい言葉をかけてほしい?」
「ゆ、ゆのは?」
「いいよ……がんばってね、た・く・や♪」
「ゆ、ゆのは……そのあどけなくもかわいくまぶしい笑顔は、まさしく俺のゆのはぁぁぁぁっ!!」
「拓也のためなら私、なんだってしますよ。 で、一回あたりの……」
「もういいです。寝よう、おやすみ」
あー、なんか一気に冷めた。いくらゆのはの笑顔でも、作り笑顔なんてやっぱその程度か。
やっぱ自然に笑ってくれる方がありがたみもあるし苦労が報われるよなぁ。
「労いのちゅうとかしてあげればいいんじゃないですか?」
「うっ……ひ、人前でできるかー!!」
「人前って……あなたが拓也とちゅうした時の記憶くらい、私の中にもあるんですけど」
「それでも今は他人だー! よくても姉妹か双子!!」
……二人が完全に別れる前までの記憶は共有してるって言ってたけど、それってこの状況だとゆのはの不利にしか働いてないよなぁ。
「……ん? そうだ、ひめ!!」
「はい、なんですか?」
「おまえの神力で、病気を治したりできるか?」
「……ああ、ママさんの事ですか。 できますけど、拓也に力を注いでる状態ですから……拓也を重症の状態に戻してからならばあるいは……」
「……他に方法は無いの?」
「治った気にさせるだけなら簡単ですが」
それじゃあ、意味ないって。
というかつまり、病気の状態のまま普段どおりに動くことになるわけで、間違いなく悪化するし、下手すりゃお腹の子供の命に関わる。
「仕方ない、明日は大人しく手伝うことにするか」
「そうしてください、ママさんに倒れられたらあのイチゴパフェが食べられませんから」
まぁ、今更だが結局はひめもゆのはと同類ってワケで、性格が違うというより、テンションが違うだけなんだなー

……と、今更ながら悟った今日の夜だった。


 

 

12/22(前編)へ続く


 


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