―12月30日―
 

 






それにしても、椿さんが小説家だったのには驚いた。
なんというか、失礼な気もするが最初のイメージからはちょっと想像できなかったわけだし……
まあ、そんなことより今やたらに眠そうなのは締切が迫ってて徹夜に近い状態が続いてるってことだろうし、ここは誰かが手伝わないと本当に体が壊れてしまう。
危険だからって、さすがに書くのをやめろとは言えないしなー。
「おはようございます椿さん!!」
昨日受け取った絵本の事とかも気になるが、ほなみちゃんみたく、前の記憶が戻るきっかけになるかもしれないが、
そんなことを考えていてもそういうものが『ある』以上は仕方ない。
思い出されたら思い出されたでその時考えよう。
「うう……拓也……?」
とかなんとか物思いにふけっていると、今朝もカウンターに突っ伏して寝ていたらしい椿さんが、伏せていた顔をあげていた。
あいかわらずひどーく眠そうだった。
「先……椿さん!! おはようございます!!」
「うぅん……まゆ」
山猿が来た。今までの椿さんに対する態度とは明らかに違っている。
まぁ知り合いが尊敬する人だと判明したらそんなもんかもしれないけど、ここまで切り替えが早いのはある意味すごい。
「先生どうしたんですか!? 寝不足ですか!? ドコか具合が悪いんですか!? 風ですか!? 冷たい水でもくんで来ましょうかっ!?」
「遠慮しないでくださいっ!!」
「してないよ……って先生って呼ぶな」
「あ、すいません先生!! じゃなくて椿さん!!」
……危険だな。色々と
「『たがみ』から電話来てないけど……なにがいりようなんだ?」
「『たがみ』は辞めてきました!! 先生のお側で働きたいんです!! じゃなかった椿さん」
「「辞めたぁっ!?」」
行動早!?
確かに俺も尊敬する先生がいるから、つい最近まで通っていた大学に入ったんだが、いくらなんでも判明した昨日の今日でこの行動か!!?
「んなコト言っても……二人も雇う必要ないんだけど……」
「…………あの、椿さん」
「ん? なんだ拓也」
「……いや、それなら俺抜けましょうか? 他にもバイトのあてはありますし」
「あら、居候にしては殊勝な態度ね」
「いや……拓也がそこまでしなくてもいいよ。 まゆ、『たがみ』には私から電話かけて、復帰できるようにしてやるから」
「でもでも!! 先生がここにいらっしゃると思うとなんにも手につかなくて……仕事にならないんです。 先生!!給料安くてもいいですから!!」
「だから先生って言うなぁっ!!」
「はっ。すいません。気付いたら口走ってしまうんです。 その度に椿さんって言い直すんですけど」
「もしかして……、気付くたびに言い直してんのか?」
「そうよ。だって先生じゃなかった、椿さんのいいつけだもの!!」
俺と椿さんは顔を見合わせた。
つまりこれは、『たがみ』でもやりかねないと言うコトだ。
人の出入りが結構ある『たがみ』で先生先生と連呼し、それをいちいち『椿さん』に直してたら。
「ダメダメだ」
「ですね」
最初からなんとなく心配だったが、予想通りというかなんと言うか。
「あー、おほん。いいよ。 まゆはここで働いて」
「ほ、ホントですかっ!! きゃぁぁぁっ!! 先生ありがとう!!」
「……じゃあ、俺は今日は他をあたります」
「いや、今日はこのままやってくれてもいいよ」
「いえ、正直言って、仕事量なら由真一人で二人分できそうな気がするんで……ぶっちゃけ俺は余計かなと」
「…………」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて、歓声をあげる由真をわきにして、俺と椿さんは軽く溜息をつきながらそんなやりとりをしていた。
まぁ他にも色々と言いたい事がある気もするが、今の絶対無敵状態の由真には勝てる気がしない。
椿さんにも余計に給料払わせることになるし、別に絶対にここでバイトし無ければならない、なんてことはない。
ここは俺が引き下がるのが最善だろう。








さて、とりあえず椿さんは暇ができたら様子を見に行くとして、出てきたはいいが今日はどうするべきかな。
華の湯と白摘茶房は行けば雇ってくれるだろうし、華の湯のマッサージのサービスはできるだけ定期的にやっておきたいし。
ああ、そういや穂波ちゃんの件もちょっと気になるなぁ……まぁ、今日は尚樹さんはまんが祭りだから心配ないかな?
とりあえず、今日の所は華の湯に行っておくか……
「拓也、こんなところで何してるんですか。ちゃんと働いて稼いでくるのです」
「ゆのは、ひめ。なにやってんだ?」
「それはこっちのセリフです。 今日も椿さんのところだったのでは?」
「いや、ちょっと事情があって行けなくなった」
「なにぃ〜〜!!? クビになったとでも言うんですか! 一体何をしでかしたこのボンクラー!!」
うわ、言い方がまずかったか!?
「お姉ちゃん、ちょっと落ちついてください。 ……お兄ちゃん、もしかして、椿さんの前の記憶が戻って、黙ってたことを怒られたとか?」
「いや、クビでも無ければそういうわけでもない。 ただ、色々な事情から由真を雇わないといけなくなって、俺がひきさがっただけだ」
「……その事情ってなんなんですか」
「俺もよくわからないんだが、どうも椿さんにとっては深刻な話みたいだったな」
……いくらこの二人とはいえ、椿さんの問題だし、俺がばらしていいものじゃないよなぁ……
それに、付き合いが長いとはいえ、いまだにゆのはは口が軽い気がしてならない。
というか、俺がばらしたとばれた時の由真が恐い……お前が一番危険なんだと言ってやりたい気分なんだが。
「まあ、そういうわけだから、今日は華の湯に頼んでみようと思う」
「そうですか。 なら、できるだけ早くしてください……っと、そうそう、その前に一つ尋ねますが」
「なんだ?」
「あの絵本、どうしますか? アレがあると、以前私達と特に関わっていた人……わかばさんや、椿さん、しぶぞうの記憶が戻る可能性がありますが……」
「……だからって処分するわけにもいかないだろう。俺達の持ち物じゃないんだし、そんな勝手なことできないって」
「……まあ、さすがに……ね」
「……そうですね」
「……まぁ、戻ったらほなみちゃんの時みたいに黙ってもらうように説得するしかないが……」
戻るきっかけがあの絵本だとすれば、おそらく前のゆのはと、ひめが神様だということまで同時に気付かれるだろう。
だとすれば、黙ってもらえる確率は高い。なんの予備知識も無しに言っても、神様が目の前にいるなんて事を信じる人間は早々いないからだ。
「……わかりました。 ……ばれても、私が祠に還れば……再び忘れるだけですし」
「……」
その時のひめは、なんだかひどく寂しそうな顔をしていた。
その気持ちはなんとなく分かる気がするが、俺にはどう声をかけるべきかわからず、ただ黙っていることしかできなかった。







まあ、とにもかくにもそういうわけで
「そうなんですかー。 由真、『たがみ』やめちゃったんだー」
「それじゃあしかたないねー。 じゃあ、今日はおねがいさせてもらおうかね」
あたりさわりの無い程度にわかばちゃんとみつ枝さんに説明して、今日のバイトを改めて確保。人の情けに感謝!
「では、いつものマッサージ台作って業務にとりかかります! ゆのは、今日もタイマー頼むぞ!」
「……わかりました」
さっきからなんかゆのはまで元気が無い。
ひめが言った『忘れられる』という一言は、ゆのは自身にも言えることだったわけだから、仕方ないのかもしれないが…
ひめはひめで、なんだか強がっているだけにも見える顔で、今日もどこかへ出かけていってしまった。
「それじゃあ、私は台作るの手伝いますね」
「いや、いいよ。 俺一人で十分」
「いえやらせてください、準備も終わってますし、おきゃくさんが来るまでは暇ですからー」
と、言うわかばちゃんの表情は、ゆのはの顔とは対象的にほんわかとした優しい笑顔だった。



で、開店まで時間も無いので結局根負けして3人して手早くマッサージ台の準備。
もう何度もやってることだけに、ぱぱっと完成!
「ちょっとお茶飲んできます」
喉でも渇いたのか、準備が終わると同時にゆのはが伊藤家の方へ行ってしまった。
……なんか一瞬左肩を押さえていた気がしたが……俺が思ってるよりダメージは大きそうだな。
「ゆのはちゃん、どうしたんでしょう?」
「あ、いや。大丈夫だよ、そっとしてやってくれ」
「そうですか? ちょっと心配ですけど……」
わかばちゃんは、何も見てないようでしっかりと物の筋と言うものを見ているようだった。
でもこの問題は、俺も含めて他人がどうこう言ってやれる悩み事じゃない。本当に気持ちがわかるのは、当事者であるゆのはとひめだけだろうから。
「あ、ゆのはちゃんと言えば拓也さん、ひとつ聞いてもいいですか?」
「え? ……まぁ、俺が答えられる範囲なら」
「ゆのはちゃんって、いつも皆が入った後、最後にひとりでお風呂にいってるので、寂しくないのかなーって思ったんですが。それでですね、ちょっと前に、いっしょにお風呂入らない?って尋ねたら、なんだか難しい顔して断られたんですよ」
「……」
「ゆのはちゃん、なんだかすごく泣きそうな顔で、私嫌われてるのかなーって思ったんですが……」
「…………いや、そんなことないよ。 ほら、女同士でも風呂までは一緒にはいれないって人もいるって言うし、わかばちゃんの事は嫌いどころか好きだと思うよ」


「な、なんですってー!!」


「うわっ!? なんだ今の声は!!?」
いや、なんだじゃない。 この忘れたくても忘れられない怒声の持ち主は!
「あ、由真ー」
「な、なんだ由真、お前椿さんの所でバイトしてるんじゃないのか!!」
「今から配達よ! その前に、華の湯の目の前がせん……じゃなくて椿さんの店だから、いても全然変じゃないわ!!」
おお、そういえばそうだった。
「そんなことより居候、あんたなんで華の湯でバイトを……いや、それより風呂とか好きとかどういうことかしら! この私が納得のいく説明をしてもらおうかしら!!」
「えーっとねぇ、私がゆのはちゃんをお風呂に誘ったら断られたんだよー。 それで、ゆのはちゃんは私の事好きなのか嫌いなのかわからなくなっちゃって……」
「……」
ナイスわかばちゃん。
……というか、多分これは事の状況を一切理解していないからこその対応なんだろうけど。
「ああ……なーんだそうだったの。 あのガキ、せっかくのわかばの好意を無にするとは、神が許してもこの私が許さないわっ! ……ああ、でもなんてうらやましいお誘いなのかしら、私なら、他のなにをなげうってでもはいって言うのに……」
とりあえず、ツッコミどころが多すぎる上に、由真の思考回路がいろいろと分かりやすすぎてかえってわけが分からなくなってきている気がするのは気のせいだろうか?
「おいまゆ、そんなところで油売ってないで、はやく配達に行けー」
「あ、せ……椿さん失礼しました。 では、宇奈月由真行ってまいります!!」
高尾酒店から椿さんの声が聞こえて、そう言うが否やカタパルトでもついているかのような勢いで、酒瓶担いで走り去ってしまった。
……俺のバイクよか効率いいんじゃないか、あれだと。
「由真、頑張ってますねー」
「あ、ああ……そうだね」
もう何も言うまい。
しかし椿さんの件も加わってしまった以上、これから先の由真の扱い方もいろいろ難しくなってくるなぁ。
……いや、もとより由真を扱い切れるのは、現時点ではわかばちゃんと椿さんくらいのものだろうけど。
こりゃ下手な事を口に出せん。




で、戻ってきたゆのはと一緒に、いつものように渋蔵さんを初めとして次々に来る客の背中をもんだり流したりもんだり流したりで午前中は過ぎていき……午後!
休憩時間になってゆのはといっしょに居間に行ってみると、わかばちゃんが真っ白な絵本を前にしてうなっていた。
「わかばちゃん、なにしてるの?」
「あ、拓也さん。 実はですねー、前に描きかけで中断していた絵本の続きを描こうと思いましてー」
「新しいのですか?」
「へぇ……ちょっとみせてもらっていいかな?」
「はい、いいですよ。 でも、途中ですよ?」
と言うわかばちゃんに、いいよと一言言って、その描きかけの絵本のページを開いた。

『くりごはんのぼうけん』

その絵本は、主人公のくりごはんがある日突然、自分の栗がなくなってしまい、自分が自分で無いようなその違和感に悩んでいる、といった感じの物語だった。
そうしてしばらく悩んだ後に、くりごはんは「くりをさがしにいこうか」と思いつく。
……普通に考えれば、絵本としては探しに行くのが筋と言うものだろうけど、絵本はそこで止まっていた。
「ふーん、結構おもしろい感じだね」
そう言いながら、俺は絵本を返す。
「やっぱり、くりごはんはくりを探しに行くんですか?」
ゆのはも多少気にいったらしく、少し期待を織り交ぜたような顔でわかばちゃんに尋ねていた。
「……はい、そのつもりなんですけどー……ちょっと迷ってるんですよ」
「迷ってる?」
「はい。 ……やっぱり、いままでずっと暮らしていたところから出ていったりするのって、すっごく不安だと思うんです」
「そうですね。 私も拓也と旅に出る時は、ちょっと不安でした。 頼り無いですし」
「そこで言うかお前は」
「私だって、この町から出なきゃいけないってことになったら、きっと不安でどうしたらいいかわからなくなっちゃうと思うから……」
「…………」
なるほど。 主人公のくりごはんと、自分の気持ちを重ねて考えているってことか。
絵本としては、旅に出てくりをみつけるというのが一番の流れかもしれないけど、わかばちゃんの場合は自分の立場で、自分の考えを絵本に映しだしていく。
……それは多分いいことかもしれないけど、『探しに行こうか』という一言で絵本が止まっているというのは、俺にはとても深い意味があるように思えた。
「……ねぇ、わかばちゃんって、この町から出ようって思った事はないの?」
「え? ……無い、と言えば無いんですけど……」
「けど?」
「3年ほど前に新しい絵本を描いてからなんですが、その絵本の中の旅人さんみたいに、どこか遠くを見てみたいなって、時々思うんですよ」
「……その絵本って、もしかして……『ゆのはな』ですか?」
「はい。 あ、椿ちゃんから受け取ったんですか?」
「うん。 素晴らしいお話だったと思うよ」
まあ、おかげでいろいろと心配事も増えた気がするが。
「わかばおねえちゃん、なんであんなお話思いついたんですか?」
「……不思議なんです。 あの絵本は、私が自分で思いついたお話のはずなのに、まるで誰かに用意されていたみたいにスラスラと描けたんですよ。 いつもは、もっと迷いながら、わたしならこうするかな、とか色々考えながら、ちょっとずつ描いていたはずなのに」
「……それは、不思議な話だね」
……多分、本当に『用意されていた』んだと俺は思う。
なぜそれがわかばちゃんだったのか俺にはわからないけれど、ゆのはな町の神様の行く末を、どこかで察したのだろう。
「……それで、その遠くを見てみたいって思って、本当に出ようとした事は無いの?」
「ないですねー。 そう思うってだけで、はっきりした動機もありませんし」
「それも十分動機と言えると思うよ。 俺はわかばちゃんなら、絵本の専門学校とか行ったら、ベストセラーを連発できるような絵本作家になれると思うけど」
「絵本は趣味みたいなものなのですから。 ……それに、私は『華の湯』を継ぐことになると思いますし」
そのコトバには、少しの迷いのようなものが見え隠れしていた気もしたが、『将来』に何の疑いも無く、ただそうなるだろうという事を思っているようだった。




そのあとは3人とも仕事に復帰して、早くも夕方。
「はい、3分たちましたぁ」
「ふぅ……だいぶ楽になったよ。ありがとう」
「ありがとうございましたー」
ふぅ。
何度かやっているとはいえ、さすがに一日中肩揉んだり、背中流したりしてるとくたびれてくるなぁ。
「拓也さーん。おつかれさまでーす」
「あ、わかばちゃん」
「わかばおねえちゃん!!」
「ゆのはちゃん。時計の係代わるよー」
「いいんですか? わーい、実はちょっと疲れてたんですよー」
時計のタイマー数えてただけでよく言うよ。まぁ、これだけ長時間つきあってくれてるのは感謝だけど。
ゆのはがいないと客がクレーマー化した事もあったしなぁ。
「ただいまです。 ……なんだか楽しそうですね」
とかなんとか言ってると、ひめが帰ってきていた。
ほんとコイツいつもどこに行ってるんだ? 公民館だとしたら、よく飽きないなぁと思う。
「ひめちゃん、おかえりなさーい」
「そろそろゆのはがバテている頃だと思って帰ってきたんですが……必要なさそうですね」
ゆのはからストップウォッチを受け取ったわかばちゃんをみて、特に表情を変えずに一言。
「や、そう言ってくれるだけで俺は有り難いぞ」
まぁどっちかというとバテてるのは俺の方なんだけど、俺がうごかないと話にならないから何も言わないでおく。
「じゃあ、私はこれで……」
「あ、ひめ。私も帰るー」
「あ、そうだ。ゆのはちゃん、ひめちゃん、これで好きなもの買ってねー」
と言って、伊藤家へ戻って行こうとした二人を引きとめて、わかばちゃんが小銭を手渡していた。
「わぁい!! お小遣いだぁっ!! がんばってお手伝いしていたかいがあったよー」
「……ありがとうございます」
「じゃあ言ってきまーす!」
「きます」
と言って、二人ともお向かいの高尾酒店に一直線。
またアイスか何かだろうけど、由真がどう対応するのかちょっと気になったり。
……それと、なんとなくひめが寂しそうに見えたのは気のせいなのかどうか。
「それにしても……お客、途絶えたね」
さっきゆのはがカウントした最後のお客さんの後には、誰一人来ていなかった。
おかげで小休止できるんだけど、なんか微妙な気分。
「いつもこんなモンですよー。 というか、普通は午前と夜に来る人ばっかりです」
「へぇ……」
考えてみれば、まぁそんなもんだろう。
朝風呂と、食前食後が一般論として風呂に入る基本的な時間だろうし。
「だから……けっこう単調なんですよー。 まぁ十年もやっていると、仕事なんてそういうモノかもしれませんがー」
「そう……かもね」
「だから、こうやって、いつもと違うコトをするのって、ちょっと新鮮でワクワクですよー」

「くぅ……あんなに仲良さげにぃ!! きぃぃぃっ」

「んんっ!?」
「どうかしましたかー?」
「いや、今、なんか悪寒が」
どっかで聞いた事のあるような気がする声も聞こえた気がしたが。
「大丈夫ですか? もしかしたら風邪のひきはじめかも、今日はもう休んだほうがー」
「いや、そういうワケには、それに俺って風邪ひいたコトないんだ」

「ホントウの馬鹿なのねこいつは!!」

「それはすごいですねー。 実はわたしもないんですよー。 風邪ってひくとどんな感じなんでしょー?」

「ああん、わかばってなんてかわいいんでしょう。 風邪もひいたコトないなんて……ウィルスすら若葉を汚せないのね……」

「さぁ……?」
「いっそのコト、ふたりで風邪ひいてみますかー? 片方しかひけなかったら、ひいたほうがひいてないほうにうつすんですよー」
「なるほど!!」

「あんただけ勝手にひいてればいいのよ!! この寒空に水でもかぶれば簡単よ!! ……はっ。あ、あたしってば天才!!  ふっふっふ。みてなさい。今夜こそが淫魔の最後よっ!!」
「……まゆ、真面目に仕事しないならクビにするぞ」

「ぞくぞくぞくぅっっ……」
「どうしたんですか?」
「また寒気が……もしかして俺、風邪ひいたのか!! ついにかっ、ついになのかっ!?」
「じゃあ、わたし看病しちゃいます!! 看病してれば、自然と風邪も移るでしょうしー」
「なにをふたりして馬鹿なコトを言っておるんだねー」
「おばあちゃん、大変なんだよー。 拓也さんが風邪だよ風邪。 おばあちゃんはひいたコトあるー?」
「もちろんあるよー」
「うー。わたしだけ仲間ハズレー」
「どれどれー」
みつ枝さんの手が俺の額に。
「どうすかっ!? 風邪ですか!? 風邪ですよね!! 二回もぞくぞくしたんですから!!」
「そんなに元気で風邪もなかろー。 熱もないしねー」
「そ、そんな……」
俺はがっくりと膝をついた。
「……なんで風邪をひいてない事でがっかりするんですか」
「あれ、ゆのはちゃん早いねー」
声のした方を見ると、アイスバーを持ったゆのはが呆れたような顔で立っていた。
「って、ひめはどうした?」
「ひめなら、もう家にもどりましたよ? 二人が馬鹿なコトを言っている間に」
これまた早いな。
まぁやることも無いだろうし、たかる相手もいないから仕方ないのか。
「ふたりとも、お客さんがお待ちかねだよー」
「あ、はい!!」
みつ枝さんの号令で俺達はお仕事再開!!
「少し休んだら、また手伝ってあげます。 分かってると思いますが、拓也には風邪なんてひいてる暇は無いんですよ」
と言ってアイスを舐めながらさっさと帰ってしまうゆのは。
ゆのはなりの激励のつもりだったんだろうけど、かえってやる気がそがれる気がしなくもないのはどうしたものか。


そして、いくつもの3分を重ね、再びゆのはが俺の手伝いに入って、さらにいくつもの3分を重ねているうちに、夜がきた!
「ふぅぅ……」
「拓也さん、ゆのはちゃん、おつかれさまでしたー」
「おつかれさま。でも、まだ後片づけがあるけどね。 ゆのは、悪いがもう少し手伝ってくれ」
「えー」
「えーじゃなくて、たまには最後まで一緒にいてくれよ」



同時刻
「ふっふっふ。淫魔草津拓也!! 今宵こそその悪逆非道な横暴卑劣なふるまいに終止符を打ってあげるわ!!
邪悪な片割れである餓鬼をダシにつかい伊藤家に邪な企みを抱いて忍び込み、わかばを篭絡しようとは不届き千万!!
あげくにほなみんを守る約束まで破って、何も知らないわかばの純でやわらかい身も心もむさぼり尽くそうと言うその淫謀!! この宇奈月由真が根刮ぎ打ち砕ぁく!!」
「……仕方なかったとはいえ、やっぱ雇ったの間違いだったかな……」
「ふっ。アンタは良くやったわ。 あんな楽しそうにふたりで馬鹿トークを繰り広げる段階にまで、到達したんだから……あんなに楽しそうに……」
「……まゆ、拓也とわかばの馬鹿トークは今に始まった事じゃないだろう……ていうか人の話聞け、クビにするぞー。給料いらないのかー?」
「ああ、先生……じゃなくて椿さん。 私は椿さんのおそばで働けることが幸せなんです。お給料なんて……」
「……モラル的にもそういうわけにもいかんだろう。 ほら、明日からはちゃんと仕事してくれよ」
「わぁいきゃぁんっ!! 先生から直接バイト代もらっちゃった!! うふふ。うふふふふふふふ」
「だから先生って言うなよ……」
「椿さん!! 名残惜しいですが今日は急ぎの用事があるので、また明日!!」
「…………どういう作戦立てたか知らんが、手加減はしてやれよー」


―華の湯―
「ああっ。間に合わなかったっ!!」
「こんばんわー由真。 あれ、息荒くしてどうしたのー?」
「もう営業時間終わっちゃったのね……」
「うん。そうだけどー。 あれ? なんでバケツなんて持ってるの?」
「あ、これは……あはは」
「……?」
「あーおほん。 ああ、終わっちゃったのか……がっかり。 今日は入りたかったのに……」
「あ、名案を思いついたよー。 わたしが脱衣所掃除している間に、お風呂入ればいいんだよー」
「わかばナイス提案!! ああ、なんて思い通りの反応をするいい子なのかしら!!」
「思い通りのはんのー?」
「おーほっほっほ。なんでもないのよなんでも」
「?」
「そうだっ!! どうせなら、わかばの一緒にはいらない?」
「だめだよー。 掃除の時間だしー」
「出たらアタシも手伝うからさ、ね。 アタシわかばと一緒にお風呂入りたい入りたい。ねぇねぇねぇ駄目ぇ?」
「……もう、しょうがないなー由真は、誰にも秘密だよー?」
「ふたりだけの秘密ね!! ああん。なんて蠱惑的な響きぃ!! わかばぁ愛してるっ!!」
「わたしも由真が大好きだよー」
「だから先に言っておくわ。ごめんね」
「なにいってるかなー由真は。ときどき由真がよくわからなくなるよー」
「あ、しまった!! アタシってばドジっ!! タオルとか持ってくるの忘れちゃった!!」
「ああ、バケツもってきたのは、洗面道具とまちがえたんだねー」
「あはは、そうみたい」
「貸してあげるよー」
「忘れたっていっても『たがみ』だから。 すぐ取ってくる!! わかばは先に入ってて!!」

「……わかばさん、今のなんですか?」
「あ、ひめちゃん来てたの。 なんでもないよー」
「…………妙に邪悪な気配がした気がするんですが……」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです。 ……ちょっと追ってみましょうか」


「ふっふっふ。全て計算通りね!! バケツに水を入れて……あとは淫魔にこれを掛けるだけね!!」
「……拓也狙いですか。 さすがに馬鹿の拓也でもこの寒空に水はまずいですね……ホントウに風邪をひいて働けなくなったら困りますし、それに明日は確か……」




「発見!!」
「ロマーンチストの♪ 約束なんて♪ 夢のなかぁに消えていくものなのさ〜♪」
お掃除お掃除。楽しくお掃除。
そういえば、いつも掃除をしていたのは小池さんだったっけ?
でも、あれはラーメン中毒の人だったよなぁ
「拓也、音痴な歌はやめてください」
「ぐっ、お前は人の楽しみを容赦なく奪うのか!」
「私が楽しくありません。 それに歌なら私の方が上手です!」
「ほう、それじゃあ一曲歌って貰おうか!」
「いいですよ。 じゃあ『冬便り』を……」
「くらえぇぇっ!!」

「呪文省略! ひめハリケーン!」
―お賽銭 0112000―

「え、何? きゃぁっっ!!?」
「……なんだ?」
なんかどっかで聞いた事あるような声が二つほど聞こえたような……
って、なんだ、水の入ったバケツが……!?
「ゆのは、危ない!!」
「え? わぷっ!?」
どこからともなく飛んできたバケツの水が、真っ直ぐに俺の隣にいたゆのはにまるごと飛んでいった!!

「……しまった、私としたことが力加減間違えた!?」

「ゆのはっ、大丈夫かっ!?」
驚いてそのまま倒れてしまったゆのはに駆け寄り、俺は慌ててバケツを取った。
「うぅぅ……つ、冷た……寒いです……」
「一体誰がこんなこと……って、お前は!?」
「ぎくっ!?」
顔を上げた先で、呆然とした表情でつったっていたのは、どこからどう見ても由真だった。
「お前……俺だけじゃ飽きたらずゆのはまで!!」
「ち、違うわよ!! 居候をねらったら急に風がふいて手元が……あ」
「やっぱりお前の仕業か!!」
「こ、これはそのー……って、そう! それよりゆのはちゃん、早くお風呂に入れてあげないと風邪ひいちゃうわよ!!」
「お、お前なぁ……」
露骨に話をそらされた気がするが、そればっかりは確かにそのとおりだ!
色々と気分が収まらないが、ここはゆのはの事を最優先にしなければ!!
「……お姉ちゃん。 女湯は、今わかばさんが入っていますよ」
「……え?」
「ひめっ!?」
なぜか少し目を横にそらしたまま、ひめが俺達の前に現れた。
……女湯にわかばちゃんが入ってるってことは……
「い、イヤ……わかばおねえちゃんがいるなら…………私、はいりたく、ない……」
「何言ってるのよ! わかばと一緒におふろなんて素晴らしい機会をっ……」
「黙れ、由真」
「なっ!? なによ、あんたその子が風邪ひいてもいいって言うの!?」
「……ひめ、男湯は誰もいないよな?」
「はい。 ……なぜかこんな張り紙が張ってありましたが、掃除している人なんて一人もいませんでしたよ?」
と言って取り出したのは、『清掃中』の張り紙。
……いや、今はそんな事はどうでもいい!
「ゆのは、仕方ない。 急いで男湯の方に行くぞ」
「……う、うん……」




ゆのはがちゃんと湯船につかったのをひめに確認させて、俺達は外で待つことにした。
どうやら由真はわかばちゃんといっしょにお風呂に入る約束をしていたらしいが、それはとりあえずキャンセルさせる。
「……大方、おにいちゃんをわかばさんがお風呂にはいっているところに向かわせて、嫌われるように仕向けようとしたんでしょう。 由真さん?」
「…………」
さすがにひめは鋭い。
俺はたんに由真が俺への嫌がらせをするためだけだと思っていた。
「……まぁ、それはもういい。 とりあえず、あとでゆのはにきっちり謝って貰うからな。 イヤだって言ったら椿さんに報告して、二度と雇って貰えないように頼む」
「…………わかったわよ……ごめんなさい。 ……でも、一つ聞かせてくれる?」
「……何だ」
「あの子、単に誰かと入りたくないってだけじゃない感じだったけど……何かあるの?」
「…………それは、俺の口からは……」
「傷痕ですよ」
「っおい、ひめ!」
「傷?」
「おねえちゃんは、肩のこのあたりに刃物でつけられた深い傷の痕があるんです。 昔、ある事件に巻き込まれたせいで出来た傷です」
ひめは自分の左肩に、さも自分自身に傷痕があるかのように手をあてていた。
……いや、元々あれは封印されていた肉体……つまり『ひめ』が持っていたはずの傷だ。
自分自身のように……ではなく、自分のものでもあったんだ。
「きっと誰にも見せたく無いんです。お姉ちゃんにとって、何よりも不幸な記憶だから……」
「…………」
とても俺が口を挟めるような空気ではなかった。
ただこれは、言うとなればひめではなくゆのは自身が言うべきものだったんじゃないか、とも思うし、ひめ自身のことでもあったから、これでよかったのか……と、よくわからなくもなっていた。
「あの子にそんな事が…… 居候、あんたは知っていたの?」
「まぁ……随分前に、本人から聞いた……」
「……だから由真さん、わかばさんへの気持ちは分かりますけど、もうこれ以上お兄ちゃんや私達にこういう事はしないでください」
「……それとコレとは別問題よ。 わかばとその傷とやらは……関係ないでしょ?」
強がっているが、こんな話を聞いた直後だ、いつもの勢いが全く無い。
「って、なんでその事を!? この気持ちは私の心の中だけの秘密なのに!!?」
今更自分の言ったセリフの意味に気付いたらしい。
というか、本気でそう思っていたのならある意味尊敬に値する、と俺は思った。
ひめも同じことを思ったらしく、顔がわずかに引きつっていた。
しかし、せっかくのシリアスな空気ぶち壊しだよなぁ、これは
「まぁ、それはいいとして……ちょっと気になってたので確認しますけど、お兄ちゃんに婚約者がいるの知ってますか?」
「え? 婚約者? ……居候にそんなのいたの?」
俺もうすうす感じていたが、たぶんそこに関しては全く覚えていなかったんだろう。
と言っても、その時は俺は確か由真のせいで気絶していたから本等にそこまで説明したのかどうかは分からんのだが。
「お姉ちゃんが、お兄ちゃんの婚約者なんです。 一番最初に説明したはずですよ」
「……あれ、あんた達全員兄弟じゃなかったの?」
THE・勘違い発見。
そりゃ、ひめは人前では俺の事もお兄ちゃんと読んでたけど。
「私とお姉ちゃんは姉妹だけど、お兄ちゃんは私達の従兄弟で、お姉ちゃんの婚約者です。 だからわかばさんにも穂波さんにもそういう危険はありませんから」
「そういうことだ。 だからわかばちゃんには感謝はしてるけど、そういう感情は全然ないぞ」
「……それに、お兄ちゃんが二股かけれるような器用な男に見えますか?」
「それは見えないわね」
うわ即答。
いや、二股かける気なんか最初から全く無いけど。
そんなもんはつきあっている子に失礼以外の何者でもない。
「……わかった、わかったわよ。 さすがにあの子には悪い事したと思うし……そういうことなら、手は出さないであげる」
「そうか、それならありがたい」
正直色々と言い返したい事がやまほどある気もするが、下手に蒸し返すと余計に悪化しかねん。
ここは大人しく引き下がるのが吉か。
「……でも居候、正直その趣味危ないわよ? 下手すりゃ犯罪」
「…………」
つきあい始めたのは3年前で、見た目だけなら今以上に子供だった。
俺は、由真の一言に何も言い返せなかった。
「……あー、ひめ、ゆのはの様子ちょっと見てきてくれないか?」
「そうですね、行ってきます」
「話を逸らしたわね」
ははは、どうとでも言ってくれ。
最初のシリアスな空気はいったいどこに飛んで行ってしまったんだろうなぁ、ホント。
…っと、ひめもいなくなったし、気になってたのをひとつ聞いておくか。
「それより由真、椿さんの様子はどうだった?」
「先生……じゃなくて椿さんの? お疲れのようだけど、そのぶん私がお店を頑張ってるから、高尾酒店は大丈夫よ」
なんか不安が付き纏うのは気のせいだろうか。
「ああそれと……榛名さん、椿さんの事知ってたみたいよ」
「榛名さんが?」
……いや、思い返せば、確か穂波ちゃんが榛名さんが何か知ってるかも、見たいな事を言っていた気がするな。
「それでね、いっつも先生の初稿を読ませていただいてるんですって! あとがきにいつもでてくるK・Hって榛名さんのことだったってワケ! ああ、アタシもU・Yって書かれたいっ!!」
と、言われてもそもそも読んでもいない俺には分からない話なわけで。
……でも、そういわれてみると
「なんか興味出てきたな。椿さんの小説」
「今まで興味も示さなかったあんたがおかしいのよ。 そうだ、よかったら貸してあげましょうか?」
「いいのか?」
「いままでのお詫び……ってわけでもないけど、わかばに変な気を起こさないのが条件よ」
「だから、そんなことは無いって」
「じゃあ、明日から貸して上げるわ。 でも汚したりしたら……由真キックの封印を解く!!」
キックがあったのか!!?









―お賽銭 0120000―




 

 

12/31(前編)へ続く

 


 


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